本研究室では、本能行動を制御している神経メカニズムを解明することを目指して、主にげっ歯類(ラット、マウス)の交尾行動にフォーカスして研究を進めています。
オスの交尾機能を司る神経ネットワークを明らかにする目的で、ラット腰髄におけるgastrin-releasing peptide(GRP)およびその受容体(GRP-R)の発現とそれらの機能解析を行いました。その結果、オスの腰髄L3−L4レベルに存在するGRPニューロンは、L5−L6レベルの仙髄副交感神経核(5)および球海綿体脊髄核にまで投射していた(4)ものの、雌ではほとんど存在しませんでした(1)。また、腰髄におけるGRPの発現制御はアンドロゲン系依存的であることを見いだしています(2, 6, 7)。さらに、成熟オスのクモ膜下腔へのGRP-Rアンタゴニストの局所投与は勃起反射を減衰させることも発見しています(1)。本研究はさらに新たな成果をあげ、心理的ストレスとGRPとの関係を明らかにし、心因性の勃起障害(ED)の病態生理・解明にも寄与しています(3)。以上の結果から、脊髄GRP系が脊髄レベルで男性性機能を神経性に調節キーマンであることを明らかにしています。さらに、この脊髄GRP系はげっ歯類以外の霊長類(8)や真獣類(6)でも存在することを明らかにしてきました。性機能を制御する新たな脊髄神経回路系を解明した本研究は、男性性機能障害への治療法の開発にも貢献するものと考えています。
1. Sakamoto et al., Nature Neuroscience 2008
2. Sakamoto et al., Endocrinology 2009
3. Sakamoto et al., PLoS ONE 2009
4. Sakamoto et al., Endocrinology 2010
5. Oti et al., Histochem. Cell. Biol. 2012
6. Tamura et al., J. Comp. Neurol. 2017
7. Oti et al., Endocrinology 2018
8. Ito, Oti et al., Spinal Cord 2018
など
ヒト男性において、射精後に「母性のホルモン」として知られるオキシトシンの血中量が増加することが知られていますが、その動作メカニズムは未解明でした。そこで私たちは、脳で合成されたオキシトシンが脊髄におけるオスの性機能センターを調節すると考え研究を進めてきました。これまでに、間脳視床下部に存在するオキシトシン・ニューロンが、脳から遠く離れた脊髄まではたらきかけ,脊髄レベルでオスの交尾行動を促進させることを明らかにしています(1)。
オスラットの腰髄クモ膜下腔に、オキシトシンやそのブロッカーを脊髄に投与し、オキシトシンがオスの性機能センターを活性化すること、脊髄で局所的にオキシトシン作用を阻害すると射精能が減衰することを明らかにしました(1)。さらに、視床下部にあるオキシトシン・ニューロンを光刺激により活性化(光遺伝学)できる遺伝子改変ラットを作出し[越智拓海1] 、オキシトシン・ニューロンを光遺伝学により活性化すると、オス脊髄の性機能センターが活性化されることを個体レベルで明らかにしています(1)。また、電子顕微鏡を用いて、脊髄におけるオキシトシン放出を観察したところ、脊髄におけるオキシトシン放出はシナプス領域以外でも観察されることを発見しました(1)。これらのことから、オキシトシンの作用はシナプス領域に限局しないという、オキシトシンによる脊髄での新たな局所神経機構‘ボリューム伝達’を明らかにしました(図2)(2)。これまで、オキシトシンをはじめとするホルモンの多くは、シナプスを介したニューロン-ニューロン間のコミュニケーションを担ったり、血流を介して全身へ輸送・作用したりすると考えられてきた。今回私たちは、オキシトシンを輸送するニューロンが軸索突起を遠く脊髄にまで伸ばし、血中へ放出するかのようにオキシトシンを脊髄にまき散らすことで、1対多に情報を伝えるシステムを見出しました。これは限られた場所・相手に1対多で情報を、遠隔地であっても、局所的に効率良く伝える新たなニューロン間コミュニケーションと考えています(2)。
1. Oti et al., Current Biology 2021
