「川村俊蔵資料から探る霊長類研究の黎明期」
川村俊蔵(1927-2003)は、伊谷純一郎、河合雅雄らと同世代の、霊長類学創始者のひとりです。1940年代後半からニホンザルの研究、1960年代からは東南アジア各地で霊長類の野外調査を行い、ニホンザルのメスの順位の形成メカニズム(末子優位の法則)の発見などで知られています。川村がニホンザル研究を始める前の奈良公園のシカの個体識別の記録、末子優位の法則を発見したと思われる箕面の調査の野帳などを紹介して、霊長類学黎明期の調査の「記録」がどのように行われていたかを探りたいと思います。
「伊谷純一郎氏が遺した資料 現状の整理から見えてきたもの」
伊谷純一郎氏(1926-2001)は1940年代後半から各地でニホンザルの調査、とくに高崎山での調査を継続して行った、日本霊長類学のパイオニアの1人である。その後1958年からはアフリカでの大型類人猿調査を開始し、特にチンパンジー調査を進めている。またアフリカの農耕民や狩猟採集民の生態人類学的調査を展開している。また日本初の霊長類の研究拠点として1956年に日本モンキーセンターが設立された際、伊谷氏は最初の専任研究員の1人として、その立ち上げに尽力し、研究活動だけでなく一般への普及活動など博物館活動を進めた。伊谷氏が残した資料は膨大でまだ整理作業すら半ばであるが、本発表ではこれまでの整理の過程で見つけた資料から、日本モンキーセンター時代のことなどいくつかのトピックを紹介したい。
「西田利貞資料から見る初期のアフリカ類人猿研究」
西田利貞(1941~2011)は、1965年に京都大学アフリカ類人猿学術調査隊の第4次隊員としてタンザニアに派遣されました。その後、マハレ山塊でのチンパンジーの餌付けが成功し、西田は世界的な野生チンパンジー研究を牽引することになります。西田が初めてアフリカの地を踏んだ年は、ちょうど調査隊の隊長が初代の今西錦司から伊谷純一郎に交代した時期でもありました。この頃の西田の研究資料を中心に、この時期にどのようなことが現場で起こっていたのか、また西田がどのような記録を残していたのか、その一部を紹介したいと思います。
「顕達さんの頭の中―新世界ザルにおける父系社会の発見―」
西邨顕達氏(1938〜2019)は1962年〜1963年に野生チンパンジーのヒト付けに従事し、1964年からの高崎山でのニホンザルの観察を経て、1973年からは伊沢紘生氏らと共に南米各地で調査を展開されました。1977〜1980年にブラジルのFazenda Montes Clarosでムリキのパイオニア的研究を行い、1986年からコロンビア・マカレナで行われたウーリーモンキーの長期調査では、本種が霊長類では珍しい父系的社会を形成することを発見しました。顕達さんが遺された約1万枚の写真から、どんなことに注目されてきたのか、その変遷を明らかにしつつ、父系社会を発見するまでの頭の中を辿ってみたいと思います。
「場面としてのフィールドー写真・ノートから考える霊長類学の歴史」
霊長類学は、本格的に展開されるようになってからまだ約80年しか経っていない比較的新しい分野です。そのような若い学問の「歴史」を、どのように振り返ることができるでしょうか。日本の霊長類学の黎明期に撮影された写真とフィールドノートを手掛かりに、それらの記録をどのような単位で整理し、どのように組み合わせて扱うことができるかを検討します。そうした整理のあり方を通して、フィールドでの霊長類学の調査記録をアーカイブとして整えることの意義について考えたいと思います。