美しい日本の想い出にどうぞ

舞妓さん、芸妓さんのお化粧方法の違いが良くわかる

おもてなしフェイスマスク

舞妓/芸妓2枚入り1セット

書店などで販売開始いたしました。

舞妓 Maiko

舞妓さんはアイラインも控えめで、口紅は下唇だけにつけ、髪には花かんざしを着けます。

Maiko make-ups less eye line and only under lipstick, and she wears flower pillars on her hair.

芸妓 Geiko

芸妓さんはくっきりと黒いアイラインを引き、口紅も上下唇につけています。

Geiko draws a dark eye line and lipsticks on whole lips.

ソフトな肌触りで高級感のある純日本製の 不織布を使用しています。

弊社しか出来ない、オフセット印刷技術を駆使した精緻な印刷です

化粧液は付属していません、お手持ちの化粧水、水などをしみ込ませてお楽しみください。

花街/ Hanamachi

芸妓や舞妓が舞・踊りなどの伝統伎芸により心のこもったおもてなしをする街が花街です。

The town where Geiko and Maiko do hearty Omotenashi such as songs and dances is a Hanamachi (flower street).


舞妓/Maiko

京都の祇園を中心とした花街で、芸妓の見習い修行段階のもの。数年間の修行の後、芸妓となります。

At Kagai in Kyoto, young women in the apprenticeship training stage of Geiko. After training for several years, it will be a Geisha.

舞妓(まいこ)は、京都の五花街上七軒先斗町宮川町祇園甲部祇園東)において、舞踊・御囃子などの芸で宴席に興(きょう)を添えることを仕事とする少女のこと。芸妓の見習い修行段階の者をいう。 舞妓・芸妓は、今から約300年前の江戸時代に、京都の八坂神社(当時は祇園社)のある東山周辺の、神社仏閣へ参詣する人や街道を旅する人にお茶をふるまった水茶屋の茶立女(ちゃたておんな)にルーツがある。水茶屋も初めはお茶や団子を提供していたものに、やがて酒や料理が加わり、その店で働く彼女達が、歌舞伎芝居を真似て三味線や舞踊を披露するようになった。現在も京都の祇園を中心とした花街で厳しいしきたりの下で活躍している。京都市内で、普通に見かける舞妓は、観光客の扮した舞妓変身である。本職の舞妓が日中、花街や花街以外を出歩くことは珍しく、京都府民・京都市民でも、本物の舞妓を見かけることはほとんどない。 東京など関東地方における「半玉」「おしゃく」とは別の文化起源であるため、区別されるものである。

芸妓/Geiko

舞いや唄、三味線などの歌舞音曲の芸でお客を楽しませ、宴席を盛り上げる、おもてなしのプロフェッショナル。「芸者」のことを京都では芸妓と呼びます。

In Kyoto Geisha is especially called Geiko. It is a professional of Omotenashi to entertain guests with traditional arts such as dancing, singing and Shamisen at the banquet.


芸妓(げいぎ)とは、舞踊音曲鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。 江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになった。京都では芸妓(げいこ)とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする芸者が売春を行うことはない。

太夫/Tayu

芸妓の最高位であり、歌舞、茶道、華道、俳諧などの多彩な芸と豊かな教養で知られ、かつては天皇に謁見できる官位が与えられていました。

It is the highest rank of Geiko, known for its diverse arts and rich cultural heritage, such as singing, tea ceremony, flower arrangement, haiku. Once a rank was given to audience the Emperor

遊女、芸妓における太夫の称号は江戸時代初期に誕生し、当時は女歌舞伎が盛んで芸達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりだといわれる。やがて遊廓が整えられ遊女の階級制が確立、美貌と教養を兼ね備えた最高位の遊女に与えられ、島原江戸吉原大坂新町長崎丸山に配置されるようになった。主に公家、大名、旗本ら上流階級を相手にし(丸山では中国人、オランダ人も)、吉野太夫夕霧太夫高尾太夫ら(寛永三名妓)が輩出した。しかし、太夫を相手にするには高額の費用が必要とされ、江戸では宝暦年間に吉原で太夫が消滅し代わって「散茶(さんちゃ)」と呼ばれる遊女が「花魁」(おいらん)と呼ばれるようになりそちらが主流になる。一方京・大坂には「太夫」の名は残り、別名「こったい」と呼ばれた。時代の変遷を経て、2017年現在、島原に太夫は5名在籍する。