過去の会の様子
大阪うつ自助会のブログ
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9月6日、自助会を開催しました。
16名の方に集まって頂きました。
なにもやる気が起こらない、できないことに不安や焦りがあるどうしていいかわからない、休職していると人と関わること話す機会がなさ過ぎて大丈夫なのか不安になる、職場の人間関係だと気を遣うだけで楽しくないので人とのかかわりは必要最小限にしているなどの話がありました。
初参加の方から時々、もっとしんみりした暗い感じの静かな会だと思っていたけど以外に皆さん明るい雰囲気で楽しく話ができたという感想を聞きます。
もちろん静かな沈黙の時間が流れることもありますし、悲しい話になってしんみりとすることもあります。
なぜ明るい雰囲気なのかといえば、この会のなかでは何を言っても否定されない、共感してもらえる共感できる安心感があるからではないかと思っています。
そして、よくなりたいから頑張る、努力する人が集まっているからだと思います。
ただ、いつどんな結果が出るか出ないかは人それぞれです。
頑張れば努力すれば必ず良い結果が出るとは限らないですが、頑張ること、なにかしらの努力をすることはできるはずです。
「禍福は糾える縄の如し」といいます。頑張ること努力することが裏目に出て禍になったと感じることもあるかも知れません。でもそれは次に訪れる福にとって必要なものです。そして自分の期待通りになることだけが良い結果とは限りません、思いもよらない結果が意外に福になることもあります。
また、結果が出ないのにあきらめることなく続けるのは辛く苦しいことですが、結果が出ないから苦しいと考えるのではなく、努力できていることがいいことで、嬉しいと考えてみてはどうでしょうか。
前にも言いましたが努力は苦しいから努力といいます。苦しくない努力はありません。
でも、「嬉苦しい努力」これなら続けてみようかなって思いませんか。
そうすれば努力の末にどんな結果が待ち受けていても、それなりに受け入れられるようになります。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
8月2日、自助会を開催しました。
15名の方に集まって頂きました。
周囲から男のくせにという目で見られる辛さ、精神疾患、精神障碍への偏見や無理解から周囲に受け入れられない辛さ、職場のコミュニケーションの難しさやそれへの対応方法などのはなしがありました。
精神疾患や障害の辛さとは何でしょうか。
内容は千差万別でその人の立場や置かれている環境その他で違いますしその受けとめ方も人それぞれです。しかし、共通点もあります。
それは、自分の人生の内容であるということです。
自分は自分以外の自分にはなれないし、自分の人生を他人に生きてもらうことはできません。自分の人生の内容が自分の人生であり、他人の人生の内容は他人の人生です。
では自分とは何でしょうか、人生とは何でしょうか。
自分とはどんな自分とか、自分の人生はこういう人生といった内容の話ではなく、自分とはいったい何なのか、自分が生まれて生きていて、いずれ死ぬこの自分の人生とは何なのか、そもそも自分や人生があるとはどういうことなのか。
自分は幸せ、生きているって素晴らしいと思っている人はまず考えないことです。
なぜなら、自分が自分であること、自分の人生があることはあたりまえであり、あたりまえなんだからそれ以上考えるのは無駄、何の得にもならないと思うからです。
なぜここでこんな話をしたのかといえば、辛さの正体、辛さの本質に気が付くことができるようになるからです。
自分とは何か、人生とは何か考え抜いていってもストレスがなくなる、嫌なことが嫌でなくなるわけではありません。
ですが、そんなことはどうでも良いことで、自分にとって自分の人生にとっては大した問題ではないと分かるようになるからです。
もっと大事なことがある、すること、知ること、考えることがある、それさえ分かれば今ここで死んでも何の悔いもない、そういうものがあると分かります。
答えはネットや本の中にはありません、あなたの中にあります。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
7月5日、自助会を開催しました。
16名の方に集まって頂きました。
今回は初の試みとして、4,5人/グループに分けて後半のフリートークを行いました。全体的に言えば少人数のグループに分けて良かったと思いますが、実施して見えてきた課題もありました。わたしにはまだ見えていないこともあると思います。
