大村護国神社のホームページへようこそ
ここには、大村地区及び西大村地区出身の英霊八百六十余柱が祀られています
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祭 詞
本日、令和八年大村護国神社例大祭を斎行するにあたり、ここに祀られている御霊に対し謹んで祭詞を申し述べます。
日本は、建国以来今年で二千六百八十六年を迎えました。一国家としてこれだけの長い歴史を持つ国は世界中で唯一この日本だけです。
しかし、この間には幾度となく大国からの侵略の脅威に抗った歴史があります。
十五世紀、日本はスペイン・ポルトガルの脅威に対し長い鎖国政策によって独立を維持してきました。しかし、千八百五十三年ペリーの来航によって開国を迫られた日本は、混乱に陥ります。
国内では次第に尊王攘夷運動が過激化を増し、やがてそれは幕府打倒の原動力となって幕末の動乱へと突入していきます。
大村護国神社の起源は、この幕末の動乱にまで遡ります。
当時大村藩は、大村藩勤王三十七士の働きにより、一早く藩論を勤王に統一し倒幕へと舵をきりました。その後の戊辰戦争において、大村藩は新政府軍として参戦し目覚ましい活躍をする一方で、浜田謹吾少年を始め多くの戦死者が生じました。
時の大村藩主大村純煕候は、幕末の動乱そして戊辰戦争の受難者を弔うため、明治元年この地に招魂場を設けました。これが大村護国神社の起源です。
開国し近代化を目指した明治の日本、そこには弱肉強食の帝国主義が待ち受けていました。不凍港を求めて大陸から南下するソ連の脅威に対し、日本は国防の生命線となる朝鮮半島の自立をかけて日清・日露戦争を戦い、皆様は激戦の末に勝利しました。
「極東の島国であった日本が、大国を相手に勝利した。」このことは当時植民地化されていたアジア諸国のみならず、遠くアフリカや中東の国々に勇気と希望を与えることになりました。
有色人種の国として世界で唯一近代国家となった日本は、欧米の植民地であったアジア諸国を開放し、共存共栄の経済圏を目指して大東亜戦争に向かいます。
戦後、この戦争に対する評価は様々です。
ここでタイのククリッド・プラモード元首相の言葉を紹介します。
「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供達はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話しが出来るのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。」と述べています。
日本はこの戦争で敗れました。しかし、皆様のおかげでアジア諸国は独立し、そして十五世紀から長く続く欧米諸国による植民地支配の歴史が終焉を迎えたのです。
皆様は、幕末から昭和と言う激動の時代の中で、熾烈極まる戦場に倒れ、あるいは遙か異郷の地で命を落とされ、また自衛隊の任務遂行中に殉職されました。
皆様がそれぞれの地で思い描いたのは、平和で明るい未来の日本だったと思います。私達は、皆様が思い描いたとおりの未来の日本に生を受け、そして今、平和と繁栄を享受しています。
春を迎えた神社の境内には今年も美しい桜が咲きました。その下からは家族のだんらんが聞こえます。
今の私たちにとっては何気ない日常の光景です。しかし、このような平和な日常は、皆様方の尊い犠牲の上にあることを私達は決して忘れません。
二千年以上の歴史と文化を有するこの日本を、命を懸けて守り抜き、 今の私達に引き継いで下さった御霊に心から感謝申し上げます。
中東の戦火が収まりを見せない中、世界は今、新たな混迷の時代を迎えつつあります。諸霊におかれては、引き続き日本の安寧と世界平和に対し、ご加護を賜らんことをお願い申し上げます。
結びに、御霊の永遠に安らかならんことをお祈り申し上げ祭詞と致します。
令和八年四月三日
大村護国神社総代長
永 溝 羊 祐
元旦の朝、元旦祭を行い一年の安寧を祈りました。
雨風の強い天気ではありましたが、多くの方々に参列を賜り英霊に哀悼の誠を捧げて頂きました。
【令和5年 奉納揮毫】
世界平和を願い、国際平和デーの9月21日に大村高校書道部の皆さんに揮毫して頂きました。