多様かつ大容量の情報をやり取りするスマート社会では移動体通信のデータトラフィックが急激に増大しており、電波とは異なる周波数帯を用いる新たな大容量無線通信基盤の構築が求められる。本研究は、複数色の発光ダイオード(LED: Light emitting diode)チップから構成される照明を用いた可視光通信で色多重マルチアクセスネットワークを構築し、通信環境と照明環境の両方のユーザ品質の最適化を確立することを目的とする。まず、照明を送信機として利用するため、色多重での送受信特性とメラノピック照度との関係を明らかにし、機械学習を用いたMIMO処理による色分離技術とスペクトル管理・最適化技術を確立することで人間に優しいスマート社会を実現するための指針を明らかにしていきます。
2023年4月 - 2026年3月
スマートフォンやタブレット端末が普及し、移動通信のデータトラフィックは急激に増大している。あらゆるモノがインターネットに接続され、多様かつ大容量の情報をやり取りするスマート社会では、オフィスや工場などの狭い空間内でIoT機器間の無線通信時の電波の干渉や電磁反射、電波環境の変化により、安定した無線通信が困難になることや、周波数の枯渇の問題がさらに深刻化する。一方、電波干渉から電磁波通信の利用が制限されている病院内などの環境でも、環境センサなどの多数のIoT機器の導入が求められる。これらの解決策の1つとして電波とは異なる周波数帯を用いる光無線通信が注目されている。
屋内向けの光無線通信として注目される可視光通信は可視光域(380~780 nm)のLED光を用いる通信で、300 THz以上の広帯域なスペクトル帯域幅を持ち、既存の LED 照明等の機器に通信機能を付加することで新たな通信環境を構築することが可能なことからSDGsの観点からも環境負荷の小さい次世代の無線通信として注目が高まっている。さらに、IoT化の進化に伴い、屋内でのGPSに代わる高精度な位置認識法としても可視光通信が有効である。
LED可視光通信では、通信容量の拡大のため波長多重数の拡大が必要であるが、複数LEDの混色により照明の色が変化することが大きな課題になる。照明のユーザ体感品質(QoS)の観点で課題を挙げると、通信機能の付加による建物内の空間の明るさの変化やちらつきが生じないこと、照明で照らしたモノの色の再現率を表す演色性が照明条件を満たすことが求められる。
さらに、照明光がヒトのサーカディアンリズムに影響を及ぼし睡眠問題を引き起こすことが指摘されている。現代社会において人間は明暗サイクルのない室内の照明の下で生活しており、起床・睡眠のリズムとサーカディアンリズムにずれが生じやすい。サーカディアンリズムの乱れは睡眠障害だけでなく、生活習慣病、うつ病など様々な病気を引き起こす原因となる。そこでサーカディアンリズムを正常にコントロールするために照明光の制御を行うヒューマンセントリックライティングの研究が行われている。現在導入例のあるサーカディアンリズムに適した照明の制御方法としては一日の時間によって照明の色や明るさを変化させている。しかしながら、生活のシーンや、個人の趣向に合わせて夜間でも十分な照明の明るさや色を選択することが求められている。以上のことから複数の色のLEDチップから構成される照明を光源とする色(波長)多重通信で、人間に優しい(ヒューマンセントリック)な照明環境と通信利用者のユーザ体感品質(QoS)をどのように両立させ、環境負荷の小さい大容量光無線ネットワークを構築するかが重要な学術的問いである。
図1 可視光通信のQoE要因分析
本研究では人間に優しい(ヒューマンセントリック)な照明環境でのユーザ体感品質(QoS)の高い可視光通信の実現を目標とする。そこで我々はメラノピック照度に着目することを提案する。メラノピック照度はサーカディアンリズムに強く関係するメラトニンの分泌に影響する明るさを定量的に捉えた単位である。照明の色と照度を変えることなく、メラノピック照度を制御すること可能とすることで、サーカディアンリズムに影響を及ぼさずに照明を用いた波長多重可視光通信を実現することを目指す。
複数の異なる波長で発光するLEDを用いた波長多重光無線通信では、LEDの波長スペクトルが広いことからLED間の波長スペクトルの重なりが生じる。特に、図2に示すように色の再現率を表す演色性や、メラノピック照度を制御するとLEDのスペクトル設計が重要となり複数のスペクトルが重なり合うため、光学フィルタでは多重したLEDの波長分離が困難である。そこで、波長多重分離に、MIMO(Multiple Input Multiple Output)のチャネル行列推定手法であるZero-ForcingやSICを用いることを提案する。さらに、ニューラルネットワークを用いることで、送信機より少ない数の受信機から構成される過負荷MIMO構成の可能性を検討する。携帯情報端末などに搭載することを考慮すると、LEDよりも少ない数のフィルタとPDを用いて受信することで、受信機を小型化することが可能となり経済的にも有利である。 本研究では、ユーザの体感品質(QoE: Quality of Experience)条件という新しい尺度を照明の世界に持ち込んで可視光通信の通信品質の要因分析を行い、多重光と光源色との関係を明らかにすることを目指す。
