サラバンド

サーカスはなぜ劇場の中に進出するのか?

 

  座・高円寺の劇場1でサーカスを上演するとは思わず、ひどく驚いた。今回のサラバンドの特徴は三つある。

・円形劇場で行う。

・チェロ奏者の生演奏を必要とする。

・空中芸を中心にパフォーマンスが展開される。

  近代サーカスは一八世紀のロンドンにおいてフィリップ・アストリーの曲馬芸から始まったと言われる。馬を扱うため劇場には直径13メートルの円形の空間があることが望ましい。今回の座・高円寺の劇場1の空間がどれほどの広さか測ってはいないが、出演する人数の割に広い空間を有していたのはやはりその伝統があったと勝手に思っている。馬芸ではなく吊りパイプを使用した空中パフォーマンスだが、観客の視線に四方から晒されるため、演劇と違って(これは自分に対する自戒を込めて)極度に訓練された肉体を必要とする

調べたところフランスではサーカスは本来大道芸の一種として扱われており、その管轄は農業省が行なっていたが、1979年初めて文化省の管轄になり、83年には国立サーカス芸術センターが作られている。おそらくこうした政策の効果として、雑多な演目を並置して公演を行うのではなく、一つの演目だけで観客の視聴に耐えうる作品が創作されるようになった。今回の「サラバンド」でいえば、まずチェロ奏者の生演奏は大衆のものであったサーカスに上流階級の好きな文化教養を与えるし、選曲としてロバート・ウィルソンの「アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ」で使われたバッハの「無伴奏チェロ組曲」が使用されたのも偶然ではないと思う。組曲が演奏された時には思わず吹き出しそうになった。

サーカスは本来歌舞伎同様地位の低いものであったが、こうしたライブパフォーマンスを取り入れることで、見事にクーラーの効いた心地よい劇場で楽しむインテリの娯楽となった。パイプが何を表しているのか何かはわからないが、そういうよくわからないものを楽しむ知的探求性がインテリの嗜好に合うのだろう。

肝心のサーカスの内容だが、最初は本火のついている棒を支える平行パフォーマンスだったが後半の演目は二つとも空中パフォーマンスである。先述のとおり近代サーカスは例えば曲芸やクラウン芸、空中芸や馬芸を一つの公演の中に組み込むものであったが、その一つだけを取り出して純化させるところはいかにも現代サーカスである。パイプを使ったパフォーマンスではパフォーマーの肉体より計算と反射神経に注目がいくが、最後に空中ブランコに乗るパフォーマンスを入れることで、サーカスとはパフォーマーの肉体を離れては成立しないことを思い知らされてくれる。

余談であるが「サラバンド」は見ていてひどく気持ちが良かった。筆者がいわゆる若手の小劇場公演を好まないのは、逆に言えば緻密な「計算」と長年の「肉体訓練」を好むということである。歌舞伎や能を好むのは彼らが少なく見積もっても20年という訓練を経ており、文学座や四季など大劇団の公演を好むのも長年の経験をきちんと蓄積しているからである。人間一人ではそれほど大量の経験を積むことができないが、大組織となることで何十年前に俳優が得た知識を二十やそこそこの役者が反映することができる。

こうした緻密な計算と過酷な肉体の訓練はいずれも非日常的なものであり、プロかアマチュアを見分ける時の指標になりうる。自分が決してたどりつくことのないできない美の境地に人は魅力を感じるのであり、「あ、練習したら自分でもできそう」と思うものにわざわざ金銭と時間を割こうとは思わない(とりあえず自分はそうである)。そのことが再確認できた実りある観劇とであった。

 

 

参考資料

演劇学のキーワーズ  佐和田敬司 2007 ぺりかん社

 

 アカデミー11期 奥田知叡