昭和48年(1973年)7月に佐賀市内3RC(佐賀・佐賀西・佐賀北)交換学生協議会(国際奉仕委員会)を発足させ、学生の受け入れ、送り出しの規約制度を検討するようにしました。7月ゴールデンランチ(カレーライス)を行い食事代差額を西アフリカ諸国の旱魃救援金とすることにしました。11月には佐賀RCがホストで近隣13地区親善ゴルフ大会が行われ112名が参加、親睦を深めました。
昭和49年(1974年)2月佐賀ローターアクトクラブがシンガポール研修旅行に出発、当クラブより小川・内田両会員が同行、シンガポールでロータリークラブを通じ色々な交流を行い大成功であったそうです。また3月には青少年交換学生のデヴィーデカソン嬢がNHK「こんばんわ九州」に出演しロータリーのこと、お国のこと等を話し広報活動の意味で効果満点でした。4月にはインターアクトクラブを通じて全校生徒の協力で行っていた愛の古切手運動で古切手5万枚を寄贈して清和高等学校へ感謝状が贈呈されました。RI創立50周年記念事業として南京ハゼの植樹石碑を建立しました。5月に第370地区世界社会奉仕事業の1つとして釜山地区RCと共同で行う植樹計画の援助金40万円を送り同事業が発足しました。8月には市内3RC(佐賀・佐賀西・佐賀北)及びNBC佐賀放送局主催で「ねむの木詩」チャリティー映写会を開催、益金を児童施設に寄付しました。交換留学生のケネス・ビーファリー君が来日して始めた柔道で初段の資格試験に合格、メデタシ、めでたしでありました。
昭和50年(1975年)4月には第366地区(韓国釜山市)年次大会に当クラブ会員が参加し友好親善の記念植樹を行いました。昭和51年8月商工会館における最後の例会を迎えました。昭和30年1月より21年8ヵ月間お世話になった例会場とのお別れ例会です。9月よりホテルニューオータニ佐賀が新例会場となりました。
昭和52年(1977年)2月牛津RC創立総会が開催されました。スポンサークラブは佐賀RCです。4月釜山地区大会に当クラブ会員が出席の為訪韓し記念植樹を行いました。5月には清和高等学校インターアクトクラブが日本善行会より青少年善行表彰を受けました。
昭和53年(1978年)2月25日創立25周年記念式典を挙行、記念事業として南釜山RCとの共同事業として身障者施設に車椅子7台を寄贈しました。さらに会員のアイバンクへの登録を行い、小学校への植樹、児童画スケッチ大会等も行いました。また村松剛氏を迎え記念講演会も催されました。
同年3月国際ロータリーの創立75周年を記念して佐賀市内の3RCが共同で文化教育講演会を実施しました。会場は市村記念体育館でした。約1,200席を準備しましたが満席となり席不足でその対応に苦慮しました。講師はテレビ寺子屋でおなじみの吉岡たすく氏と国学院大学の樋口清之氏でありました。
同年8月インターアクトの年次大会を佐賀RCでお世話しました。佐賀清和高等学校インターアクトクラブと密に連絡を取り、学生諸君の希望を最優先に取り組みました。会場は川上の龍登園でした。記念講演は盲目の小説家、宮崎康平氏にお願いをし高校生向きに歴史を折り込んで話して戴き好評でした。
昭和54年(1979年)5月には親子で参加を呼びかけたオリエンテーリング大会を佐賀市内3RC共同で行いました。場所は風光明媚な川上峡にコースを設け、約3~5時間の競技でした。コースを廻り終えて家族でお弁当をつつかれている姿がなんとも微笑ましい光景でした。
昭和57年(1982年)北島常一ガバナーノミニーの壮行会がクラブの行事として挙行されました。北島常一氏のガバナー年度に佐賀RCは創立30周年の記念日を迎えたのでした。
30周年はニューオータニ佐賀で開催されました。南釜山RCより禹昌雄会長ご夫妻はじめ多数の会員の方々が来佐され式典に参加されました。式典は時節を考慮し、質素な中にも格別意義深いものでありました。記念事業は南釜山RCと共同で佐賀城跡鯱の門前に大型観光板「佐賀城下みてあるき」を設置寄贈しました。記念講演は佐賀大学教育学部教授杉谷昭氏が「鎖国から開国へ」という演題で話されました。