図2 5色のチップLEDで構成された高演色(Ra>94)白色スペクトル特性の例
研究代表者は、目に見える可視光域(波長:380 nm~ 780 nm)を用いる可視光通信の研究を行ってきた。可視光通信はその波長帯域幅が300 THzと広帯域であり、省電力、長寿命な既設のLED照明等に通信用の回路を組み込むだけで比較的簡単に通信環境を構築することができる。その際に、既存の照明機器を用いた可視光通信では、通信機能の付加による明るさの変化やちらつきが生じないことがユーザの体感品質を満足させる重要な条件となる。これは、申請者がLED照明による歩行支援システムの開発プロジェクトを通じ、視覚障害者と健常者の視認性や通信条件について、ユニバーサルデザインの観点で検討してきた経験に基づくものである。
関連する国内外の研究動向と本研究の位置づけ
無線インターネットやスマートフォン等の普及による情報伝送需要の急増やIoTによる無線利用の拡大により、既存の無線通信に割り当てられている周波数帯以外のミリ波帯やテラヘルツ波帯から光波までの未利用周波数帯の実用化が求められている。光波を用いた光通信は、赤外から可視、紫外の波長域まで合わせると数ペタHz以上の超広帯域な周波数帯域幅を持ち、ボディエリア通信から水中、宇宙衛星間まで幅広い応用を目指した研究が行われている。LEDを光源とする可視光通信では、イメージセンサやカメラによる移動体通信やレンズを用いてビームを絞ることで数Gbpsのデータレートでの通信が実証されている。近距離光無線(LiFi)や、イメージセンサやカメラによる移動体通信の研究が中心になされている中で、本研究のように人間に優しい(ヒューマンセントリック)な照明環境と通信利用者のユーザ体感品質(QoS)を両立を目指した研究は独創的であり、将来の、可視光通信技術による環境負荷の小さい次世代無線通信基盤実現のキー技術となる。
本研究では可視光通信を用いた多数のセンサやIoT機器との安定した大容量光無線通信技術の確立と、同時に、通信環境と照明環境の両方のユーザ品質の最適化を目指し、そのために、以下の2つの研究を行う。
病院等の施設内を移動するロボットなど室内空間で様々なIoT機器を制御することや、機器に取り付けられた様々なセンサからのデータを効率的に取集・分析することが求められる。照明と可視光通信で結ばれているセンサや機器が移動することで、スループットの大幅な低下や通信の途絶が発生すると、ロボットなどのIoT機器のリアルタイム制御が不能になったりする。同時に、施設内の照明環境、演色性などを安定させることが必要であり、通信品質QoSとQoEを満足するための照明光分布調整を実現するための環境学習・分析・予測技術の確立を目指す。そこでまず、光を定量的に評価するためにメラノピック照度を採用する。メラノピック照度は光源のスペクトル分布と照度、およびメラノプシン光感度曲線から算出することが可能である。そこで、複数のLED照明機器からの光伝搬特性と数多くのIoT機器との間の光無線リソース利用についてスペクトル分布、照度からメラノピック照度、視認性、演色性などをパラメータとする統合的な環境を学習・分析・予測する技術を確立する。また、照明機器が複数ある状態では、照明間の干渉、光受信機の受光特性なども合わせて考慮する必要があり、無線通信の、アンテナ利得・指向性に対応するパラメータを光無線通信でモデル化することで予測方法の複雑さの低減と、可視光通信での同時リンク数の最適化についても合わせて検討を行う。
図3 概日リズムと光の関係
図4メラノピック照度が最大値・最小値の時のスペクトル分布
本研究では、IoT機器とのマルチアクセスを実現するために、8 波長多重OFDMによるマルチアクセス通信の実現を目指す。本システムモデルでは、送信機より少ない数の受信機から構成される過負荷MIMO構成での実現を目指しており、干渉雑音の増加によるSN劣化の問題がある。そこで、ニューラルネットワークやLSTMなどの機械学習によって色分離を行い、過負荷MIMO構成の限界を明らかにするとともに学習による雑音除去効果を明らかにする。
以上の研究成果の波及効果としては、電波無線通信や複数モード光ファイバ通信での過負荷MIMO多重分離にも応用が見込めることや、人に優しい通信環境分析を実現することで高齢化社会における医療や福祉分野のディジタル化の加速に繋がることが期待される。
図5 波長分割多重光無線通信システム