教祖70 年祭を迎える年祭活動の中、おぢばでの「ひのきしん」に向う行進の先頭を歩く先導役として、鼓笛隊は 期待され、大阪教区鼓笛隊もおぢばの声に呼応して、その産声をあげました。
大阪教区少年部は、「親神様の思し召しを自覚した道の子に育ってもらいたい」「自分の家族は後回しで布教に励む親達に代わり、せめてひと時で も子供達に楽しい思いを味合わせてあげたい」との思いで、既に子供会活動を繰り広げていましたが、教祖70 年祭を前に、ご本部からの鼓笛隊活動の 呼びかけに応じ、鼓笛隊結成の機運に包まれていきました。
そんな中、当時の大阪教区少年部部長、水谷理之助先生から、山田和男という青年に、ご本部での鼓笛講習会を受講するよう話がありました。
山田青年は、布教に歩きまわっていた下駄履きで、鼓笛講習会を受講し、行進練習・規律訓練に参加されたそうです。
これから始めようという鼓笛隊の、初心者ばかりを集めた鼓笛講習会。その悪戦苦闘の鼓笛講習会終了後、大阪教区鼓笛隊が発足しました。
昭和30 年4 月29 日、大阪教区赤心会館で行われた「おやさま御誕生まつり」で「ひのきしんの歌」を演奏したのが、初めての発表の場でした。
それから50 余年、大阪教区鼓笛隊は、縦の伝道という期待を担い、大阪教区管内の鼓笛隊活動の中心的存在として、その任を務めてまいりました。
~記念誌「五十年の歩み」より抜粋~