記憶を失ったとしても
記憶を失ったとしても
頭を打ったタイミングが悪かったようだ。
タワーが残像の頭部を握りつぶした瞬間と、現実での頭部への衝撃が綺麗に重なって破壊される気分がリアルに味わえた。ただ、衝撃が強すぎて意識も飛ばしてしまった。
気を失った後、艇の中にある医務室のベッドの上で目覚めた。団長とビィとルリアのことは知っているが、他の人物達の名前は誰一人わからなかった。
検査をされた結果、体に異常はなかった。問題はここ数年の記憶がないことだった。団長に恩返しをするためにグランサイファーに乗ったことと、ワールドと敵対したことくらいしか覚えていない。
数年いるくせに特定の仲の良い人物はいなかったようで、依頼のない時は一人で過ごしていたらしい。そうだろうなという感想しか浮かばなかった。タワーは相変わらず忙しくしているが楽しそうなままで、彼がいれば話し相手には事足りている。不便なことは艇の中の配置を忘れてしまったことくらいだ。それもそのうち覚え直す。なので記憶が戻っても戻らなくて大きな問題はないという結論になった。念の為、頭痛がしたり記憶が戻ったら医務室に申告するようにとだけ言われて解放された。はじめの数日は心配され囲まれることもあったがすぐに静かになった。
それらは全て些細なことで、何よりもクラポティの数が莫大に増えていて、自室でそれらの確認に勤しむ毎日が幸せで充実している。これなら定期的に記録を失うというのも良い選択かもしれない。
食堂で食事をしていると視線を感じた。振り返ると一人の男がこちらを見つめている。
「ボンジュール、オレに何か用だろうか?」
あまりにも不躾な視線だ。苛立ちを込めて話しかけると、男は驚いた顔をしてからぎこちなく笑った。
「……いいや、頭を打ったと聞いたから。元気そうでよかった」
よかったという言葉は本心のようで、笑顔は自然な柔らかいものに変わった。心配されるだけの関係性があったのだろうか。なかなか特徴的な髪型をしていて、目立つマントを羽織っているが今まで見かけた覚えがない。
「オレはキミと交流があったんだろうか?」
「いいや、同じ艇に乗る仲間として心配しただけだよ」
この団に所属する団員達は人が良い人物が多く、こうして大した面識がなかった相手にも心配されることは多い。倒れてすぐの時はよくあった。この男はあまり艇に滞在しない団員なのだろう。常駐する団員と、都合が合えば乗っている団員がいる。俺の無事を確認して満足したのか、何もなかったかのように立ち去ってしまった。
「トレビアンッ! この音は特にセマニフィック。メルシー、過去のオレ」
破壊音を聞けばそれが自分かそうでないかは明確だった。自分自身の破壊される音を聞くと体に快感を知らせる震えが走る。嗜好が変わったのか、団の中に擬態する為か、破壊音ではない破裂音や環境音、演奏を録音したものも増えていた。
素晴らしい幸福の音の数々に感激のあまり幾つかのクラポティを床に落としてしまった。慌てて拾うとベッドの下に空色の何かがちらっと見えた。覗き込むと奥の方にお菓子の缶がある。大きめだからキャンディーではなくクッキーだろうか。小腹も空いているし引っ張り出してみる。中身がじゃらじゃらと鳴ってクッキーではなく何か細々とした硬い物が入っているとわかったが、気になったので床の上で開けてみた。
リボン、小石、貝、植物の葉、押し花、知らない島の地図と観光案内。ゴミばかりが入っている。誰か子供が集めていたものを貰ってきたのかもしれない。個人を特定出来そうなものはなにもない。
ゴミの中でもハンカチで厳重に包まれたものを開いてみると白い巻き貝が出てきた。クラポティだ。どうしてこの中に一つだけ入っているのかわからない。この缶の持ち主の最後の音かもしれない。洒落たアイディアじゃないか。嵩張るこんな価値のないような物まで一緒に残しておくほどパルフェな音に違いない。
期待しながら再生すると、トクトクと穏やかに心臓が脈打つ音が聞こえてくる。「キミの音を録音出来るなんて夢みたいだ」という俺の声の後に、微かに笑ったような吐息が入る。衣擦れの音とリップ音がしてから鼓動が早まっていくと、すぐに録音が終わってしまった。
なんだこれは。
何度聞いても聞こえる声は自分自身の声で、相手の情報は心音くらいだ。子供の心音ではない。そうなるとこの缶の持ち主は心音の人物か、俺ということになる。
缶の中身をひとつずつテーブルに並べる。壊れたピアスを見つけて、今しているピアスがよく似た新しいものであると気が付いた。
底にあったメモの切れ端にはハートマークが描かれている。癖もペンも見覚えがなく、自分が書いたものではなさそうだ。
ここまでくると、恋人との思い出をしまっていたとしか思えない。なにも思い出せないのに胸がざわつく。
どうして他に録音を残していないのか。寝る間を惜しんで新しいクラポティを全て調べたが恋人に関する録音は他にはなかった。タワーに聞いても返事はない。
