過渡的等速電気泳動による尿セルフリーDNAの抽出
結核 (Tuberculosis; TB) は,結核菌(Mycobacterium tuberculosis; MTB)によって引き起こされる予防可能な病気である.2023年には,コロナウイルス感染症(COVID-19)によって3年間一時的に抑えられていたものの,再び単一の感染症として世界最多の死因となった.また,結核はHIV/AIDSの約2倍の死者を出し,毎年1000万人以上の人々が新たに結核を発症しており,2024年その数は増え続けている.この状況から国際連合(UN)および世界保健機関(WHO)が採択した”2030年までに世界中の結核を終息させる”という目標を達成するために早急な対策が求められている.
結核菌は,感染者などが咳をするなどして細菌を空気中に排出することで広がる.世界人口の約4分の1に感染していると推定されている[1].感染後,結核を発症するリスクは最初の2年間が最も高く(約5%),その後はかなり低くなる.毎年新たに発症する患者の約90%は成人であり,男性のほうが女性よりも多い傾向がある.結核は主に肺に影響を与える(肺結核)であるが,ほかの部位にも発症する可能性がある.WHOのGlobal Tuberculosis Report 2023[2]によると,結核に関する主要なデータは以下の通り。
2023年新たに結核と診断された人は世界全体で820万人と報告されており,これは2022年の750万人,2019年の710万人から蔵越しており,2021年の640万人という水準をはるかに上回っている.2022年と2023年に新たに診断された人の中には過去数年間に結核を発症したものの,COVID-19関連の混乱により診断と治療に遅れた相当数の未治療患者が含まれていると考えられる.
結核による世界の推定死亡者数は2023年に2年連続で減少し,2020年と2021年にCOVID関連の結核診断と治療の混乱が最悪の時期に発生した増加の反転が続いている.2023年には,結核による死亡者数は世界で125万人と推定されており,そのうちの109万人はHIV陰性者である.この合計数は2022年の推定132万人,2021年の推定142万人よりも下回っている.世界全体では2015年から2023年まで結核罹患者の純減は8.3%で,WHOの結核集束戦略の2025年までに50%削減という目標には程遠い.
2022年から2023年にかけての世界的な感染者の増加のほとんどは人口増加を反映しており,2023年の結核感染率(10万人あたりの年間新規感染者数)は134で,2022年と比較して非常に小さな(0.2%)増加となっている.
現在,結核診断のためのほとんどの検査は,喀痰サンプルを必要としている.例えば,結核が流行しているほとんどの国では,喀痰塗抹顕微鏡検査による診断が行われている.100年来の診断技術で,簡便で安価な診断方法ではあるが,陽性判定には1 mLあたり5000〜10000個の菌が必要であり,感度が低い[3].また,薬剤感受性結核か薬剤耐性結核かを識別できないという欠点もある[4].さらに,結核菌の培養にあたっては高価な専門機材が必要であるほか,バイオセーフティーレベル3以上の設備を必要とするなど,技術的・生物学的安全性の要件からハードルが高い[3][4]ため,とくに結核の被害が深刻な発展途上国での導入・普及は難しい.さらに,喀痰サンプルを必要とするこれらの検査方法は,ヒト免疫不全ウイルス (HIV) 併発患者や小児患者,肺外結核患者といった喀痰の提供が難しい集団に対しては,適用が限定的である.
このような世界全体の課題に対して,より簡便で迅速に疾病の有無が分かる検査方法が求められている.
前節では,喀痰サンプルを⽤いた結核検査法を紹介したが,このような病変が疑われる⽣体組織や細胞などを採取し,顕微鏡等により直接観察することで疾病検査する⼿法を総称して「⽣検」と呼ぶ.近年,組織⽣検に変わる診断⼿法として,リキッドバイオプシーが注⽬されている.リキッドバイオプシーは,⾎液や尿といった体液サンプルを使⽤して疾病診断を⾏う⼿法である.従来の外科的な⽣検と⽐較して侵襲性が低いため,患者への負担が少なく,また短いスパンで繰り返し検査できることから,病状をほぼリアルタイムに追跡可能である.リキッドパイオプシ―において,cell-free DNA (cfDNA) は,主要な検出対象である.cfDNAは,細胞死や細胞溶解により,細胞外へ放出される遺伝物質の総称である[7].⾎液や尿中には,例えば⾎管や尿管由来といった様々なcfDNAが含まれているが,その中の⼀部に疾病由来のDNAも含まれていることが知られている.この疾病由来のDNA は,患者の体液中においてその濃度が⾼くなるため,これを検出したり,定量評価したりできれば,⾎液検査や尿検査による,より⾼度な疾病診断を実現できると考えられている.リキッドバイオプシーの活⽤が期待されている疾病の⼀つに,癌がある.癌の診断⼿法としては,腫瘍組織⽣検が主流であるが,肺癌等の⼀部の疾患では,出⾎・神経損傷・疾患拡⼤のリスクが⾼いため,組織⽣検を⾏うことが臨床的に困難な場合も多くある[8].また,腫瘍細胞は空間的・時間的に不均⼀であるが,組織⽣検では採取した時点での,採取した部位の病状しか追跡できず,全⾝の病状 (例えば癌の転移) を適切に反映できない可能性がある[9].さらに,組織⽣検は多くの場合針やメスを使った外科的に⾏う.治療の過程で何度も⽣検を⾏うため,患者は苦痛に耐えなければならず,また実施回数には限界がある[10].⼀⽅,リキッドバイオプシーは侵襲性が低く,疾患の経過を通してサンプルを容易に⼊⼿できる.また,⾎液のような循環系を分析対象とすることから,癌の転移のような全⾝に渡る病状を追跡しやすいという利点がある.
本研究の目的は、尿中に微量に存在する結核菌由来cfDNA(セルフリーDNA)を検出対象とし、非侵襲的かつ迅速に結核を診断できる新しい技術を開発することを目的としています.
当研究室のアプローチとして,DNAが負の電荷を持つ性質を活かし,過渡的等速電気泳動(transit Isotachophoresis)を用いてセルフリーDNAに検出を行っています.
疾病由来のcfDNA を抽出する⼿段として,過渡的等速電気泳動(transient isotachophoresis; tITP) に着⽬した.DNAは負に帯電しているため,DNAを電気的に分離させようとする試みは⼀般的に⾏われており,様々なバリエーションがある.tITPは,電気泳動の中でも,DNAを濃縮するITPと,鎖⻑ごとに分離する通常の電気泳動 (zone electrophoresis; ZE) を統合し,⼀度の電気泳動で連続的に処理できるようにした⼿法である.
微量な尿中のセルフリーDNAを濃縮し,tITPに適用することで,疾病由来のDNAを選択的に抽出することが出来る.