全シングルライナーノーツ
文:根本駿介
文:根本駿介
生きていると、心がどこか離れてあるような感覚に陥る時がある。
大事なものが手から離れた時。忙しさで心が擦り切れた時。取り返しのつかない失態をみせた時。心の傷に向き合えず、どこか心の置き場がない瞬間がある。
正しく傷つき、受け入れるまでには時間が必要なのだろう。もしかしたら一生かかるかもしれない。そしてそれは、誰とも分かち合えない、誰に頼ることもできない、孤独な時間である。
Pablo Haikuの楽曲は、そんな時間を描写している。歌詞に通底しているのは、後悔、痛み、諦観だが、彼らはそれを内省的に歌うことはしない。踊れさえする現代的なビートと、歌詞の距離にこそ彼らの魅力がある。
彼らの曲を聴くと、分かち合えないながらも、同じ時間を誰かも過ごしていることに安堵する。
1stシングル。この楽曲はナタリー共催のFRIENDSHIP.視聴会にて、ゲストキュレーターのmabanua(Ovall)氏を含め最多得票を獲得し、配信開始が決定した作品である。
この曲は冒頭の"What should I've said to her?"というリフレインに象徴されるように、もう会うことのない「彼女」にかけるべき言葉を探す曲である。歌の中でそれが見つかることはないが、ただ朝日の穏やかさに触れ、平穏を祈る。
穏やかながらもどこか切なさを孕んだピアノとストリングス、スウェルギター。オートチューンを強調した、熱が抑えられどこかぎこちない印象を与えるボーカル。
一方ビートは、UKガラージに影響を受けた不規則なキックと跳ねるリズムで、まるで無理矢理踊らせられているような感覚を覚える。
曲全体で、後悔している自分の所在のない心を表現しているかのよう。ファーストシングルから、Pablo Haikuの世界観が垣間見える一曲になっている。
2ndシングル。全曲とは打って変わってマッドチェスターサウンドを現代的に解釈した曲。急かすようなピアノとアコースティックギターのストロークによる推進力で進んでいくポップな曲。ローファイな音処理からは、90年代への憧憬を感じさせる。
ライブではよりダンスロック的な解釈がされ、定番曲となっている。そちらも必聴。
"In the bright sun rays,
I did the laundry twice. "
という、生活感と肌感覚を感じられる冒頭から、
"I read the news online,
about the choice you made. "
この歌詞をきっかけに、
"Turning off the TV,
Putting down my phone,
I thought of you for a while
without taking notes."
と、内省へと向かっていく。
その間も空元気のように明るいピアノが流れ、どこか沈みきらない。そしてその沈みきらなさこそがこの曲の核心である。
"I sometimes wanna try how deep I can dive."とはいえ、沈みきったその場所は自分には似合わないと知っているのである。
そして内省へと向かった心が、
"Hungry, tired, cooking is annoying,
But I don't really hate it.
Nothing to eat, need to go shop,
but it's not so bad to go outside. "
と、身体性によって引き戻されていくという構成が美しい。
3rdシングル。ブリットポップ、特にディスコの影響下にある曲の音像を目指したこの楽曲は、一方でギターロックバンド・Pablo Haikuとしての顔も覗かせはじめる。
ディスコチックな四つ打ちに乗るストレートな8ビートのギターからは、どこかポストパンク特有のクールさを感じられる。
歌詞には理想の関係を追い求めるあまり変わってしまった自分と、変わらなかった相手の距離を描かれている。友人という第三者によって、隔たりを浮き彫りにさせられる描写からは、これまでの2作よりも世界の広がりを感じさせる。
この曲では2人の関係に対する後悔や、取り残された感覚が歌われており、それをいかに受け入れるかの物語が次の"all right"では描かれている、というような連作として捉えても面白いだろう。
4thシングル。ギターロックバンド・Pablo Haikuの始まりを宣言するかのようなサウンドになっている。流麗なストリングスとギターによるアルペジオ/ストロークの美しいアンサンブルは、ポップかつどこか夏の終わりのような懐かしさ・切なさを想起させる。
人生の停滞、すり減った精神、まるで自分だけが淀んだ池の底に取り残されているような孤独…前作"it was not your fault"の主人公はそれをバーに行くことで解決させようとしていたが、今作ではその取り残されたような感覚を肯定することに主眼が置かれている。
"When you say I'm alright, I don’t need to worry about what it's gonna be like"
この言葉があれば、この孤独も受け入れられると歌われている。しかしながら、コーラスの歌い出し、"Please say it's alright so far"の通り、あくまでそれが"so far"、つまり「いまのところ」であることが願われている。単なる諦念だけではなく、新たな歩みへの願いも感じさせる一曲となっている。
