ローメエレドの谷を揺るがす咆哮が空に木霊する。
魔法の剣の鍛造に必要な「緑鉱石」、「水の珠」、そして「ドラゴンの炎」が揃ったその日、フルヴィオたちは竜カルネウの背に乗り、旅立ちの時を迎えていた。
「聞こえるか、あの声が」
リナルドが天を仰ぎ呟いた。
「この谷に生きる竜たちの祈りだ。あの剣を鍛えよと背を押している」
「行くぞ!」
フルヴィオが声を張り上げた瞬間、カルネウは大地を蹴り、山々を震わせるほどの咆哮を放った。
轟音と共に、竜の巨大な翼が広がる。谷を包む風は嵐となり、周囲の竜たちが呼応するように声を重ねた。その咆哮は祈りであり、誓いであり、旅立つ仲間への祝福だった。
「すげえ……!」
ミーアは思わず身を伏せながらも、瞳を輝かせる。
リナルドは髪と衣を激しい風に翻しながら、低く呟いた。
「この声は……未来を告げる鐘の音だ」
ラヴィアは一歩、竜の背で膝をつき、両手を胸に当てる。
「竜たちよ、あなたたちの祈りは受け取った。必ずや、この刃に結実させよう」
「では、我が故郷リルダスへ!」
マハトの声と同時に、カルネウはさらに翼を打ち振るい、ついに谷を飛び立った。
谷を包む大地の響きが遠ざかり、青空が眼前に広がる。彼らは世界を越える旅へと乗り出したのであった。
風を切り裂く中、ミーアが笑い声を上げる。
「ドラゴンの背中に乗って空を飛んだだなんて言っても誰も信じねえだろうな!」
そのあどけなさに、隣のリナルドは眼差しを柔らげた。
「信じられぬ者もいるだろう。だが歴史は信じるか否かに関わらず刻まれる。――この旅路もまた」
ラヴィアは長い銀髪を風に揺らし、静かに瞼を閉じた。
「竜も、人も、エルフも、ドワーフも……種族を越え、ひとつの刃を打ち鍛える。その力こそが世界を繋ぐのだな」
「リルダスの同胞も、そやつらの熱に心を動かされよう。あの巨大な大穴の都でな!」
マハトは嬉しげに髭を震わせた。
遥か西方、暗き城にて。
玉座に座す魔王は、薄笑いを浮かべながら耳を澄ました。
「……聞こえる。竜どもの雄叫びが。あの剣が再び鍛えられようとしているか」
魔王の目は禍々しい光を宿し、封じられていた魔物の牢を開かんと手をかざした。
「ならばよかろう。"厄災"を再び解き放ち、世界を焼き尽くしてくれよう」
谷を飛び立ったカルネウは、天を裂くように翼を広げ、風を切り裂いて北へと駆けた。
眼下に広がる大地はあっという間に流れ去っていく。森も川も山も、歩みなら数日を要する道程が、一振りの翼で瞬きのうちに遠ざかっていった。
「すげえ……あの山一つ超えるのに二日はかかるのに!」
ミーアが思わず声を上げる。
「俺たちの足では到底及ばない速さだな」フルヴィオが感嘆の息を漏らす。
「天の道を行くのは竜のみ……それを今、我らは共にしている」リナルドは詩を口ずさむように呟いた。
ラヴィアは目を細め、陽光に照らされた大地を見下ろした。
「果てなき大地も、竜の背にあれば一枚の絵のごとく。歩みの労苦を超え、我らは天の視座を得たな」
「リルダスはもう近いぞ!」
マハトの叫びと同時に、遥か彼方の地にぽっかりと穿たれた巨大な大穴が姿を現した。それがドワーフの国、リルダス。
歩きなら幾日もかかる道程を、ほんのひとときで駆け抜けて――フルヴィオたちは、ついにドワーフの王国へと辿り着いたのだった。
やがて、リルダスが眼下に広がった。
巨大な竜の影に気づいた民は驚愕し、警鐘が鳴り響いた。
「竜だ! 敵襲か!」
しかし、カルネウの背から降り立ったマハトが声を張り上げる。
「恐れるな、同胞よ! 我らは友だ! この竜も人もエルフも敵ではない。世界を救う剣を鍛えるため、我らの国に来たのだ!」
その言葉にどよめきが広がり、やがて長老たちが姿を現した。
彼らは深い皺の刻まれた顔を寄せ合い、マハトの説明に耳を傾ける。
「緑鉱石、水の珠、そして竜の炎……三つが揃ったか」
「ならば、我らが鍛えぬ理由はない」
