遠く離れたキミと 前編(ロベリア視点)
遠く離れたキミと 前編(ロベリア視点)
「それはオレに何のメリットがあるんだ?」
そう言うと、目の前の男は眉を下げて困惑した表情を浮かべた。
団長が高熱を出し意識が戻らず、この男が代理を務めたのはつい最近の出来事だ。小規模ながら別の団の団長をやっているだけあって依頼の割り振りや事務手続きも熟知していた。しかも実力も知名度もあり、対外的にも団内にも反発はなかった。オレ以外の十賢者も指示に従い依頼をこなした。
団長の意識が戻り、団内も落ち着いたから一旦艇を離れて別の空域に行くという。オレの音魔術、メサージュでいつでも連絡を取れる状態に出来ないかと言ってきた。
恩人に頼まれるならまだしも、恩人の団の人間に頼まれて聞き入れる必要性がこれっぽっちもありはしない。
「答えはノン、だ。オレがキミに力を貸す理由がない。オレも忙しいんだ」
「団長ちゃんと直接話せなくてもいいんだ。何かあったらすぐに戻って来れるように、今回だけは連絡が取れるようにしたくて……」
「それはさっきも聞いた」
凪いだ空色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。
どうやら諦めたらしく、視線を外して大きくため息を吐くと、笑顔を作って見せてきた。
「いやぁ~、無理言ってごめんね。出来るって聞いたから頼んでみたけど、空域を越えて会話をするなんて難しいよね~」
「ノンノン、それくらいは出来る。ただ、試したことはないだけで」
「それ、出来るって言うの? 本当に出来るかはわからないよねぇ?」
話しかけてきた時は真剣な表情で声も低く話していたが、今はへらへらとした顔をしてこちらを小馬鹿にしたような間延びした喋り方をしている。随分と失礼な男だ。エレガンスさの欠片もない。
「挑発したってやらないぜ」
「出来ないんだろう? いいよ、イーウィヤに頭を下げてくるから」
イーウィヤというのはその辺に転がっている猫だ。変な作動音のする猫だと思ったが実は六竜だったらしい。それでも普段はただの猫で日向に寝っ転がっているだけだ。この全空一の魔術師に対して小動物以下だと言うのか。
背を向けて立ち去ろうとするところを呼び止める。
「待ってくれ」
振り向いた男は先ほどまでの張り付いた笑顔ではなく、胡散臭いにやけ面をしている。
「なぁに? 俺も忙しいんだけどな~」
非常に腹立たしいが、このままにするのはプライドが許さない。指を鳴らしてメサージュ用のクラポティを取り出すと差し出した。
「オレは全空一の魔術師だ。空域を越えても音を伝えることが出来る」
男は目を細めてからクラポティを受け取った。
「いいねぇ、そういうの嫌いじゃないよ。全空一の剣士として礼を言う」
正面から目を合わせて「ありがとう」と言われたのは久しぶりのことだった。大したことないやりとりが照れくさく感じてしまう。
「今回だけだ」
頷いてから立ち去っていく靴音が上機嫌に跳ねていて、男の思い通りにしてしまったことが腹立たしい。気分転換にすぐにお気に入りのクラポティを取り出して、大腿骨の折れる音に耳を傾ける。
当然のことながら、オレの魔術は空域を越えても音を伝えることが出来た。空域を越えたかどうか何度も音を飛ばして確認したくらいだ。
「お前の能力はよ~くわかったから、頻繁に話しかけてこないでよね」
「ノンノン、オレの力はこんなもんじゃないぜ」
シエテとのやりとりも慣れたものだ。魔術を使ってやっているのだからオレの良いように暇つぶしに使っている。
「やめてよ、一人で壁に向かって話してる変な人みたいじゃない」
「一人? 他にも誰かいるみたいだが?」
稀に、聞き取れないくらい遠くに話し声が聞こえる。毎回同じ人物にのように感じる。だから誰かと共に行動しているのだと思っていた。
「……ずっと一人だよ。変なこと言わないでよ」
