プログラム

2021年度 春季研究発表会 プログラム

13:30 開会

13:40 第1報告| 塩川 博義/風鈴の音響解析および音印象評価に関する研究

14:20 第2報告| 沼田真一/社会デザインとしてのサウンドスケープ・デザインに関する研究 ―オノマトペの描画によるサウンドエデュケーションの事例から―

15:00 休憩(10分)

15:10 第3報告| 石橋幹己/騒音計に対する人の聴力の優位性 ―戦前日本の騒音研究から絶対音感教育まで―

15:50 総合討論

16:30 閉会

※各報告は発表20分+質疑20分です。

報告要旨

一般報告

◇第1報告

風鈴の音響解析および音印象評価に関する研究

塩川博義(日本大学生産工学部)

 日本の伝統的住宅は、基本的に紙と木を用いて造られているので、室内外の音が共存している。しかしながら、近年、密閉性の高いコンクリートやサッシが用いられるようになり、音が共存ではなく分離されているのが現状である。そのため、近所の風鈴の音がうるさいといった記事を散見するようになった。

 また現在、環境共生住宅の重要性が謳われているが、風鈴を縁側に吊るし、風や空気を感じることは、日本の伝統住宅における環境共生の文化である。本研究は風鈴を通して、今後の日本独自の環境共生住宅を考え直すものである。

 本報ではガラス製の江戸風鈴、鉄製の南部風鈴および磁器製の有田焼風鈴3種類を用いて、その音響解析とアンケート調査を行い、現代人における風鈴の音に対する総合的な印象の分析を行った。

 その結果、まず、江戸風鈴と南部風鈴は「うなり」の一種であるラフネス(粗さ)が生ずることを時系列波形および周波数特性より明らかにした。また、音印象評価より江戸風鈴と南部風鈴が好印象だったことから、現代人における風鈴の音印象は風鈴によって異なるが、「うなり」があり、減衰にかかる時間が長いと、好印象になる傾向にあることを明らかにした。

 さらに、風鈴の音印象調査の結果からは、風鈴を吊るす習慣がなかった人も吊るしたいと考えるほど、現代人における風鈴の音印象は良好であることがわかった。そして、風鈴と親しむことは風鈴を騒音と思わなくなり、さらに涼しさを感じるなど、環境共生を考え直す価値ある行動であることが確認され、風鈴と親しむことは重要であることを明らかにした。

キーワード:風鈴、環境共生、うなり、音響解析、音印象評価


◇第2報告

社会デザインとしてのサウンドスケープ・デザインに関する研究ーオノマトペの描画によるサウンドエデュケーションの事例からー

沼田真一(東京造形大学)

 オノマトペやサウンドエデュケーションに関する既存研究は豊富である。オノマトペは、辞典としてまとめられ、詳細な法則性が明らかとなっている。しかしながら、実際にそのいくつかのオノマトペは、2021年現在でも、辞典に示されるような類型で認識されているだろうか。また、サウンドエデュケーションの研究では、量的質的な分析を併用した実践報告は乏しく、社会デザインというキーワードと併せて論じられた論考は見当たらない。

 本稿の目的は、サウンドスケープデザインを社会デザインの文脈で捉え直し、オノマトペの描画から、相互理解を深める教育実践としてのサウンドエデュケーションを論じることである。

 研究方法は実践研究として次の3つの段階を経て研究を進めた。まず、筆者の講義受講生である大学生を対象として、元永定正の絵本『がちゃがちゃ、どんどん』を参考に、「ざあー」「さらさら」「ごーん」の3つのオノマトペを描画させた。次に、学生たちでこれら3つの具体的オノマトペ描画を見合い、順にその意図などを解説させた。最後に、講義終了後、大学生たちに振り返りとして感想を記入させた。

 これらの結果から、3つのオノマトペ描画の表現形式の共通点および相違点を分析した。また、サウンドエデュケーションの文脈から、「異なる聴き方への気づき」「多様な聴き方の発見」「他者の理解」への効果をテキスト計量分析KHCoderを用いて質的量的に分析した。

 分析の結果、3つのオノマトペ描画から、1.アナログメディアからデジタルメディアへ移行したことによるオノマトペの変化、2.食生活の変化によるオノマトペの変化、3.文化圏によるオノマトペの認識の相違などが指摘された。さらに、学生たちの感想から、「違う」「面白い」という語が共起して現れており、異なるオノマトペ描画に対し、学生たちが相互に興味関心を示し、気づきや発見をえて、他者理解の促進に役立ったことが明らかになった。

キーワード:社会デザイン、サウンドスケープデザイン、オノマトペ、サウンドエデュケーション、ナラティブ


◇第3報告

騒音計に対する人の聴力の優位性―戦前日本の騒音研究から絶対音感教育まで―

石橋幹己(国立劇場)

 人間の聴覚を代替する「騒音計」というメディアについて、戦前の日本の事例を参考に、感覚と機械の関係性と日本音響学会の創設に参加した人物の動向に焦点を当てて考察を重ねる。

 先行研究では、「近代合理主義に基づいた「科学技術」は、生身の人間の実感から切り離され」た。そのため「騒音計」は科学技術で証明された数値を表すだけの機械であり、「人間の感性や感動は完璧に除外されている」と指摘された(鳥越けい子『サウンドスケープ:その思想と実践』鹿島出版会、1997年、206-207p)。

 確かに現在の騒音計の構造からはこの通りだが、戦前の騒音計について考えると必ずしも同じ推論を導けるとは言えない。

 当時の騒音計は、医療用に開発された聴力測定機を応用しており、片方の耳を計測器に当てもう片方の耳で外部の音を聴き比べることによって、騒音のうるささを計測していた。騒音の計測に当たっては人間の聴覚が不可欠で、計測結果には必ず個人の感性が反映された。しかしその測定者は自らの主観を律した聴覚の使い方を訓練しており、誰もが同じ騒音で同じ数値が示せるよう注意を働かせた。

 そのため彼らは、機械と自らの聴力を比較し、可聴領域の範囲内では機械よりも人間の張力の方が優れているということに気付き、耳の性能を積極的に応用するようになっていった。騒音計があるにも関わらず人の感覚だけで街の騒音を計測したり、敵機の襲来を聴取する空中聴音機の活用したりした。

 これは日本音響学会の創立とも関連しており、航空研究所の小幡重一、理化学研究所の田口泖三郎、東大心理学研究室の廣瀬錦一、同大学耳鼻咽喉科の颯田琴次らが共同して実験科学で人間の聴力の開発に力を注いでいる。彼らは一般市民の聴力を鍛えるため「絶対音感教育」が推奨された。

キーワード:騒音計、聴力、日本音響学会、実験科学、絶対音感教育