医務室に乗り込んで今すぐ記憶を戻して欲しいと言っても無理だと断られ、しっかり睡眠をとるようにと注意された。
団長に詰め寄って恋人がいたようだと主張したが妄想を疑われた。非常に上手く隠していたようで手がかりがない。ふと、思いついたことを口に出す。
「団長、ハートマークを書いてくれ」
「やだ」
「書いたものを見るだけでいいから! 早く!」
勢いに負けて渋々書いてくれたものを見る。メモのハートとは形が違う。
「残念ながらオレのマシェリーは団長ではないようだ」
「言い難いんだけど、名乗ってこないってことは探して欲しくないんじゃないの」
「え?」
「それかもうこの世にはいない可能性もあるよ。ロベリアの恋人でしょ」
「くはっ、それは確かに……」
「なんでも話したがるロベリアから恋人の話を聞いたことがないし、録音もないなんて妄想だと思うんだけどな」
録音がない訳ではないが証拠として聞かせるのは躊躇われる。団長は俺に似た感性をしているから録音の心音にときめいてしまうかもしれない。
俺の恋人が俺に探して欲しくない訳がないし、妄想でもない。ハートを書く指先を見たはずだ。もういないかもしれないという言葉だけが内蔵を冷たく締め付ける。
もう生きていないとすれば、どうして最後の音を録音していないのか。これまでに聞いたクラポティに混ざっていたとは思えない。例え記憶を失っていたとしても、特別な幸福の音を聞き分けられないなんてことは考えられない。
残っていたクラポティを何度も何度も繰り返し聞く。とても心地の良いリズムだ。音が早まると自分の心臓の鼓動も早まる。録音ではなく直接聞きたい。
心音のクラポティと同じく、どこか別の場所にしまっているのかもしれない。部屋の中を隅々まで探すが見当たらない。
どこか他の場所にないかと広い艇の中の廊下を彷徨う。
「わぁっ!」
「……おっと、すまないマドマーゼル」
廊下の角を飛び出してきた幼い少女とぶつかってしまった。少女の持っていた紙が宙を舞う。少女は浮いて移動していて、俺は音を出していなかった為に起きた事故だ。紙を拾って渡そうと差し出した時、書いてある内容に目が止まる。トランプのゲームを説明しているようで各マークが描かれている。
「まっ、待ってくれ、これを書いたのは誰なんだ」
見覚えのあるハートマークだ。メモのハートとよく似ている。
「シエテだよ?」
「……シエテ?」
「知ってるよね? 仲良かったでしょ〜」
二人でよく内緒話してたじゃんと言われても全く思い出せない。シエテという人物が女性なのか男性なのか、種族でさえも浮かんでこない。
「すまない、記憶を失っていて思い出せないんだ」
「えぇっ、大変だぁ。そうだ、会ったら思い出すかも。一緒に会いに行こう!」
言うなり飛び出した少女の背中を追っていく。ある部屋をノックもせずに開けて飛び込む。
「シエテ~、友達が来たよ。記憶がなくなっちゃってるんだって」
「……あ、あぁ、ロベリア。久しぶり」
部屋の中でぎこちなく笑っている相手を見て、思い出したのはつい最近の出来事だった。
「キミが、シエテ?」
シエテは食堂で俺のことを見ていた男だ。交流があったどころか、他人からみて仲が良かったと言われるような相手だったのか。
「二人でお話してみたらいいよ。あちしはサラーサと遊ぶ約束してるから何かあったら呼んでね〜」
「ちょっとフュンフ、待って。いきなり二人にしないでってフュンフー!」
シエテが少女を呼び止めるが、少女は聞く耳を持たず、来た時と同じように飛び出していってしまった。部屋には二人だけが残る。
「……シエテ」
「思い出した?」
「いや、でもオレの探してた人はキミだと思う」
心音が録音されたクラポティを差し出す。
「このクラポティを聞いてみてくれ、キミだろう」
嫌そうな顔をしたが、耳に当てると黙って聞いてくれた。反応を待つが表情は変わらない。
「これが俺だって誰もわからないよね」
「心音を聞き比べればわかる」
「普通の人にはわからないよ。お前が合ってるって言うかどうかの話だよねぇ」
「どうしてそんなに否定するんだ」
「否定もなにも、これじゃお前が探している人物が俺かどうかはわからないっていう話だよ」
どうやら相手は頑なで話を煙に巻くのが得意な性格らしい。今の記憶が欠けた状態では、言葉の応酬で勝てそうにない。
「説明するのは難しい。オレの部屋で見て欲しいものがあるんだ」
部屋まで来てくれるかは賭けな部分があった。しかし来ないならあの缶を持って何度でもここに来ればいい。どうしてそんなに関係をなかったことにしようとしているのか理解出来ないが、俺が取り戻したいと思うのだから抗うしかない。熱意が伝わるように真っ直ぐに見つめる。
「それを見て、なにもなかったらもう来ないでくれないかなー」
