設立当初は早稲田大学稲穂キッカーズのメンバーを中心に構成されておりましたが、現在は背景も様々なメンバーが入り混じっています。その中で、お互いの多様性を認め合いながらチーム一丸となって勝利を目指して頑張っています。
ラシンクラブは地域や企業のような母体を持っているわけではありません。ただ、1989年にはじめて東京都社会人2部リーグに昇格して以来、20年という 長きにわたって2部リーグ以上の地位を守り続けてきた実績は、我がチームのように基盤の脆弱なチームとして偉業であり誇れるべき点であります。
決して優れた選手が多かったわけではありませんが、“全員が協力し合い、一丸となって愚直に勝利を目指す集団”であることがラシンクラブの強みであり、長いあいだチーム力を維持し続けてきた原動力であると確信しています。これをベースに今後も勝利を目指して戦い続けます!
1985年に東京ライオンズのメンバーと早稲田大学稲穂キッカーズOBが合体して、めでたく誕生しました。
両方に籍のあった永澤清孝氏、山中康夫氏、アメリカ大使館員のダグラス・ボイル氏を中心にメンバーが結集しました。今は有名人となった タレントの川平慈英氏、12CHの朝の子供サッカー番組を担当するトム・バイアー氏も一時在籍しました。練習場所は主として、アメリカ大使館のコネクショ ンで相模原の米軍キャンプ内の芝生のサッカー場をよく利用しておりました。
ちなみに、東京ライオンズはフランス人が作った在留外国人(当時は各国大使館員が多かった)と日本人の混成チームで、元イラク代表、元ガボン代表も在籍した国際色豊かなユニークな草サッカーチームで、外国人チームのリーグ戦においてもあまり負けがありませんでした。
また、早稲田大学稲穂キッカーズは早稲田大学で最も歴史と伝統のあるサッカー同好会で、今でも多数の部員を擁する全国でも屈指の強豪チームです。なお、日本代表の岡田武史監督が一時在籍していたこともあることは巷では有名な話です。
発足当初は、新しく生まれたチームの宿命として、最下層の東京都社会人リーグ4部からのスタートとなりました。4部は1年目でクリアー し、3部も軽く突破と目論んでおりましたが、思わぬ強敵であるアストラ倶楽部(現1部)と同リーグとなり、2年を要しました。2部では3年目で悲願の1部 リーグに昇格することができ、リーグに加盟してから1部まで足掛け6年かかりました。プレイスタイルは無骨だが、飲み会で培った?チームワークで勝利に執念を燃やすチームでした。