5thシングル。この曲はThe CureやXTC、NEW ORDERなど80年代ポストパンクからの影響を隠さないアレンジだが、空間の広がりに現代的なエッセンスを感じる。特にコーラスが効いていてエッジの立ったギターアルペジオと、深いリバーブのかかったボーカルによる対比が美しい。
この曲は、モノローグ中心だったこれまでの曲とは打って変わって、情景描写と心情の混じり合った歌詞の作りとなっている。
コーラスの"Sweet young mistake"というリフレインの通り、若さ故の頑なさやそこから浮き彫りになった違いを、煙草や窓、結婚式などの情景を交えながら表現する歌詞からは、Pablo Haikuの新たな側面が垣間見える。
6thシングル。Pablo Haiku初のバラード。フォーキーなギターの弾き語りから始まり、ドラムフィルをきっかけに広がりのあるギターノイズを中心としたサウンドに展開する。現代的で踊れるサウンドを展開していたPablo Haikuの側面は抑えられ、よりサウンドプロダクションと美しいメロディーにフォーカスした曲となっている。
今までの曲と同様、変わっていく関係性を歌っているが、一方でそれを悲観するだけではなく、タバコをやめ、スーツ、あるいは喪服、どちらにせよ耽溺からの決別を感じさせる黒い服を纏う。弾き語りからバンドサウンドへの展開とリンクし、外向きへシフトしたその決断を肯定するような曲となっている。
7thシングル。ピアノをフィーチャーしたイントロとそこからバンドサウンドへ展開する様は、これまでの活動を踏まえた上での初期のサウンドへの回帰を感じさせる。
歌詞も初期に回帰したかのような、「君にしてあげられなかったこと」がテーマとなっている。ただ”park”をはじめ他の多くの曲が”you”というニ人称との関係が描かれているのに対し、この曲では”she”という三人称が同一人物を指す人称として使われている。この使い分けが対象との精神的な距離感で使い分けられており、モヤがかかったような回想と鮮明な独白が表現されている。
8thシングル。この曲はJ-WAVEのパワープッシュ、”SONAR TRACKS”に選出されている。ドミニク・ファイクやHard Life(旧Easy Life)のようなオルタナティブ・ヒップホップへの接近を感じさせる。スロー〜ミドル帯のテンポで、トレモロが効いたエレクトリックピアノ主体のドリーミーなサウンドとなっている。一方ヴァースはよりラップ的なフィールで歌われており、力強いビートの推進力と相まって、「チルなのに踊れる」サウンドとなっている。この曲も他の曲で歌われている通り、停滞と疲労がテーマになっているが、それでも”進んでいってしまう”世界がビートによって想起させられる。
歌詞は前述の通り、停滞と疲労が大きなテーマとなっている。他の曲と比べてもより鬱屈とした感情が、トラックや歌い方と相まりどこか淡々と綴られている。Pablo Haikuの楽曲は「君と僕」の物語が語られることが多いが、この曲ではより大きなもの—社会、労働、時間—に苛まれている。そして、明確な登場人物として描かれる他の楽曲の”you”とは違い、この歌詞の中の”you”は聴いている自分に重ねて聴くことができる。ここがこの曲のポピュラリティを生んでいるのではないだろうか。
9thシングル。この曲はJR東日本”JR SKISKI 2025”のキャンペーンソングとして作られた。これまでのJR SKISKIのCMを踏まえ、青春における曖昧な関係性、関係性に名前をつけないことによって生まれる感覚をテーマに歌詞が書かれている。
久しぶりのハイテンポで爽やかさ溢れるダンスチューンとなっており、ディスコ的な四つ打ちとギターカッティングによって、関係性が定まらない相手のことを考える時の心地良い落ち着かなさや高揚感が描き出されている。
村上春樹の短編『ドライブ・マイ・カー』は、濱口竜介監督の映画版と物語が大きく異なっている。
この作品は、妻の不貞を見て見ぬふりしたまま亡くした俳優・家福と、そのドライバー・渡利の交流を描いた物語である。原作はその妻の不貞相手・高槻との会話を回顧する中で、自らの自尊心を守るための家福の切実さ、そして渡利の言葉から見える男女の認識の違いを描写しようとしている。一方映画版は、渡利の過去の傷に向き合うため彼女の故郷である北海道に向かい、その姿に触れ自らの傷に向き合うことができるようになるという物語である。
この作品は――小説版に関しては特に――以下の言葉に集約できるだろう。「他人を理解することは難しく、自己を徹底的に観察することしかできない」家福と高槻の会話の中で語られるテーゼであり、村上春樹作品全体に通底する思想である。濱口竜介の映画版における結末はそれのテーゼに付け足しをしている。それは「他者が自己を見つめる姿に触れることでも、自分の孤独を見つめ直すことができる」というものである。
傷つき、自己に向き合うまでの時間に、Pablo Haikuの曲がBGMとして鳴っていてほしい。そう思わせる音楽である。
根本駿介
ギタリスト、文化研究者。1997年生まれ。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修士課程修了。専門はメディア論、文化社会学、ポピュラー音楽研究、音楽ジャンル論など。ギタリストとしても活動しており、2023年より"Pablo Haiku"にサポートギタリスト・キーボーディストとして参加。