人間に対する輸血として認められている最初の輸血が行われたのは1667年のことでした。医師のジャン=バティスト・ドニ は子羊の血液を人間に輸血し多くの人を救いましたが、1人の患者を死なせてしまったことにより、殺人罪に問われてしまいました。彼は無罪となりましたがヨーロッパでの輸血は禁止されてしまいました。
しかし1925年にイギリスの産婦人科医が瀕死の妊婦に輸血を行い成功。再び輸血の効果が認められましたが、当時は血液型すら発見されておらず重い副作用や死亡事故は当たり前でした。
1900年にようやくABO型が発見されました。この功績を称え発見した病理学者ラントシュタイナーの誕生日である6月14日は世界赤十字デーになっています。
その後、1914年には抗凝固剤が発見され、血液の保存が可能になりました。
日本では1952年に日本赤十字社による血液事業がスタートしましたが、その前後に誕生した民間商業血液銀行による売血が盛んになったため献血者が激減しました。売血を行う人の多くが不況に苦しむ貧困層でした。そのため短期間で売血を繰り返した結果、赤血球が回復せず血しょうが目立つ「黄色い血」が多くなってしましました。月に70回以上も売血に訪れる人がいたという記録があります。
売血を極端に繰り返した「黄色い血」は輸血しても効果が少ないばかりか、輸血後肝炎などの副作用を招きがちで、これが大きな社会問題となりました。また、自分の生命ともいえる血液を切り売りしたり買い入れたりすること自体、人身の売買につながるとして社会の批判を浴びたのです。
1960年に青少年赤十字団員(高校生)が中心になり呼びかけを行ったのが学推誕生のきっかけでした。その2年後には東京の8大学の有志により「日本赤十字献血連盟」が結成され、各地でも高校生や大学生を中心とした売(買)血追放運動が各地で起こりました。これが現在の学推の前身となるものです。政府はこれを受け、輸血用血液は献血により確保する体制を確立するよう閣議で決定 。各地に赤十字血液センターが設置されました。以来、献血は年を追うごとに増えていき、1968年には、民間血液銀行の買血による保存血液はすっかり影を潜めました。 1990年、血しょう分画製剤を製造するために一部民間製薬会社が行っていた有償採しょう(買血)が中止されました。これにより日本の「売(買)血」は幕を閉じ、血液製剤の製造を目的とする採血は、日本赤十字社のみが行っています。
売血が廃止され安全な血液が確保できる体制が整ったものの、全ての問題が解決したわけではありません。特に10代20代の献血者数は減少傾向にあり、近い将来深刻な血液不足が予想されています。
そこで全国学生献血推進実行委員会は47都道府県の学推を通じ、同じ若い世代としてどうすれば献血者を増やすことができるかを考え全国規模で連携し様々な活動を行っています。2024年度は228団体4,782人が加入しています。
さらに47都道府県を北海道ブロック、東北ブロック、関東甲信越ブロック、東海北陸ブロック、近畿ブロック、中四国ブロック、九州ブロックの7つに分類し、地域ごとにより連携した活動をしています。
大阪府学生献血推進協議会は京都、奈良、兵庫、和歌山、滋賀とともに近畿ブロックに所属し、統一企画などの開催により活動を盛り上げています。
全国学生献血推進実行委員会 近畿ブロックについてはこちらのホームページから概要をご覧いただけます。
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