シエテが視線から逃げるように目を逸らせて立ち上がった。
クラポティを聞いたあたりから言動がどこか不自然だ。なんとなくだが、俺の幸福になるためなら何も譲らない性格を理解している気がする。期待が膨れ上がっていく。
「絶対に見に覚えがあるはずだ」
「さぁ、どうだろうねー」
迷いなく俺の部屋に向かう足取りからも確信が深まる。この正直な男があの心音の人物で、俺の大切な存在のはずだ。
自室に入るとすぐに缶をテーブルの上に乗せて手を向ける。
「開けてみてくれ」
ゆっくりと開かれた缶の中身を見ると、シエテの顔が動揺したように歪んだ。美しい瞳が揺れる。
「これ、は」
絞り出すような声は官能的でもっと聞きたくなる。こんなにも素敵な人物が恋人だなんて俺は幸福なんだろう。
「キミとの思い出だ」
自信を持って指摘すると睨まれた。
「なにも取っておくなって約束したろ」
なにやら怒っているようで反射的に謝る。
「デゾレ。でも、その約束も覚えてない」
「こんなもの取っておいて……全部、忘れたくせに……」
シエテの下がった目尻から涙の雫が一粒流れた。室内の光を反射してきらりと光る。
ふたりきりの時はよく涙を零していた。もっとドライな性格だと思っていたから初めは驚いたが、表現が苦手なだけで感情豊かで愛情深いと知ってからはもっと夢中になった。しょうもない冗談も、強さを根拠とした高慢なところも、意外と嫉妬深いところも、年齢が上なことを気にしているところも好きだった。
何も残したがらない彼に手紙をせがんで、やっとのことでメモの切れ端にハートマークを書いてもらえたこと。書き終えた指先がほんの少しだけ震えていたこと。これで充分でしょという顔は耳まで赤くなっていた。
どうしても音を録音したいと言い続け、わからないように心音だけなら1年付き合った記念に録音してもいいよと言ってくれた時は嬉しくて笑いが止まらなかった。また来年考えてあげるよと言ったが約束はまだ果たされていない。
情事の際に涙を流すことが増えた。無意識に、体の反応として流れてしまうらしい。綺麗な光景を特等席で独り占めできた。
全部全部俺のものだったのにどうして忘れてしまっていたのか。
「シエテ」
「このまま終わらせることがお互いにとって良いことだと思ったんだ」
「シエテ」
「こんなもの見せられて知らない顔なんか出来ないね」
「シエテ、いいから先にオレの話を聞いてくれっ!」
涙目で話しているのを肩を掴んで無理やり中断させる。
「な、なに」
「思い出した」
「えっ」
「泣いてるキミの顔を見て思い出したんだ」
「本当に?」
「心音を録音した後に盛り上がりすぎてキミは漏らして泣いたし、それから頻繁に涙を流すようになった」
事実をそのまま言うと頬を抓られる。そういえば情事での出来事を指摘すると機嫌を損ねるのだった。
「もう一回記憶を飛ばしてくれないかな。次は完全にお前の前から存在を消すから」
「やめてくれ。二度と忘れたくない。音以外のものも取っておいてよかった」
「こんなに集めてたなんて知らなかったよ。全く、子供じゃあるまいし」
そう言いながらリボンや小石を手に取る。
お菓子や花を束ねていたリボンに、初めて二人で出かけた場所で拾った石だ。シエテも同じことを思い出しているのか目が細めて眺めている。
「キミがもっと録音させてくれないから思い出すまでこんなに時間がかかったんだ」
「……何も残したくないんだよ」
目の前ではなく、どこか遠くをみる視線に割り込む。
「オレは一生残しておきたい」
一つだけ録音していたクラポティを撫でる。これがもっとたくさんあればそれだけ幸せになれる予感がする。
「本当に録音したのはそれだけなんだ」
「ウィ、これだけだ。もっと褒めてもらいたいくらいだ」
許可がなければ録音しない、周囲には関係は隠すという条件を飲むだなんて我ながら信じられないが、きちんと守っていた。しかも缶の中身も個人を特定出来ないものばかりで第三者にもシエテにも見られても言い逃れできるものだけだ。ハートの書かれたメモだけは危ういが、どうしてもとっておきたかった。痕跡を残すことを恐れる彼の精一杯のラブレターだから。
「えらいえらい」
頭を撫でられる。触れられるのは久しぶりで忘れていた欲求が湧いてくる。
「シエテ、後でこの巻き貝にハートを書いてくれないか」
指を鳴らして大事な巻き貝を収納する。
「後で?」
首を傾げるシエテの腕を引いて2人してベッドに寝転がって唇を軽く重ねる。
「愛し合う恋人同士が再会したんだ。今は他にすることがあるだろう」
「結局こうなるんだよなぁ」
不満が残っているように言うが、服を脱がせやすくするために体を少し浮かせ、瞳が蕩けて吐息も熱い。この調子で俺なしにどう生きていくつもりだったのだろう。
「くははっ、今後はもっとオレから逃げられないようにするから覚悟してくれ」
事実を告知すると、無防備な喉に甘く噛み付いた。