ざくろのような

                            

2001年に旗揚げしたJACROWの中村ノブアキ脚本・演出の『ざくろのような』を観てきた。日本の山東電機が経営難に陥りライバルの松川電器にTOBを仕掛けられる。株式公開買い付けつまり買収である。山東電機で新たな小型車載バッテリーの開発を目指す開発チームのリーダー、野間敏也がまず劇の中心事物としてピックアップされ、その天才性が誇張され、同時に彼の抱える組織との非親和性が少しずつ明らかになる。しかしリチウムイオン二次電池を車載バッテリーとして実用化する上でこの野間は欠かせず、山東電機を買収した松川電器から派遣された山崎室長と宇部課長はいち早くこの人物に注目し、彼をコントロールするため野間と同期のエンジニアで今は部下であるサブリーダーの蔦賢一をいずれ管理職に起用しようと考える。

開発チームが所属する部署には他にゴルフに目がない勤続25年の広重部長と中野副部長がいるが、この2人にはもはや価値がないと山崎室長は判断し、騒動が表面化することを恐れ中野副部長を利用し広重部長を自主退社させ、その後中野副部長も閑職に移動させる。

開発部に2人いる女子社員のうち、プライベートを捨て仕事一筋に生きた40代独身女性理系女(なんと肩書きの多いことか)鈴木副部長を広重部長の後釜として部長に昇格させるが、それはあくまで買収に揺れる山東電機の沈静化を図るためで、対外的な広告効果を考えいずれは彼女の元で冴えない女性社員として働いている現在妊娠中の大下を抜擢しようと企み、大下を松川電器に出向させる。

そんな松川電器の思惑も知らず、能天気な山東電機の経営陣は少しでも社の延命を図るため、社名をかけて取り組んでいるはずの車載バッテリーの実用化を遅らせ、かわりにプライベートブランド(PB)として他企業と提携してスマホのバッテリーを開発させ日銭を稼ごうとする。

これまで天下の山東として自らに誇りを持っていた社員たちは、まさかの買収という状況に直面し不安を抱えながらも表面上は何も変わらぬように振る舞うが、この危機的状況にあって優先度の低い、しかし経営陣の要求であるPBのバッテリー開発をするかどうかを巡ってとうとう衝突する。今まで抑えてきた各チームの不満、さらに山東電機という誰もが知る大企業の抑え込めぬ矛盾があらわになる。

劇のクライマックスを「買収をしかけられる」というターニングポイントではなく、スマホバッテリーの開発というばかばかしいほどミニマムな話に持ってきた劇作家の構図は非常に緻密である。車載バッテリーの開発に邁進している野間リーダーは当然この開発に断固反対である。スマホバッテリーの開発には通常3ヶ月かかり、その3ヶ月で利潤を上げることは確かに可能だが、しかし翌年3月に予定している車載バッテリーの開発はほぼ不可能になる。野間個人がその新技術を開発したいという私欲だけで動いているわけではない、そのいまだ誰も達成していない偉業を完成ささせることが自身が所属する山東電機の生き残る道とも考えている。一方でこのスマホバッテリーを開発させようとする山東の経営陣の意図はよくわからぬ。つまり3ヶ月を開発に費やし数ヶ月延命できる資金を調達したとして、その資金が尽きた数ヶ月後どうするかが明示されていない。その資金が尽きる頃には本来は車載バッテリーの開発に成功しているはずだが、しかしスマホバッテリーの開発に3ヶ月近くかけているのでそれももはや望めぬ。命令を下された広重部長はその意図を探ろうとせずただ指示に従いその結果野間の激しい抵抗にあう。野間と同じチームにいるはずの蔦は、指示の是非を問わず社員は組織の命令には絶対服従するべきだと考える。まさに軍隊。広重部長と中野副部長は去り、鈴木副部長が部長に昇進し、サブリーダーであった蔦は野間を飛び越えて副部長に昇進する。そしてそれが通知された直後、蔦は野間に対して自身が抱いていた彼に対する不満、嫉妬、そねみひがみをぶちまけ今後は自分が野間を管理すると宣告する。それを聞いた野間は指示に従うと答えておきながら直後自分の妻に会い、かねてからヘッドハンテイングをされていた中国の企業海米に移籍したい旨を告げ、翌日鈴木副部長の元に野間の辞職届が提出され幕が終わる。