2. Oti & Sakamoto, J. Neuroendocrinology 2023
ホルモンが細胞から放出される分泌現象は開口放出により起きることが知られています。しかし、ホルモンごとに開口放出がどのように制御されるのかはよくわかっていません。私たちはオキシトシンに着目して、ホルモンの開口放出のメカニズムを調べています。
オキシトシンは母性、絆形成などの社会行動に深く関わるホルモンです。オキシトシンの機能不全は、自閉スペクトラム症などの各種社会性障害をもたらすと考えられています。私たちは、これまでに「オキシトシン」の放出メカニズムの解明を目指し、1回膜貫通型の膜タンパク質であるCD38に着目した研究を精力的に推進してきました。すでに、CD38がニューロン細胞体の膜構造に加えて、オキシトシン分泌顆粒の膜上にも存在する、という非常に興味深い結果を得ています。私たちは、オキシトシン放出におけるCD3の分子メカニズムを解明する目的で、先端的なアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターによる遺伝子導入技法と凍結割断レプリカ標識法とを駆使し、CD38のナノ膜トポロジーを明らかにしつつあります。また、局在だけでなく、オキシトシン分泌顆粒の膜上に存在するCD38がADPリボシルシクラーゼ活性を有し、軸索レベルでオキシトシン放出を制御することを見出しつつあります。
今後、細胞・生命活動の根幹を成す「開口分泌」を制御する普遍的な分子基盤を解明することにより、各種ホルモン分泌異常に関連する疾患の病態生理解明へ向けて、重要な知見を多くもたらすことができると期待しています(1)。
人生いつも楽しいほうが良いでしょう。健やかなこころで楽しい社会生活を実現するためには、幼少期の「楽しい経験」を適切に記憶することが重要です。また、ただしい脳神経回路系の発達は、ストレスに強い心を育むこともできます。幼少期の他個体との「ふれあい経験」は自我の形成に重要とされますが、その基盤となる神経回路メカニズムは不明です。本研究では、幼少期における他個体とのふれあいにより形成される「愛着」に着目し、成長後の行動変革をになう神経回路メカニズムを統合的に理解します。例えばラットは生来、「ヒトの手」を忌避しますが、幼少期にヒトの手に多くふれあうことで「ヒトの手」に愛着を示すようになります(手乗りラット)。この愛着形成には、スキンシップやふれあいなどを通して触覚、視覚、嗅覚等を包括した情報が統合されることが重要であると考えられます。しかしながら、「快」の情動刺激が脳内でどのように処理されて、どのように愛着形成に至るのか、また、どのように行動制御に至るのかなどの神経メカニズムは不明です。本研究では、「愛着」形成の基盤となる幼少期の他個体とのふれあいを記憶する神経回路メカニズムを解明します。私たちは、この「手乗りラット」の脳でオキシトシン受容体の発現量を調べています。その結果、手乗りラットのいろんな脳部位でオキシトシン受容体の発現量が変動していることを明らかにしつつあります。
本研究で着目する幼少期の他個体との「ふれあい」による愛着形成の重要性は、その形成不全が重大な社会性の欠如につながる危険性があるところにあります。さらに、こころの深くに根づく愛着形成メカニズムを統合的に理解することは、精神状態を健全に保つことにもつながり、孤立、うつ病・自殺、自閉スペクトラム症、虐待・ネグレクトなどに対する最善の予防医学の実現や新たな治療法の開発に貢献できると考えています。
1. Hayashi et al., Current Biology 2025
性欲は最も強い欲求のひとつであり、性衝動のコントロールは健やかな社会生活をおくる上で極めて重要です。初めての性経験はある種の成功体験として脳に深く「記憶」されるため、交尾を経験したオスラットでは性衝動が顕著になります。通説では、「記憶」は大脳が主に担っているとされていますが、交尾を経験することで、視床のニューロンの樹状突起の習熟や神経伝達物質受容体の発現が増加するなど、大脳以外でも経験を身体に刻む(記憶する)メカニズムが存在すると考えられます。本研究では、この脳機能変革メカニズムを明らかにするため、私たちがこれまで明らかにしてきたオスの性行動に関連した間脳・視床下部神経ネットワークに着目して解析した。その結果、交尾経験の有無により、オス脊髄の性機能センターの活性化の割合が変化すること、交尾経験により脊髄の性機能センターにおけるGRPやオキシトシン受容体の発現が増加することを見出しました(1)。性行動を司る分子・神経回路の解明から、行動レベルでの神経回路系の動作原理の解明を通じて、性経験インパクトがどのように脊髄神経ネットワークや視床下部神経ネットワークに影響をおよぼすかを明らかにしたいと考えています。性衝動を変化させる神経回路メカニズムの解明は、性衝動を任意にコントロールする新しい技術の創出にもつながることが期待されます。