怪談では怖気づいたりはしないと言うが、声に動揺が混じっている。それにやはり、シエテが話していないタイミングでどこか遠くから小さな声が聞こえる。きっと、恐らく、オレはソレによく思われていない。
暇な時には気軽にシエテに話かけるようになった。頻繁に話しかけるなとは言っていたが毎回ちゃんと応えてくれるし、話しかけてはいけないタイミングを言ってくるようになったのでそこを避けて話しかけた。とてもいい暇つぶしになっている。それに、眠る前に聞くと心地良い声をしていることに気づいた。何か話をしてくれというと、毎回決まって悪党を華麗に倒した話をしてくれる。幼い頃にママが読んでくれた英雄譚を思い出す。
「くはっ、満足したよ。ボンニュイ、シエテ」
「まだ途中なんだけど!? もう、勝手な奴だなぁ……おやすみ、ロベリア」
面倒な頼み事だったが、悪くない提案だったと思えるようになってきた。親しい友人が出来るというのはこういうことなのだろうか。よくはわからないがこの声はもっと聞いていたい。
心配するようなことは団長にも団にも起こらず、シエテはごく普通に予定通り帰ってきた。今日は特にこれといった用事もなかったので艇の入口まで迎えに行くことにした。
「サリュ、シエテ」
「ロベリア?」
オレが迎えに来るとは思っていなかったようでシエテは目を見開いて驚いたが、すぐにクラポティを鞄から取り出してこちらに差し出してきた。指を鳴らして回収すると、満面の笑みを浮かべてこちらを見ている。
「ありがとう。空域を越えても鮮明に聞こえるのは便利だねぇ。報酬はどうしようか」
「……報酬?」
「音の魔術に対する報酬だよ。複数回郵便を送った額くらいじゃ、全空一の魔術師には安過ぎるかな」
オレの魔術に対して報酬を貰うことなど考えたこともなかった。今まで自分の幸福の為にだけ使ってきたので、感謝されることもこの団に来てからだ。それも魔物を破壊をして命を助けただとか障害物を破壊しただとか、破壊に関連することだけで、だ。だからこそ報酬と言われてもピンとこない。
「特に何も起こらなかった。キミと話をしただけだ」
「そうだとしても、優れた能力を安売りするのはよくないよ」
確かに優れた能力だ。この広い空の下、出来る魔術師はオレくらいだろう。だがそれは魔術師に限った話で、竜や星晶獣を探せばいくらでもいることくらい知っている。それこそ六竜に頼んでもよかったのだ。言う通りに安売りはしたくないが高く売りつけるほどでもない。
この話題は非常に煩わしい。オレにしたら大した魔術ではないのだから。
「それなら……また、遠くに行く時に持っていってくれ」
指を鳴らして再びクラポティを取り出して差し出す。
「えっ?」
「オレの能力の証明になる」
「で、でも」
「借りが気になるなら、寝る前に話をしてくれ」
驚いた顔をして、すぐに嫌そうな顔に変わった。なかなか受け取ろうとしないので強引に押し付ける。
「……わかったよ。いつでも応えられる訳じゃないからね」
鞄に収める時、布に包んでいるのが見えた。魔術で出しているので本物の貝とは違い、そう簡単には壊れないのだが、わざわざ言う必要もないかと黙ったまま眺める。
シエテはやることが多いらしく、すぐに他の団員に囲まれてしまった。色々と質問や確認をされて次々に答えていく。もうオレの用事は済んだので何も言わずにその場を離れた。今、話さなくても、オレだけは寝る前にいくらでも話せる。艇から離れればそれこそオレだけが話せる。
良いことをすると気分がいい。出迎えた甲斐があった。
それから艇にいても毎晩寝る前にほんの少しだけ会話をするようになった。明日の天気や食事だとか他愛もないことを二言三言交わすだけでよく眠れる。広い艇内で顔を合わせることはないがそれなりに親しくなれたと思う。
シエテはまた艇を離れることになって、どうやら行き先が過酷な環境らしく会話をすることは減った。数日ぶりに話せるタイミングが合ったが、状況は芳しくないようで疲労を滲ませている。