次に幕が開けてからが難解至極難解でほとほと困った。結論だけ言えば一年が経ち蔦は松川の部長として中国の海米を訪れ業務の提携を申し込む。その彼に中国企業海米の楊軍はジャンという中国人を紹介し、ジャンを見た蔦はそれが野間であると認識し、山東で開発された技術は山東電機のものであり(無論この時点で肝心の山東はすでに消滅しているわけだが)野間のその行為は剽窃あるいは窃盗であると非難する。野間はそれに対し技術は自分の脳内で開発しているのだから、自分が「そこ」に行けば「そこ」が技術を所有することになると反論し終劇となる。

ここで山東電機として描かれている企業はおそらく三洋電器で、松川電器は松下つまりパナソニックであろう。劇中登場する中国企業の海米(ハイミー)は海尔(ハイアール)で、その証拠に実在するハイアールの社長は張端敏というのだが、劇中ハイミーの社員として張軍と雷端敏なる人物が登場する。さて三洋電機がパナソニックに買収されたのは事実で、三洋電機がリチウムイオン二次電池を電気自動車に搭載できるよう小型化の研究をしていたのも事実である。結果的にパナソニックは事業の拡大に失敗し、三洋電機の買収に八千億円さらに損失の補填に五千億円投入することになった。三洋電機の一部社員がハイアールに移籍したのも事実である。ただハイアールは白物家電をおもに扱っている企業で、リチウムイオン二次電池は無関係のはずだ。それまで緻密に劇が展開していたのに、次に幕が開けるといきなり一年もの月日が流れ、山東電機は跡形もなく消え、蔦はいつの間にか部長となり野間は中国人ジャンとなっていた。この完全に破綻している一幕を演出の中村ノブアキがわざと入れた以上意図があるはずなのだがそれがわからぬ。あるいはなにか異化効果を狙っているのかもしれない。

最後の一幕はひとまず置いてそれまでの劇の展開について言えば、この劇の魅力はなんといっても登場人物たちの地位が目まぐるしく揺れ動くところにある。インプロにおいては登場人物の変化を要求するが、その変化が劇中著しく顕著である。幕が開けると、いかにも地位に安住している部長と副部長がゴルフに勤しむ姿が描かれ、もう1人の副部長鈴木は前日沈没する巨船映画タイタニックを見たと暗示的な科白を発する。面白いのはこの話を聞いた蔦と野間が、もし自分がタイタニックにいたらどうするか話し合い蔦は自分は真っ先に逃げるといい、野間は残るという(その直後野間は「ざくろのように」と囁くのだがそれがなんなのかも実はまだわかっていない、ざくろとは一体なんの暗喩なのか…)。まさか2人の運命がこの時の科白と真逆な展開を見せるとはこの時点では観客はわからないし、劇中の2人も無論知らぬ。それが少しずつ小さなアクションが積み重なっていってこのスタート時では思いもつかぬゴールにたどり着く。2人の女子社員の上下関係も変わる。社員大下は仕事ひと筋に生きた上司鈴木副部長に頭があがらないが、哀れ鈴木副部長はプライベートを犠牲にした点が今の21世紀においては女性の働き方としては時代遅れと判断され、いずれ切り捨てられることが暗示される。2人のお気楽な上司広重部長と中野副部長も、それまで広重部長のご機嫌とりに修していた副部長が広重部長の引導を渡すことになる。

そしてやはり野間と蔦である。

組織が我々の理性で判断すぎる限り「間違っている」命令を下した時、我々はそれに従うべきか否か。この命題はあまりに古い、使い古されている。しかしすこしでも社会と繋がり持っている以上この問題は永遠に新しい。演劇人であっても同様のはずだ。これは思想の違いというより2人の立場が違う。野間はスペシャリストとして組織に所属しているので、組織に逆らってもスキルがある限り他の組織に移ることができが、蔦はエンジニアとしては二流として判断されているので組織に従うことでしか生き残れない。劇終盤で蔦は組織に従った結果上質なスーツを纏い、野間は組織に逆らい自らを受け入れてくれる組織に移った結果、外面上はヨレヨレの服とぐしゃぐしゃな髪型のまま蔦の前に現れる。どちらが正解か、どちらがより幸福か。体制に組み込まれるべきかスペシャリストして安定を捨て自由を求め続けるのか。実に難しい問題を演出家は残してくれた。


アカデミー11期 奥田知叡 2019.6/3