しばしの協議ののち、長老のひとりが重々しく宣言した。
「明朝より鍛造を始めよう。客人たちは今宵休み、英気を養うがよい」
その決定に一行は深く頭を垂れ、翌日の大業へ向けて胸を高鳴らせた。
その夜、彼らはドワーフ流のもてなしを受けた。
長い石の卓に並んだのは、岩塩で焼かれた肉の塊、濃厚な黒麦のパン、香辛料の効いた根菜の煮込み。そして琥珀色のエールが大ぶりの木杯になみなみと注がれた。
「こいつは……腹がはち切れちまうな!」
ミーアが豪快に肉へかぶりつき、エールを煽る。
「はっはっは! それでこそドワーフの宴だ!」
職人たちがどっと笑い、杯を打ち鳴らした。
フルヴィオは火炉の熱を思い出しながら、無骨な職人たちとの語らいに心を震わせていた。
「明日の鍛造……しかと見届けさせてもらう」
「任せろ、ドワーフの槌がいかなるものか、存分に示そう」マハトが誇らしげに応えた。
リナルドは杯を置き、静かに呟いた。
「ここに集う声と技と魂、そのすべてが剣に宿るのだろう」
ラヴィアは微笑み、目を伏せた。
「ならば、明日の光は必ずや世界を照らすものとなる」
こうして一行は、厚い石壁に囲まれたドワーフの客間で休息の夜を迎えた。
大穴の底にはなおも槌音が響き、翌日の鍛造に向け、ドワーフたちはひたすら準備を続けていた。
翌朝、リルダスの大穴は異様な静けさに包まれていた。
普段なら鉄槌の音と炉の轟きが途絶えることのない都も、この日ばかりはすべての仕事が止められていた。
やがて、選ばれし腕利きの鍛冶師たちが中央の広間へ集う。彼らの髭は火に焼かれ黒く縮れ、その目には鋼のごとき光が宿っている。
「これより、英雄の剣を鍛える」
長老の一人が静かに宣言する。
民は息を潜め、ただ遠くから見守る。
世界を変える一振りが打たれる刻が、ついに始まろうとしていた。
そして、広場の中央には、緑鉱石と水の珠を載せた巨大な金床が据えられ、その前に竜カルネウが翼を畳んで佇んでいた。
「いよいよか……」
フルヴィオが喉を鳴らし手に汗をにじませる。
ミーアは息を詰めて見上げ、リナルドは祈りにも似た言葉を小さく紡いでいた。
ラヴィアは瞳を閉じ、魔力を練り上げている。
カルネウはゆるりと大きな頭を上げ、集まる視線を一身に受け止めた。
「貴様らが"末期の輝き"と呼ぶ炎は命を大きく削る。だが、この時のためなら惜しむものではない」
その言葉に、広場の空気がさらに張り詰める。
ドワーフたちは槌を構え、次の一瞬を待ち受ける。
――やがてカルネウの胸奥が赤々と光を帯び始めた。
大きく息を吸い込んだ次の瞬間、咆哮と共に轟音を立て、嵐のような高熱の炎が吐き出された。空気は瞬く間に焼けつき、耳をつんざく破裂音と共に、炉の炎が白光へと変わる。
炎に慣れたはずのドワーフたちでさえ、思わず顔を覆い、髭を焦がすほどの熱に一歩退く。だがその瞳には畏怖と同時に、神話の再現を目の当たりにしたかのような輝きが宿っていた。
炉に火が入れられると、リルダス全体に再び鉄と炎の匂いが広がった。
轟々と燃え盛る炎の中、緑鉱石は鉄と混ざり合い、白熱の奔流となって流れ出した。赤々と溶けた金属が炉の底に集まり、ドワーフたちの槌が一斉に振り下ろされる。火花が散り、雷鳴のような響きがリルダスの大穴に反響した。
その刹那、水の珠が淡く輝き、ひとしずくの清冽な水を吐き出す。蒸気が奔り、轟音と共に白い霧が鍛冶場を包み込む。灼熱と冷気の交錯の中、徐々に形が浮かび上がった。
――それは剣だった。まだ粗削りでありながら、光を孕んだ刃が輪郭を現す。ラヴィアが息を詰め、大粒の汗を額に浮かべながら両手を翳して魔力を注ぎ込み、ミーアは言葉を忘れて見入り、リナルドは眼差しを閉じ祈るようにその光景を受け止めた。
「…出てきたぞ、魔法の剣だ」
汗にまみれたフルヴィオが低く呟き、マハトは深紅の火花を浴びながら満足げに笑った。