「疲れているのなら眠った方がいいんじゃないか?」
無理して話をする必要はない。疲れている人間を話し相手にするほど、オレも非情ではない。シエテのことも今ではそれなりに気に入っている。
小さく息を飲む音を感じる。暫しの沈黙の後、弱々しい声が響く。
「……もう少しだけ、あの団での生活と繋がってたいな」
そうは言うが疲れているシエテの話が弾むとは思えない。今日はオレが話をする方が良さそうだ。
「ディナーの時間に誰が一番多く食べられるか競争している連中がいてね、それに巻き込まれて今日は食べ過ぎてしまった。キミと仲の良いサラーサには負けてしまったが、そこそこ上位に食い込んで……くはっ、全員まとめて団長に叱られてしまった。食料を食べ過ぎるなと、ね。オレは巻き込まれただけなのに酷い話だとは思わないか?」
「あははっ、その光景が思い浮かぶよ」
自然な笑い声を聞くと、何故か胸が締め付けられるような痛みがする。不快感のない淡い痛みだ。
「シエテと話せる時間には解放されたから良かった」
「えっ?」
「長引いてキミと話せなかったら勿体ないだろう」
「……そっか」
もう暫くこの不思議な痛みに浸っていたかったが、思ったよりも時間が経過していた。このまま眠れば良い夢が見れそうな予感がする。
「そろそろお開きにしよう。オレも朝早いんだ。ボンニュイ、シエテ」
「うん。おやすみ、ロベリア」
心なしか張りのある声に戻っている。声は張りがあって弾んでいる方がいい。
その日からまたシエテの声が聞けない日々が続いた。幸福の音を聞いたり、シエテが語った話を録音したものを聞いていると、稀に物足りなく感じることがある。新しい話が聞きたい。
幸福の音を聞きながら微睡んでいると名前を呼びかけられた。
「ロベリア、聞こえる?」
シエテの声だ。寝っ転がったまま返事をする。
「サリュ、シエテ。キミから声をかけてくるなんて珍しいな」
「あのさ」
いつもよりも存在が遠くに感じる。声もどこか不安そうに揺れている。
「シエテ?」
「……いいや、なんでもない。誰かの声が聞きたくなって。こんな時間に悪いね」
早口で会話を終わらせようとしてくるのもおかしい。
「待ってくれ」
何か興味を引いて引き伸ばしたいが、シエテの好きなものなんてすぐに浮かばない。それでも、この団の全員が好きな話題が一つだけある。
「団長に繋ごうか?」
「いいや、大丈夫だよ。少し人恋しくなっただけだから」
いくら人恋しくなっても、オレに話しかけてくる人間なんて暇を持て余した老人くらいだ。
「くはっ、それならまたオレの話を聞いてくれ」
オレが幸福の意味を知る前の幼い頃の話を始める。
団長にもまだ話していない。これまでずっと、幸福の音と出会う前のことは人生の中でとても些細なことだと思っていた。パパとママに愛されて育った時間はかけがいのないものだと団長たちに出会ってわかってきた。海の近くで過ごした幸福も知らぬ幼い頃の記憶。かけがいのない素晴らしい時間があったからこそ、パパとママは素晴らしい音になった。
「……うぅ~ん、俺はそういう経験がないからコメントし難いなぁ。この話は団長ちゃんも知ってる?」
「ノン! 幼い頃の話なんて照れくさくて話せない。それに顔を見合わせて言うような話でもないしな」
理解者である団長には幸福も知らない頃のオレなんて知られたくはない。
弱っている今のシエテになら、過去の弱い部分を知られてもいいかと思った。ちょっとした気まぐれだ。
「顔が見えない分、話しやすいこともあるんだね。初めて知ったよ」
「オレもだ」
「ロベリアの能力なのに?」
「使う相手がいなかったんだ」
「友達いなさそうだもんね」
「……キミだってそうだろう」
「いやいや、そんなことないよ~。全空中に友達が百万人はいるからね~」
「くはっ、それはすごいな。是非とも会ってみたい」