1. Oti et al., IJMS 2021
女性のライフサイクルに伴い、痒み感覚の閾値が変動することに着目し、痒みの「性差」とその神経制御メカニズムに着目した解析を行っています(1)。痒みとは「引っ掻きたいという衝動を誘発する不快な皮膚感覚」と定義され、痒みの悪循環は著しいQOLの低下を招きます。性機能解析から始まり、私たちが10年以上着眼してきたGRPが、脊髄レベルで「痒み感覚を特異的に伝達する分子」としても報告されています。各種疾病にともなう難治性掻痒は堪え難い苦しみですが、対処療法のみが施され、根本的な治療法の確立はなされていません。その背景には、今まで「痒み」は、小さい「痛み」だと捉えられてきたことにより見過ごされてきたことが大きいと考えています。今まさに脊髄GRP系をターゲットとして、本格的な痒み制圧の模索が始まったと言えます。
さらに現在、私たちの研究室では「感覚の系統進化」にも着目し、進化の過程で、動物はどのタイミングで痒覚と痛覚を獲得したのか、という大きな課題に主に小型魚類のメダカ、ゼブラフィッシュを用いて、逆系統進化学的アプローチから迫っています(3)。
アドレノメデュリン(AM)は哺乳類で強力な血管拡張(降圧)作用を示すペプチドホルモンで、高血圧などの循環器病に対する治療薬の候補でもあります。私たちはこのAMが魚類と両生類で5タイプからなるファミリーであることを発見し、哺乳類でも3タイプが存在することを見つけました。AMは哺乳類では主に血管で産生され、血管にはたらきかけるペプチドですが、魚類ではそれに加えて脳室内投与によって飲水促進作用があり(1)、両生類では血液細胞で産生される(2)など、動物の系統群によって異なる機能があることがわかってきました。また、AMファミリーのうち、どのタイプのAMが重要なはたらきを担うのかも種によって異なります。さまざまな動物におけるAMファミリーの作用を解析することによって、種の進化とともにペプチドホルモンがどのように変化してきたのかを解明したいと考えています。
1. Ogoshi et al., Am J Physiol Regul Integr Comp Physiol 2008
2. Ogoshi et al., Gen Comp Endocrinol 2021
神経ペプチドはその名の通り脳のニューロンで産生され、神経修飾物質として脳内ではたらきます。また、多くの神経ペプチドは脳ニューロンに加えて、胃や腸などの消化管組織でも同様に発現し、それぞれが局所的に機能していることから「脳-腸ペプチド」と呼ばれることがあります。脳のニューロンで産生された一部の神経ペプチドは、血中へと放出され、インスリン(膵臓から分泌されて強い血糖値を下げる作用をもつホルモン)と同じように内分泌系ではたらくことも知られています。一方、ある種の神経ペプチドは腸以外の末梢臓器においても発現することが報告されつつありますが、その機能解明はほとんど進んでいません。私たちが着目してきたオキシトシンやオキシトシン受容体が精巣や卵巣でも発現することが知られています。また、GRPやGRP受容体が膵臓で発現するとの報告があります。私たちはこれまでに作製したオキシトシンやオキシトシン受容体、GRPやGRP受容体発現細胞を蛍光標識できる遺伝子改変動物を用いて、末梢臓器における神経ペプチドやその受容体発現細胞の局在を調べています。さらに、AMやその受容体は多くの末梢臓器で発現することがわかっていますが、特に哺乳類以外の動物では発現細胞がほとんど調べられていません。小型魚類においてゲノム編集技術を用いて遺伝子改変動物を作製し、細胞レベルでの局在を調べています。これらの解析により、神経ペプチドのそれぞれにおけるはたらき、さらにはその脳-末梢連関を明らかにできると期待しています。