諸子百家 あり


儒 年表


127/08/29~200/6月 鄭玄 じょうげん ていげん

1020~1077/12/06 張載 ちょうさい

1032~1085/07/09 程顥 ていこう 字は伯淳。明道先生と称された。

1033~1107/10/05 程頤 ていい 字は正叔。伊川先生と称された。

1130/10/18~1200/04/23 朱熹 しゅき

1472/10/31~1529/01/09 王陽明 おうようめい

1527/11/19~1602/05/07 李卓吾 りたくご

1561/02/08~1619/10/19 藤原惺窩 ふじわらせいか

1567~1618 姜沆 きょうこう

1805/03/21~1877/06/26 山田方谷 やまだほうこく

1830/09/20~1859/11/21 吉田松陰 よしだしょういん 

1898/02/13~1983/12/13 安岡正篤 やすおかまさひろ

1926/4月~戦後 金鶏学院(きんけいがくいん)安岡正篤の私塾。


 Lexicon

近思録

孔子家語

陽明学

陽明学者

社稷

五常

八徳

浩然の気

三綱領・八条目 『大学』に説かれている。

三綱領は,明明徳 (明徳を明らかにする)親民 (民を親しく愛する)止於至善 (至善に止まる)

八条目は,格物,致知,誠意,正心,修身,斉家,治国,平天下。この八条目のおのおのは,それぞれ三綱領に配当される。

修身斉家治国平天下

-近くから遠くへという認識論であろうか?中華・華夷思想?


第三十二章

第一節

唯天下至誠。 爲能經綸天下之大經。 天下之大本。 知天地之化育。

夫焉有所倚。

唯ただ天下の至誠のみ、能く天下の大経たいけいを経綸けいりんし、天下の大本たいほんを立て、

天地の化育を知ると為す。

夫れ焉いずくんぞ倚よる所有らん。


経綸の経も綸も、もともと、絹糸を扱うことに関した言葉である

経とは、その糸束の端をきちんと揃えて分けること、綸は、同類の糸を並べて一緒にすること

転じて、要するに我国でも普通にいう経綸

天下で最も至誠の人のみが能く天下の大経を経綸する

大経の経は例によって常、大なる常とは五項目の人倫、即ち 「父子の親あり、君臣議り、夫婦別あり、

兄弟序あり、朋友信あり」 の五倫をいうのである

至誠の人のみが天下最大のコンスタント事項、五倫の道、を真の意味で研究・実践することができる

聖人の徳は極度に誠で無妄であるから、人倫において、それぞれ、その当為の内容を完全に

実践して、(その一倫一倫が) 天下後世の法則となることができる

経綸する、というのはそのことである

至誠の人はまた、天下の大本を立てることができる

大本とは、首章の 「中なるものは天下の大本」 という大本、つまり未発の中、即ち、

完全なる本質としての性を指す (それに対していえば大経、経綸は達道・和に属する)

完全なる本質としての性は天理そのものであって、人欲の偽 (意図的な作為) というものは

一毫も雜まじっていない

そして千差万別の道というものはみなそこから出てくるのであって、天下の大本を「立てる」とは

その点をいうのである

千差万化がそこから出てくる所の大いなる根本を立てる、という意味である

天地の化育を知るという化育は、第二十二章の化育、若しくは首章の位育、であるが、

それを「知」るというのはもちろん単なる 「聞見の知」、即ち感覚的、経験的に知ることをいうのでなく、

その無妄なる誠の極致が化育作用と默契する、暗黙のうちに符号し一致すること、

即ちいわば 「形而上」 的に知る、ことに他ならない

以上の三つのことは、すべて無妄なる至誠のおのずからなる効用、働きに他ならない

決して、他の何らかの物 (外物) に依拠してはじめてそのようであり得る、というのではないのである

一般の学問者であれば、どうしても誠以外の何らかのものに依拠し、それを骨骼にする、

ことを免れないであろう

しかし聖人はいわばいささかの欠陥もない実理そのものであるから、天地の化育を知り、

未発の中を立て、五倫の道を実践することも、只只自然に此かくの如くなのであり、

心中より堂々然として流出しきたるのみなのである