開催毎に進め方を微妙に変えていくことになると思うので、戸惑う方もいると思いますが、参加者にとってよりよい自助会を目指してのことですのでご了承ください。
閑話休題、今回はこの会に参加するようになってからの自分の中で起こっている変化についての話、うつになる前となった後で何を諦めたか諦めなかったか、諦めることで何を得たのかなどのはなしがありました。
話の中でたまに身勝手、保身的、無責任、高圧的な人がいて困るという話が出ます。
周りも手を焼くものの結果的には自分を押し通して平然としていている姿を見て、あれがいいとは思わないけれど、あのメンタルの強さはうらやましいという話になることもあります。
本当は態度と裏腹に不安でいっぱいなのを隠しているだけかもしれませんし、いずれしっぺ返しを食う場合もあるでしょう。
憎まれっ子世に憚るで最後までそのまま押しきれてしまう人もいるでしょう。
ですが、この問題の本質はそこにはないと思います。想像してみてください。
自分を押し通して押し切る生き方で乗り切れたとして、最期に人生を振り返って自分の人生はいい人生だったと思えるでしょうか。
思えるだけでなく、それは本当にいい人生なのでしょうか。
いい人生とは何でしょうか。
最期までそれに気が付けない人、哀れだなと思います。
最期に気が付いて後悔する人、みじめだなと思います。
わたしは二度と、最期にあんな後悔したくはありません。
みなさんにも絶対、最期に後悔して欲しくはありません。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
6月7日、自助会を開催しました。
16名の方に集まって頂きました。
職場での人間関係のストレス、上長の理解が得られないことの不安、休職や復職で周りに迷惑をかけてしまうことへの不安、休んでいる間は何をするか、しなければいけないことができなくてストレスになる等の話がありました。
休職にはネガティブなイメージがありますしデメリットが多いのは確かです。
でも、休職しないと分からないこと、気付けないこと、変えらないこともあります。
回復するとはそれらを否定するのではなく活かすことだと思います。
大阪うつ自助会が始まって半年経ちました。
定期的に参加される方、初参加の方がいらっしゃいますが、皆さんが行って良かったと思える会であり続けることが一番大事だと考えます。
そのために重要視していることが3つあります。
①自分の病は自分で良くする
あくまで自助のための会ですので自助努力が原則ですが、当事者同士のよき連携、情報や気持ちの共有は自助努力の支えになります。
②フラットな関係性
参加者の参加回数、発言力、発言回数等で上下関係があると思わないでください。
辛い病気と向き合って頑張っているもの同士です。症状、立場、意見や考え方は違っても相手へ敬意を払うことは忘れないでください。
③そのまま鵜呑みにしない
会の中でのわたしの発言は自分のうつ病の経験をもとに死ぬ気で考え、これでいいのか問い直し考え直し、実行し確認して、修正してまた考えて実行するという作業を繰り返している途中で、皆さんの話を聴いていて出てきた断片に過ぎません。
理想論、空論に聞こえることがあるのはそのためもあると思います。
受け止めるか受け流すか、どう考えるか実行するかしないかは各自の自由ですが、情報として受け止めて分かったと思っても何の役にも立たないものです。
自分で考えて分かれば生き方が変わります、それで初めて役立ったといえます。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
5月10日、自助会を開催しました。
14名の方に集まって頂きました。
職場に精神疾患の診断が出ていることを伝えること、休職になることなどへの不安、長期で働きたいがモチベーションが続かないと言った話、依存症の辛さや生活や人生への影響の大きさについて等の話がありました。
4,5月開催の申し込みではキャンセル待ちが発生しています。
心苦しい限りで、そうならないようにしたいと思いますが当事者個人が非営利で運営を始めたばかり自助会ですので、対応するとしても時間がかかると思います。
ご不便おかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いします。
自助会に参加することで期待できることとして以下のようなことがあると思います。
①周囲の人に相談しにくい悩み、苦しい胸の中を話して、話を聞いて自分はひとりではないと気が付く。当事者目線の経験談やアドバイスが聞ける。
どうしていいか分からない状態から考え方や回復の手がかりを見つけられる。