「あ、馬鹿にしてるな」
「くははっ!」
話をしていてとても楽しい。シエテが友達ならいい。百万人の中の一人になら簡単になれるだろう。きっともう友達だと言っても特に支障がないはずだ。
早く帰ってきて、また毎日話せるようになったらいいのに。そう思っていることに自分でも驚く。
聞いたことのない音で部屋のドアをノックされた。無言で開けるとシエテが立っている。珍しい来客に目を見開いた。
「サリュ、シエテ。なんの用だ?」
装備は身につけておらず、薄手の綿のシャツとハーフパンツだけで街に出るような格好をしている。
なにか用があればメサージュで声をかければ済む話で、長らく顔を見合わせていなかった。
「あー、メシでも行かない? いつも助けて貰ってばっかりだしさ、少しはお礼をさせてよ」
言いながら非常に照れくさそうな顔をしている。
顔を見るのは本当に久し振りだ。まじまじと見ていると名前を呼ばれた。
「ロベリア?」
いつも聞いている低く柔らかい声だ。この唇の隙間から声が出ているのだ。触れてみたくなってすぐに指を這わせる。
「な、なに」
親指と人差指で軽く摘むと柔らかい。近づいても拒まれないどころか触れさせてくれるなんて警戒心がないらしい。
恥ずかしいのか徐々に顔が赤くなっていく。耳まで真っ赤になってしまった。それでも拒まない。唇から指を離し、晒された鎖骨から首、耳の後ろまで指を滑らせる。
もっと触れたい。触れるだけでなく舌を這わせて、今までに聞いたことのない声を上げさせたい。
「ちょっと、くすぐったいんだけど〜?」
ああ、そうか。わかってしまった。愛おしい。団長たちやタワー、パパとママに感じるのとはまた違ったどろどろと粘着質で甘ったるい愛おしさだ。幸福の音以外で肉欲を感じるのは久しぶりのことだ。
「くはっ、くっははっ!」
「なんだよもう、行くの? 行かないの?」
どうやら思わず笑ってしまったことが不服だったらしく口を尖らせている。
笑ってしまうのは仕方のないことだ。今の今まで気がついていなかったのだから。最初の頃は面倒な相手だと思っていたではないか。
「……そうだな……着替えたい。廊下で待たせるのは悪いから、オレの部屋の中で待ってくれ」
可哀想に。これまで通り、声だけの付き合いを続けていればよかったのに。それかいつもどおり鎧とマントを身に纏い武装していれば、触れられて真っ白い肌を桃色に染めなければ……ノン、もうとっくに気に入ってしまったからオレのものにすることは変わらない。決まったことだ。
「慌てなくても何処かで待ち合わせてもいいよ」
じわじわと距離を近づける必要もない。もう既にすっかりオレのことを信頼しきっている。巡ってきたチャンスを逃すものか。
「遠慮する必要はないぜ」
本当にただ待たせる為だけに部屋に招く訳ではないのだから。
これっぽっちも警戒せずに部屋の中に入ってきたシエテをドアに押し付けて唇を重ねる。目を見開いて驚くが抵抗はしてこない。唇を離して顔を見つめると、ただただ困惑した表情をしてこちらを見ている。
もう一度、唇を重ねようとすると顔を背けて避けられてしまう。そのまま頬と、耳にキスしていくとゆっくりと唇が開く。
「……どう、して?」
「キミのことが好きだ」
続けてジュテームと囁きかけると、小さく震えて碌な抵抗もなく受け入れられた。
オレはいつの間にかこんなにもシエテにとって大きな貸しを作っていたのか。他人に親切にするようにと言ってくる人物が多いことにも頷ける。貸しは作っておくと物事が有利に運ぶものだ。確かなメリットがあった。
次はどれだけメサージュを使えば再び夜を共にしてくれるのだろうか。何回すれば貸し借り関係なく体を許してくれるようになるのか。特別なクラポティがいくつに増えたらパパとママのような関係と言ってもいいのか。
朝日を浴びて照れくさそうに笑うシエテを見ながら、なるべく早くその日が来てくれるといいなと願う。