模範解答なんていらない。おまえ自身の〈在り方〉を啓け。
「課題発見」「問題解決」。そうした言葉に、どこか違和感を持つ者へ。なにか上から目線の、胡散臭い、二項対立の臭いを嗅ぎ取る者へ。それでは掬えないもの、そこからこぼれ落ちるものを、ここで見つめよう。
本ゼミにおいては、具体的な実践は「何をしてもいい」。重要なのは、その根底にある「自分はどうしたいのか」「なぜ自分がやるのか」を見つめ「自己の存在原理」や「自らの当事者性」に基づくことだ。そこに根ざしていれば、どんな実践や活動、研究、創作も可能だ。だからここで行うのは、それを問い、啓き、見つめることだ。
「哲学―メディア―藝術」とは、そのためのわれわれの共通のプロセスである。
藝術とはなにか。それはただの「創造」ではない。誰かの―自ら自身も含む―「世界の見え方」を変えることだ。なぜ「見え方を変える」のか。自身に/誰かにとっての世界が「生きられる場所である」と表明するためだ。そうして描き出したその〈在り方〉を、われわれの生として実現するためだ。
ゆえにわれわれは、「いまある世界に適応した模範解答」など求めない。「どう在るべきか?」を問い続け、各々の「在り方」=現時点での仮の答えを表明する。そうしてそれが、誰かの見え方を変える。そうした「問う者」の共同体として、それぞれの領域において、「哲学―メディア―藝術」という共通のプロセスに沿いながら、それぞれの探究とシコウ(思考/試行/志向)、対話を続ける。ゆえにここは、自らの実存を見つめ、構造へと投企するための、思索と対話の場所であり、探索の場所であり、創造の場所である。
世界は生きられる場所だ。私は、私の〈在り方〉に根ざし、誰かと生きている。そう言える世界を共に創ろう。