「神は死んだ」とニーチェは言った
フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』をもとにしたタイトル。
ニーチェは、自身のニヒリズム——真実など存在しない、あるのは解釈だけだ——という思想を、先の著作のなかで「神は死んだ」と表現した。
ここでは、「長らく人類が信じていた最高の価値は実は存在せず、『真実がある』と思いたい人たちが信じていただけだ」という意味の言葉として解釈し、引用した。
" いのりのかたち "という課題のテーマを聞いたときに、私にとって最も身近な「いのり」とは何かを考え、真っ先に思い浮かんだのが " 平和へのいのり " だった。
" 平和へのいのり " から関連して思い浮かんだのが、「蛸壺に無神論者はいない」という英語圏で有名な出典不明の言葉。
蛸壺 (=戦場で身を隠すために使われる、兵士 1 人分の地面の穴のこと ) に入るような状況下では、誰しもが神に祈るしかない、という意味で用いられる慣用句である。
そこで、「神への信仰心を持たない機械兵士であっても、蛸壺に入ったら神を見出し、祈るしかないのだろうか?」という疑問をテーマとして設定することにした。
「戦場が完全に機械化され、ロボットが戦う戦場となる」というのは、軍事研究の専門家界隈でもただのフィクションと考える人は少ない。
そして、2020 年のナゴルノ=カラバフ紛争や、2022 年のロシアによるウクライナ侵攻で、無人機やドローンなどの活躍が現実に見られるようになった。
ウクライナ戦争ではSNSによる前線からの情報発信が盛んに行われており、先日はSNS上でドローン同士による空対空戦闘の映像が公開されていた。
ドンバス上空、ロシア軍のマヴィックとウクライナ軍のマヴィックが体当たりで互いを蹴落とそうとする様子が映っている。
映像はどこかコミカルな様子だが、軍事専門家や愛好家の間では「史上初のドローンによる空対空戦闘の映像」として話題になった。
また、SNS の普及により、こうした映像がまさに戦闘の起きている地域からリアルタイムで世界中に発信されるようになったことも、21 世紀の戦争の大きな違いであると言える。
しかし、これによって遠方で起きる戦争を「スポーツ観戦」のように考えてしまう人が多くなったことも、新たな問題として指摘されるようになっている。現在の SNS によるウクライナ侵攻への世論を観察すると、戦争で人命が奪われているという事実よりも、「ロシアとウクライナのどちらを応援したいか」というような感覚が先行している人が数多く見られる。
ナゴルノ=カラバフ戦争やロシアによるウクライナ侵攻をはじめとする 21 世紀の戦争や、他の地域の情勢などを見ていると、「未来の戦争になる」と予想されていた現代の戦争は戦争の世紀と呼ばれた 20 世紀のそれと殆ど変わらない、もしくはもっと遡って古典的な戦争だったことがわかる。
占領地域での民間人虐殺、強姦、略奪行為など、ロシア軍の蛮行は数えればキリがない。ウクライナ軍は規律を守ろうと尽力しているが、ロシア軍への憎悪から捕虜に残酷な扱いをするケースも見られる。
そして、「SNS による戦争のスポーツ観戦化現象」についても、現在より顕著になったことは確かであるが、20 世紀に活躍したフランスの小説家であるアルベール・カミュが著作『ペスト』のなかで、先んじて以下のように指摘していた。
" 夜の十二時に、時々、もうすっかり人気の絶えた町の深い静寂のなかで、短かすぎる眠りにつこうとして床にはいるとき、医師は受信機のスイッチをまわしてみることがあった。
すると、世界の果てから、幾千キロを過って、未知の友愛の幾つかの声が、彼らも連帯者であることをいおうと無器用に努力し、そして事実それをいうのであるが、しかし同時に、自分の目で見ることのできぬ苦痛はどんな人間でも本当に分かち合うことはできないという、恐るべき無力さを証明するのであった。「オラン!オラン!」——むなしく呼び声は海を渡って来、むなしくリウーは耳を澄ますばかりで、やがて雄弁は調子を高め、グランとその演説者とを二人の無縁者たらしめる根本的な隔たりをいよいよはっきりさせるのである。
「オランの人々!まことに、オランの人々は......」。「いや、だめだ」と、医師は考えるのであった。「愛するか、あるいはともに死ぬかだ、それ以外に術(て)はないのだ。彼らはあまりにも遠くにいる」"
——Albert Camus『LA PESTE』宮崎嶺雄訳(新潮文庫、1969 年)
このように、時代をいくら経ても、戦争が人間によって引き起こされ、人間によって続けられ、人間によって終わらせられるものである以上、「人間の性質」が変化でもしない限り、同じ「戦争の性質」が表出するのだと、私は近年の情勢から学ばされた。
ここまでのリサーチを踏まえて、今回の作品では「未来の戦場」を以下のように想定し、作品の基礎を作った。
「兵士は全て人間によって作られた機械 ( ロボット ) になった。機械兵たちに個性や意思はないが、学習能力は備えられている。
人間はそれら機械が戦う戦争を眺めるだけで、スポーツ観戦のような感覚で戦況を SNS などを通じて共有し、自分たちは通常の生活を送る。
しかし、やがて戦線が攻勢側の勢力によって押し込まれ、民間人の生活圏まで及ぶと、虐殺や拷問などの残忍な行為を戦意喪失を狙った戦術として機械兵たちに実行させるようになる。
そして、徴兵による人的損失がなく、戦況有利な勢力にとってそこで進軍を止める意味がなくなっているため、どちらかの国 ( 勢力 ) が滅ぶまで戦争が続く」
使用した制作ツールは主にMaya, Unreal Engine 5など。
ロボットのモデルはMayaで制作し、その他小物や背景はアセットを使用した。
制作期間が3ヶ月と短期間であったため、映像制作のプロセスを極力効率化することを目標とした。
また、最終的な編集はAfter Effectを使用。
企画初期段階のコンセプトアート