②他の参加者の話を聴いて話し合いをしながら自分の経験談やそれを通じて感じたこと分かったことを伝える。話合いを通じて違う感じ方、違う視点や考え方に触れて自分の回復や再発防止に役立てていける。
最初は①、参加回数や回復が進むにつれ②に近づいていく傾向にあると思います。
ただし、役割分担ではないので相談目的で参加しても相談に答える場面もあるし、聞き役が多い人でも相談することも悩みを打ち明けることも全然ありです。
この自助会はいつでもそういう場であってほしいと思っています。
また、相談を受ける立場だから相談してはいけない、助ける立場だから助けを求めてはいけないということではないと思います。
むしろ相談すること助けを求めることで、する側の気持ちや立場をより深く理解できるようになり、相手に寄り添うことのできる良き相談相手になれると思います。
相談する相談される、悩みを話す悩みを聴く、自己中心的利己主義になることなく自由に立場を変えて話せることが病気の回復や再発防止につながる。そう思います。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
4月5日、自助会を開催しました。
14名の方に集まって頂きました。
職場への配慮の求め方、病気のことを誰にどう伝えたらいいか、希死念慮との向き合い方、結果を出せない自分を周りはどう見ているのか不安等の話がありました。
唐突ですが、宇宙は何でできていると思いますか。
科学は「宇宙は物質でできている」という前提で説明をします。そして、ほとんどの人は科学で正しいと言っていることは正しくて全てそれで説明が付くと考えます。
つまり、全宇宙は物であり、地球も人も社会も物からできている。物だから大きさや重さといった量に換算できる、何事も量で比較して、量で決めるのが正しいとほとんどの人は思い込んでいるように見えます。
宇宙は「もの」でできているといいましたが、どこから誰が見て宇宙は「もの」だと言っているのでしょうか。
目が目自身を直接見ることができないのと同じで、宇宙の外からでなければ宇宙を見ることはできません。ですが21世紀の今、宇宙の外から誰かが見ている状況を説明したり想像したりすることは難しいと思います。
つまり、科学は「宇宙はものでできている」という前提で色々な説明をしていますが、宇宙は「もの」だという説明はしていないということです。
そして、宇宙つまり世界は「もの」でできていると思っているのは私たち自身です。
が、思っている「思い」は「もの」でしょうか。私の脳という「もの」が思っていると思っているあなた、私の脳が思っているとどこから見て思っているのでしょうか。
あなたの「思い」、他者の「思い」は「もの」ではありません。
決して量に換算して比較したり優劣を決めたりすることはできません。
同じように、世界は「もの」でできていると思い込んで量に置き換えて量で判断することが正しいと思い込んでいるのもあなたや他者の「思い」だということです。
辛い「思い」、苦しい「思い」とはこの世界での「思い」です。
ものではないはずの「思い」がこの世界にあるとはどういうことなのか。
さて、世界とは何か。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
3月1日、自助会を開催しました。
12名の方に集まって頂きました。
職場の人からの理解が得られない、好きでやっていた事ができない、できるようになるか不安、希死念慮との向き合い方等の話がありました。
うつはそれなりによくなってきても、体力や気力が元に戻らない、やる気が出ない、続かないのはうつのせいか歳のせいなのか、もう元に戻らないのかといった話題が時々出ます。
うつになると身心ともに元気がなくなるので老いやすいというのもあるかも知れませんが、誰でも身体は歳とともに必ず老います。いくら抵抗しても負け戦ですから、抗えば抗うほど苦しいと思います、うつの苦しみが加わればなおさら苦しいでしょう。
しかし、歳をとることは悪いことばかりではないと思います。
人として成熟するという言い方があるように精神は歳を重ねるごとに成熟することができます。老いていくからこそ分かること、到達できる領域もあると思います。
これは病気との向き合い方についてもいえることだと思います。
ただし、歳をとれば必ず成熟するとは限りません。
無内容な人が無内容に歳をとっても無内容な人でしかないということです。
成熟するためにはどうすればいいのか。
人生のほんとうを考えて知ることです。
