現代社会を支える情報システムの多くは、インターネット、IoT (Internet of Things)、センサネットワーク、そして複数のロボットが協調するシステムなど、多数の計算主体(プロセス、エージェント、ロボット)が通信を介して協調動作する分散システムです。本研究室では、このような分散システムにおいて、ユーザが安心して利用できるシステムを実現するための理論と技術を研究しています。特に、個々の要素が限られた局所情報のみに基づいて自律的に動作し、全体として高度な機能を実現する分散アルゴリズムの設計と解析を主軸としています。
分散アルゴリズムの研究のポイントは、計算資源や通信能力が限定された環境下において、高効率性と高信頼性を両立させることです。現実の大規模分散システムでは、全構成要素を集中管理することは不可能であり、各要素はバラバラなタイミングで動作します。さらに、通信の遅延、コンピュータの故障、さらには悪意のある攻撃(ビザンチン故障)が発生する可能性があります。このような不確実な環境下で、いかに少ない時間やコスト、メモリ量でタスクを完了させるか、そして、いかに過酷な故障に対して故障耐性を実現するかが、主要な研究課題です。
具体的な研究対象は多岐にわたります。まず、物理空間やネットワーク上を移動するモバイルロボット・エージェントに関しては、視界が制限されたロボットによる探索や、悪意あるエージェントが存在する環境での集合問題などを扱っています。ナノスケールの分子ロボットや低性能デバイスのネットワークを想定した個体群プロトコルでは、極小のメモリでリーダー選挙やグループ分割などを行う手法を研究しています。そして、システムがどのような異常状態に陥っても自律的に正常状態へ復帰する自己安定アルゴリズムの研究では、従来よりも高速かつ省メモリな手法や、新たな安定性の概念である緩安定(Loose-stabilization)の実現方法を研究しています。
多くの研究は、分散システムを抽象化した理論モデルを用いて、アルゴリズムの正当性と計算量(時間、空間、移動回数など)を理論的に証明することで裏付けています。理論的な限界(下界)を明らかにすると同時に、その限界に挑む最適または準最適なアルゴリズムを構築することで、分散システムの基盤となるさまざまな基礎理論を構築しています。
本テーマでは、自律的に移動する主体(エンティティ)の協調動作に関する研究を行なっています。物理的な空間を移動するモバイルロボットと、ネットワーク上を移動するソフトウェアであるモバイルエージェントの双方を対象とし、限られた能力でいかに効率的かつ安全にタスクを遂行できるかを研究しています。
近年、工場や倉庫の自動化のために、多数のロボットが協調動作するシステムが普及しつつあります。しかし、各ロボットが高性能なセンサや全域的な通信機能をもつことはコスト的に困難です。本テーマでは、与えられたタスクを実現するために必要最低限なロボットの性能を明らかにすることを目指して研究しています。具体的には、観測範囲が極めて限定された (Myopic:近視眼的) ロボットや、メモリを持たない (Oblivious) ロボットが、どのようにして集合 (Gathering)や探索 (Exploration) といったタスクを達成できるかを研究しています。 例えば、リング状のネットワークにおいて、視界が隣接ノードに限られるロボットであっても、数色の光を発するライトを持つことで永続的な探索や停止を伴う探索が可能になることを示し、そのために必要なロボットの最小台数と色の数を明らかにしました。また、メモリを持たないロボット群が一点に集まる集合問題において、ランダム化を用いることで、初期配置が周期的であっても多項式時間で集合が可能であることを示しました。