やがて、あまりの高温に炉の石壁が一部崩れ、鉄槌の一本は熱に耐えきれず折れた。だがドワーフたちは狼狽えるどころか、歯を見せ笑い合い、折れた槌を投げ捨てながらさらに熱狂的に鍛造を続けた。
槌音は次第に速さを増し、ドワーフたちの息遣いと重なって一つの楽曲のように響いた。赤熱の金属は打ち延ばされ、削られ、やがて鍛え上げられた刃の姿を現す。炉の奥で脈打つように輝くそれは、まるで命を宿したかのようだった。
最後の一打が響き渡り、カルネウの吐いた炎の残滓が刃を包む。次の瞬間、緑鉱石の力と水の珠の清浄な輝きが結びつき、剣は眩い翠光を放った。鍛冶場を照らすその光は昼の太陽にも匹敵し、誰もが息を呑む。
「……完成だ」
マハトが低く呟き、フルヴィオは震える手で剣を掲げた。その刃はかつての魔法の剣を凌ぐほど煌びやかで、見守る者の心をも射抜く。
リナルドはしばし沈黙したのち、静かに目を細めて言葉を漏らした。
「かつての剣よりも……なお一層、輝いている……」
その声は祈りにも似て、響いた瞬間、誰もがこれが運命を変える刃であることを悟った。
翠光を放つ剣の前で、老いた竜カルネウは瞳を細めた。
失われた恋仲の影を胸に、老竜は静かに翼を伏せた。
その時、ラヴィアがふらりと膝をついた。全身から力を絞り尽くした彼女は、翠の光に照らされながら意識を手放す。フルヴィオが慌てて抱き止める。
「大丈夫だ、気を失っているだけだ」
汗に濡れた額を見て、誰もが彼女の献身を悟り、深く頭を垂れた。
そして夜。鍛造を終えたドワーフたちは巨大な炉の前に酒樽を並べ、豪快な歌と共に祝宴を開いた。火花が舞い、杯が打ち鳴らされ、リルダスの大穴は歓喜の声で満ちた。翠光の剣は中央に置かれ、まるで星のように輝き続けていた。
その頃、遥か西の魔王の城。
闇に閉ざされた玉座の間で、魔王は遠くリルダスから届いた翠光の気配に目を細めた。
「……また剣が生まれたか。ならば、封じられし厄災を解き放つまで」
低く笑う声と共に、古の牢獄の鎖が軋み、暗き魔物が蠢き始めた。
夜明け。まだ朝靄の残るリルダスの大穴に、出立の支度を整えた一行が立っていた。
完成した剣は、その大きさと重みからフルヴィオが携えることとなる。鍛冶職人としての彼にこそ相応しいと、皆が納得していた。
また、ドワーフたちはそれぞれに緑鉱石で作られた武具を贈った。ミーアにはしなやかな刃を持つ短剣が与えられ、彼女は試すように軽く振り「こりゃ、いいねえ」と目を輝かせる。ラヴィアには魔力を増幅させるイヤリングが渡され、耳元に光を宿すその姿は、女王として一層気高く見えた。リナルドには緑鉱石を埋め込んだ指輪が嵌められ、その輝きに彼は静かに頷いた。
出立の際、マハトの妻が門まで見送りに来ていた。
「無茶はしないでおくれよ」
「はっ、俺を誰だと思ってる。魔王をぶん殴ってでも帰ってくるさ」
マハトは誇らしげに笑い放つと、妻は呆れたように微笑み、そっと彼の手を握った。
その様子を見ていたカルネウは、ふと亡き恋仲ルイネウの面影を胸に呼び起こした。
(……我ら竜も、人も、愛する者のため戦に向かう姿は変わらぬものか)
「昨晩は妻とふたりで火花を散らしておいたからな! 眠れぬ夜を過ごしたわ」
豪快に笑うマハトに、ミーアが目を丸くして首を傾げる。
「え、夜中まで作業してたのか? 鍛冶師って大変だなあ」
その素朴な問いに、フルヴィオは思わず吹き出し、リナルドまで肩を震わせて笑った。
意味を理解できなかったミーアが首を傾げ、場は笑いに包まれた。
やがてカルネウが翼を広げ、風を巻き起こす。
リルダスの大穴に立ち並ぶドワーフたちは力強い歌で仲間を送り出すと同時に、「鉱脈を砕くためのものだ。何かの役に立つかもしれん」と小粒の爆弾が詰まった麻袋を手渡した。
「魔王の城まで乗せてやる。さあ、背中に乗れ」
老竜の声に一行はうなずき、次々とその広い背に跨った。
こうして一行は、緑の光を宿した新たなる剣を携え、魔王討伐の旅路へと再び歩み出すのだった。