うつになった自分とは何か、うつになった自分がいると考えている自分があるということはどういうことか、自分はなぜ違う時違う場所ではなく今ここに生きているのか、自分が死ぬとはどういうことか、生きる、死ぬとはどういうことか。
在ると無いとはどういうことか、無いが無いなら死も無いのか。
答えを得ることよりも、自分で考えること、自分で向き合うことが大事です。
生きていく上では何の役にも立ちませんが、(病気と向き合う)人生にとってはとても役立ちます。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
2月1日、自助会を開催しました。
9名の方に集まって頂きました。
このまま良くならなかったらどうしようといった将来に対する不安、人と接することへの不安、周りにどう思われているのか気になる、色々なことをするためのモチベーションを上げる方法等の話がありました。
内容は各自違いますが失敗したら、このままの状態が続いたらどうしようという不安で押しつぶされそうという話はよく話題になります。
私個人としては失敗してもいいと思っています。
失敗したと思えるということは失敗したと思う自分はまだあるので後悔したり悲しかったり苦しかったりはありますが、またやり直す、切り替えて違うことに挑戦することもできますので失敗したらどうしようと不安になる必要はないと思います。
もし本当に何もかも失う取り返しのつかない失敗だったなら、失敗したと思う自分がいないのだから失敗したと後悔したり苦しんだりすることはありません。だから失敗したらどうしようと不安になる必要はありません。
周りに迷惑をかけるのではと不安になるかも知れませんが、同じく迷惑をかけていると思う自分がいないので迷惑をかけていると思うこともありません。
つまり不安は的中しようがしまいが、ほんとうのところ何も困らないということです。
なるようにしかならないし、ならないようにはなりません。
それに成功も失敗も自分の知らないところで邪魔されたり助けられたり、自分にはコントロールできないことで決まったりします。自分の努力や判断の影響なんて微々たるものです。
成功失敗の結果の判断もその時の自分の価値観でしかありません。見方や立場が変われば同じ結果でも逆の判断になることもあるし、結果に関わらずそうすることそうなることが大事だということもあります。
これを古来、仏教ではこう言います。
これでいいのだ!(超意訳 笑)
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
1月11日、自助会を開催しました。
10名の方に集まって頂きました。
どうすれば社会復帰に繋がるのか何すればいいのか分からず焦ってしまう、休んでいる時の時間の使い方が分からず焦る、このままでいいのか不安、病院の選び方、変えたほうがいいのかどう選ぶか分からない等の話がありました。
この会に来られる方でうつから回復して復職する、就職するのが目標という方は多いです。かつての私もそうでした。
でも、この病気の治療は簡単ではないし、治療期間の目途も立たないことも多いです。それに耐え抜いてでもしたいようなやりがいのある仕事であれば復職や就職をして仕事をするのは目的であり、復職や就職は目標になり得ると思います。
ただ、多くの人にとって仕事は生活のための手段であって目的ではないのではないでしょうか。そして、生活は生きていくための手段であって目的ではありません。
では、生きていくことが生きる目的になるのでしょうか。
であれば「ただ生きていくために生きていたい」になります、これで良いでしょうか。
私は漠然と虚しさを感じていました、だから苦しかったのだと思います。
私と同じ疑問を感じているなら何のために生きるのかそのためにどうしたいか、もしやりたいことや手段が分からないなら、それらを考えるチャンスではないでしょうか。
目的や手段は途中で変わって構いません、知識や経験が増えてやりたいことや方法が変わったり、見つかったりするのはごく自然なことです。
自分の人生は自分で生きるしかありません。
大事なのは過去にとわれず今の自分を大切にすること、自分に素直であることです。
自分勝手に自由気ままという意味ではなく、全て自分で自由に決めて全ての結果の責任をとる覚悟をする、社会や他の人のせいにしないということです。
その覚悟をして自由に決めて行き始めるチャンスでもあると思います。
禍福は糾える縄の如しといいます。
この病気や障害は自分の人生にとって禍(わざわい)なのか福なのか、本当の意味が分かるのは今ではないと思います。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。