ネットワーク内を移動してデータ処理を行うモバイルエージェントの研究では、特にビザンチン故障 (Byzantine Faults) への対策に注力しています。ビザンチン故障とは、バグや乗っ取りによりエージェントが嘘の情報を流すなど、予測不能な振る舞いをする故障です。 本研究では、ノードに設置された認証機能付き白板 (Authenticated Whiteboard) を利用することで、一部のエージェントがビザンチン故障を起こしても、正常なエージェントを効率的に一点に集合させるアルゴリズムを提案しました。また、エージェントが訪問するだけで消滅してしまう危険なノード(ブラックホール)が存在する環境下において、ビザンチンエージェントの妨害に耐えつつブラックホールを特定する探索アルゴリズムも開発しています。また、部分集合(Partial Gathering)や均一配置(Uniform Deployment)といった問題に対しても、移動コストや時間を最適化するアルゴリズムを設計しています。
個体群プロトコル (Population Protocol) とは、多数の微小なデバイスや分子ロボットなどの群れをモデル化した分散計算モデルです。このモデルでは、個々のエージェント(個体)は非常に計算能力が低く、不規則的に発生する出会い(交流)を通じてのみ情報を交換し、状態を変化させます。本研究のポイントは、このような極限的に制約された環境下で、いかに高速かつ省メモリでシステム全体を要求された状況へ遷移させるかという点にあります。
全ての個体の中から唯一の代表者を選ぶリーダー選挙(Leader Election)は、分散システムの最も基本的な問題です。個体群プロトコルにおいて、個体数 n に対して、各個体が定数個や極めて少ない状態数しか持てない場合、リーダー選挙には通常長い時間を要します。 本研究では、各個体が O(log n) の状態数(メモリ)を持つという仮定の下で、期待値 O(log n) の並列時間で収束するリーダー選挙プロトコルを提案しました。これは、理論的に必要とされる最小の時間計算量(時間最適)を、はじめて状態数o(n)で達成したプロトコルでした。(この1年後に別の研究グループによって、期待値O(log n)、状態数O(log log n)のリーダー選挙プロトコルが提案されました。)
個体群を等しいサイズの複数のグループに分ける一様分割(Uniform Partition)も重要なテーマです。これは、センサネットワークの負荷分散や分子ロボットの機能分化に応用可能です。 本研究では、個体群を2つのグループに分ける一様2分割や、より一般化した一様 k 分割を対象とし、それを実現するために必要な最小の状態数(空間計算量)を解明しました。すべての個体が通信可能な完全グラフだけでなく、任意の形状の通信グラフに対しても研究を進めています。
自己安定とは、システムが一時的な故障(メモリの破壊や通信エラーなど)によってどのような予期せぬ状況に陥ったとしても、外部からの介入なしに自律的に正しい状況へと収束し、その後は正当な動作を維持し続けるという強力な耐故障性です。
ネットワークを管理するためのグラフアルゴリズムにおいて、自己安定性の実現に取り組んでいます。例えば、1-極大マッチング(1-Maximal Matching)と呼ばれる問題に対して、効率的な自己安定アルゴリズムを提案しました。1-極大マッチングは、通常の極大マッチングよりも近似率が高く、より多くのペアを作成できる有用な構造です。本研究では、識別子を持たない(Anonymous)ネットワークにおいても動作し、かつ静止型(Silent)(動作完了後に状態変化が止まる)であるアルゴリズムを提案しました。また、距離3の近傍情報を用いるモデル(Distance-3 model)において、1-MIS(1-Maximal Independent Set)問題を O(n) ステップで解決する自己安定アルゴリズムも提案しています。
従来の自己安定は「一度正しい状態になったら、故障がない限り永遠にその状態を保つ」ということを要求します。しかし、個体群プロトコルのようなリソース制約の厳しい環境では、この厳密な条件を満たすことが不可能な場合があります(例:個体数が未知の場合のリーダー選挙など)。 そこで本研究では、緩安定(Loose-stabilization)という新しい概念を導入しました。これは、収束後の状態維持を「永遠」ではなく「実用上十分に長い時間(例:個体数の指数関数的な時間)保証することで、厳密な自己安定が不可能な問題に対しても解決策を与えるものです。この概念を用いることで、個体群プロトコルモデルにおいて、個体数を正確に知らなくても確率的にリーダーを選出し、長時間維持するアルゴリズムを実現しました。