長野県野球協会とは
CONCEPT
CONCEPT
野球というスポーツが信州にもしっかり根を下ろしている21世紀の今、なぜ新たに「長野県野球協会」を設立するのか。なぜ、野球界には今まで、他のスポーツでは一般的である統括組織が存在しなかったのか。不思議に感じておられる方は少なくないと思います。歴史的な経緯も踏まえて、私どもの考えをご説明いたします。
■わが国最大の人気スポーツだった野球
発祥地の米国から日本に野球が入ってきたのは明治5年(1872年)のことでした。武道や相撲が身体運動の中心だったわが国にあって、この魅力的な新しい球技は最初に学生野球として、次いで社会人野球や職業野球と呼ばれていたプロ野球など、戦前・戦後を通じて飛躍的に発展します。スター選手にあこがれて白球を追う子どもたちの姿が全国各地にあふれ、野球は自他ともに認める国内最大の人気スポーツに成長しました。
ただ、それぞれの野球界が独自の方針で活動を進めたため、横の連携が希薄なまま各団体の林立が固定化し、アマチュア野球とプロ野球との深刻な対立も長く続きました。
■スポーツの多様化・少子化と野球離れ
そうこうするうちに、1990年代に到来したサッカーブーム、さらに21世紀に入って加速したスポーツの多様化と少子化に野球は直面します。「観る野球」はともかく、「する野球」は時代に取り残される傾向が見え始め、2010年代には競技人口の減少が際立つようになりました。中でも子どもたちの野球離れは急激でした。
危機感を募らせた野球人たちによる恩讐を越えた結束の動きが国内各地で芽生え、信州野球界では平成28年(2016年)に全国でも先進的な全県組織「長野県青少年野球協議会」を設立。小中高校生を対象にした硬式・軟式野球の諸団体が手を携え、底辺拡大と振興策の促進や指導者研修など課題の解決をめざして動き始めました。当時、プロ・アマ間の溝は埋めきれなかったため、統一の組織化は先送りにした経緯があります。
■野球再生に向けた機運の盛り上がり
その後、競技人口の増加策を基軸とした野球再生には関係者が一丸となって対処すべきだ、という機運が盛り上がります。そのためにプロ・アマ交流の緩和路線が打ち出されたことが一つの契機となり、女子野球を含む小中高校生世代に社会人や大学、独立リーグ、シニア層の野球などを加えた信州野球人の結集をめざす準備を令和2年(2020年)11月から重ねました。そして、長野県青少年野球協議会を発展的に継承して15団体が加盟する初の全県統括組織「長野県野球協会」を設立する運びとなり、今年1月11日に報道18社の出席を得て長野県庁で開いた記者会見で設立目的や加盟予定団体、活動計画の概要を発表。協会設立記念の「第1回長野県知事杯争奪プロ・アマドリームトーナメント」を3月19、20日に長野オリンピックスタジアムで開催したのに続き、4月1日付で協会を設立しました。今年は米国からの野球伝来150年という記念すべき年でもあります。
■めざすは「子どもたちに選んでもらえる野球」
一連の取り組みは、いわば「ピンチはチャンス」と捉えた新たなチャレンジです。放っておいても野球の好きな数多くの子どもたちが白球とバットを握ってくれた往年の面影は既にありません。この際、人気スポーツという栄光にあぐらをかいて普及・振興活動に手をこまねいた「過去の野球界」とは決別いたします。そして、子どもたちに「野球を選んでよかった」と言ってもらえる環境づくりを主な目的に掲げ、私たち長野県野球協会は歩み続けてまいります。モットーは「野球の未来へ 心をひとつに。前へ、前へ」です。
【長野県野球協会 説明スライド】