私が単結晶X線解析X線解析を始めたきっかけは,九大薬学部大学院の恩師 田口胤三教授の一言である.
”四軸回折計が設置されていなければ武田研究所に頼むんだが”の一言
当時,薬品製造化学研究室ではインドメタシン関連化合物の合成研究を行っていた.インドレニンに酸クロリドを付加させⅠを得,ピリジンを加えピリジニュウム塩にした後,加熱して2,3-ジアルキル転位体(Ⅴ)を得ようという試みであった.ところが,目的物は少なく,主生成物としてV+原料の分子量に相当する生成物が得られた.
生成物の構造は以下の3種の中のAと見なして速報(1973年初め)した.
7. A General Synthetic Route of 3,3-Disubstituted 3H-Indoles and Rearrangement of Their Acyl Chloride Adducts
K. Takayama, M. Isobe, K. Harano and T. Taguchi, Tetrahedron lett., 1973 (5) , 365-368.
ところが,1973年後半に, カナダの研究者が, CMRを駆使して, 我々が提案したインドールダイマーの構造は誤りであり.常温で単離可能な回転異性体であると指摘してきた.
Atropisomeric Indole Derivatives: A Structural Revision
V. Dave, J. B. Stothers, and E. W. Warnhoff, Tetrahedron Letters 1973(43), 4229.
Diastereomeric Atropisomers
C-N結合の回転異性体が常温で単離された初めての例(大木道則教授)であることが判った.
構造の誤りを指摘された以上,当方としては.当然, 単結晶X線解析で確認する必要がある.ところが, 九州大学薬学部に単結晶X線四軸回折計は導入されたもののまだ軌道に乗っていなかった.それまでX線回折はその道の専門家が実施するのが常識であり, 植物化学研究室を中心に素人集団で勉強中であった.
田口教授は武田製薬の研究所に大きなコネを持っていたので, そこに解析を依頼することを考えていたとのことである. しかし, 寸前になり断念したと話してくれた. その際,「九州大学薬学部に機器が設置されていなければすぐに依頼しただろう」とも言っていた.
助手に就任した1968年の6月2日,大型計算機センター(建設中)に板付基地の米軍ファントム戦闘機が墜落し,その後大学紛争に発展し研究できない状態が到来した.その空白期間が一段落した後,実際に解析を初めて見ると,副業でやれるものではなく,本気で結晶学や計算機科学を勉強しなければならない局面に遭遇することとなった.
設置されているX線回折計(四軸回折計)はSyntex社が経口避妊薬の構造決定に使用し, 結晶学の専門家でなくとも解析ができると考え, 解析システムを世界的に販売することになったということであった. 日本では日本分光が代理店を開設していた. ところが, その頃は今のようなパソコンはなく,四軸回折計を操作するには, 紙テープでプログラムをロードする必要があり, そのためにブートストラップローダをスイッチ(4個のスイッチの集合)の組み合わせで操作する必要があった.
さらには, 米国の汎用計算機(IBM)は32ビット仕様であり, 我が国の大型計算機センターのメインフレーム(国策マシン)の36ビットマシンとは互換性がなく, 収集した磁気テープを計算機センターに持って行き読み込ませるには専門家にビット換算のサブルーチンを組み込む手法を教えてもらう必要があった. さらには, 位相決定は重原子法のみで,どんな空間群にも対応できる解析プログラムシステムはなく, 天然物でよくみられるP21P21P21専用と聞かされびっくり仰天した. ラセミ体である合成品が自由に解析できるには, 大阪大学蛋白質研究所の直接法プログラム(MULTAN)が九大計算機センターに移植されるのを待つ必要があった.
九大教養部の物理学研究室の上田, 河野の両先生を知ったのはそのような必然性によるものであった. その後, いろいろな問題に遭遇するが, 両先生に相談し, 指導を仰いだ.専門用語を理解し問題を解決するには, かなりの勉強が必要であり, 結晶学, fortran言語, 計算機システムのハードウエア, ソフトウエアなど多岐に亘った.
1977年頃からX線解析は軌道に乗ったが,重原子法に対応するためBr誘導体を合成する必要があった.結果的にはCl誘導体を用いて解析できたが,それなりの時間が必要であった.さらに,問題の1対の回転異性体の解析が成功するにはさらに時間が必要であった.
実際の構造は回転異性体
常温で単離可能なC-N結合では最初の例であった.
K.Harano, M.Yasuda, Y.Ida, T.Komori, T.Taguchi, Crystal Structure Communications, 1981, 10, 165
解析結果を公表できたのは8年の歳月が経っていた.
その間,教授は田口教授から兼松教授に代わったが,幸い新教授の研究はX線解析を必要とするテーマであったため,計算機を利用する仕事を継続すことができた.しかし,X線解析を始めるきっかけになった回転異性の証明はサブ的な存在になり,兼松教授が名古屋大学工学部から持ち込んできたX線解析待ちのサンプルの解析がメインになった.最初のサンプルの解析が進むと,前報(J. Org. Chem.)のスペクトル構造解析(緑枠)が誤りであり,連続周辺反応成績体(赤枠)であることがわかった.一瞬解析結果の報告をためらう状況になり困惑したが,取り越し苦労であった.そのことがきっかけになり,「Cyclopenntadienoneと不飽和中員環化合物との周辺環状反応」の化学が大きく前進することとなった.
X線解析が軌道に乗ると,他研究室や他大学の解析依頼に対応することも多くなった.それらの解析を通して化学領域の広さを実感することができた.
大型計算機を利用したことで,ペリ環状反応の理論的背景であるフロンティア軌道論,分子計算やデータベース等に手を出すのに抵抗はなかった.フロンティア軌道論, 情報処理学等の授業なども原点はX線解析を始めたことにあることは否定できない.
何が幸いするか予測できない典型的な例である.
[一言] 何が幸いするかという見方とは逆に何が災いになるかは紙一重である.