今日のワイルドエリアは霧。周囲の風景が絶妙に見えにくくて絶好の生配信日和だ。場所が特定されないって素晴らしい。オレさまのロトムは、オレさまと絶妙な火加減の竈を映している。ロトムはいつだってオレさまを最高に映えるアングルで撮影してくれる。撮影しながらも、ヒマ。 何この時間。 キバナさまが飯炊いてるのを見守る1時間だよ。 え、虚無では? キバナさまちょっと面白い話してよ。 ダンデー。 と途切れ途切れにコメントを読み上げる。おいおい、まだ飯作り始めて1時間も経ってないだろ。火にかけてから精々5分しか経ってないぞ。堪え性のない奴らだな。お前らも飯食って来いよ。あとなんで今ダンデ呼んだ?映ってないだろ。真剣に炎と向き合うオレさまカッコいいだろ、何の不満があるんだよ。オレさまは手を振ったりして適当に応えながらも、飯盒炊爨から目を離さない。
トレーナー歴そろそろ十年。オレさまは、キャンプのカレーを百倍美味くするのは米だという真理に到達した。別にカレーはドガース級じゃなければ大丈夫だ。食える。でもな、米は妥協しちゃいけない。べちょべちょになっても固くなってもいけない。折角のリザードン級のカレーを完全にダメにする。カレー作りにおいて、絶妙な炊き加減の米こそ絶対に失敗してはいけないミッションだ。だからカレー作りはダンデに丸投げしてオレさまは飯盒に付きっきりになっている。ポケモン以外のことに興味のないダンデでも、カレーぐらいは作れる。そこは安心して任せている。
くつくつ音がしてきたので、そろそろだな、と火加減を強めていく。キバナさま視線だけでもこっち向けてよ。 横顔ばっかりじゃさみしーい。 ロトムの高い声で読み上げられるコメントに、オレさまはがおーと軽く威嚇する。するとロトムがテンションを上げて、ありがとうございます! ありがとうございます! がおー頂きました! ありがとうございます! と叫ぶ。ついでに何か、サービスでウィンクを飛ばす。そしたらもう大盛り上がりだ。でもこれ以上は構えない。はい、営業終了。オレさま今ちょっと忙しいの。すぐに視線を飯盒に戻す。今火加減をトチると食事の時間が地獄になる。良いかお前ら、初めちょろちょろ中ぱっぱ、ゴニョニョ鳴いても蓋取るな、だぜ。覚えておけよ。
オレさまがあんまり構えていないので、そういやダンデは? のコメントを皮切りに、コメントがそっちに流れる。あれダンデいる? ダンデ今何してるの? え、迷子になってない? 大丈夫? 生きてる? お前らダンデ大好きだな。なんで画面からフレームアウトして早々迷子になって下手したら死ぬと思われてるんだ。こいつは手ぶらでもワイルドエリアで三日は生きられるようなヤツだぞ。
仕方がないのでスマホロトムに合図して、ずっと横にいたダンデの方にカメラを向けさせる。ダンデは真顔で鍋をぐるぐるかき混ぜているところだった。見たところ、オレさまの秘蔵のきのみの配分をちゃんと守ってる。火加減も強すぎず弱すぎない。よしよし。今日もリザードン級間違いなしだな。
「……さすがにちょっとマンネリだな」
ダンデがぽつんと言うと、スマホロトムが即座にけたたましく、お、修羅場かな? 別れ話配信は斬新すぎる。 やめて別れないで。 ここから怒涛のキバナの愁嘆場です。とか好き勝手喚き始めた。いや誰が泣くかよ。しかも付き合ってもないから別れるもなにもないんだけど。まあこれはいつものやつだ。なぜか視聴者の間でダンデとオレさまは付き合ってるってことになってる。なんでそうなったのかは知らない。何か気が付いたらそうなってた。で、ちょっとそういう単語が出てくるとすぐこれだ。大部分の視聴者が共有している鉄板ネタ。お決まりの流れ。お前らホントに楽しそうだな。
「ホント好きだな」
「いや好きだがさすがに……ん?何の話だ?」
「あ、悪い、こっちの話」
こっち、と言いながらスマホロトムを指す。ロトムはカメラ目線になったダンデに向かって、マンネリってどういうことなの。 マンネリになるほど普段ふたりで何してるんですか。 っていうかマンネリ部分を詳しく教えてくれくださいお願いします。と崩壊した文章を紡いでいく。別に正しい言葉遣いをしろとか言う気は全くないんだが、情緒が心配になる文章が時々混ざる。これ、お前ら大丈夫なのか?
マンネリマンネリと喚くスマホロトムに一瞬呆気に取られて、ダンデは苦笑いした。
「ああ、いつものか」
そんなダンデを見てか、お前らほどほどにしろよ。とスマホロトムが紡ぐ。ダンデもキバナも困ってるだろ。 ロトム読み上げてんだから反応しづらいコメント自重しろ。 でもこれは付き合ってるでしょ。 普通に付き合ってないから。 いやネタだからね。 うわ冷める。 やめろよ。 倫理って知ってるかお前ら。……さすがに荒れて来たな。ちょっと放置しすぎたか。オレさまやダンデは全然全く気にしていないので基本的にこの手のコメントはスルーしてるんだが、視聴者の中には当然スルー出来ないヤツもいる。オレさまは、そういうヤツほど良心的で善良なんだろうなって思う。ついでに正義漢でもあるんだろう。そういうヤツが割食ってこの生配信でこうやって不快な思いをするのは本意じゃないので、オレさまからもちょっとだけ助け舟を出す。
「ん。喧嘩すんならちょっと読み上げ切るなー。ほどほどにしとかないと配信も切るぞー」
ロトムに合図して、読み上げ機能をオフにする。キャンプが急に静かになった。コメントが物凄い速さで流れる。一応画面でコメントを確認する。ごめんなさい。 配信は切らないで。 ふざけすぎました。 ほらみろ怒られたじゃん。 やっぱこれ系のイジリはNGにしようぜ。 キバナさま怒らないでー。 反省してます。 ……ま、これなら大丈夫かな。
いやオレさまは怒ってないんだぜ。でもオレさまは皆の自治に期待しているのでこれ以上のことは言わないでおく。こういうのって、楽しいとのバランスが難しいんだよな。分かる分かる。だからオレさまも下手に口を出して場を白けさせたくないし、たぶんダンデもそう思っているんだろう。オレさまやダンデは顔の見えない奴から何言われても響かないって言うか、不快とも何とも思わないし。SNSからの言葉は、もらって嬉しい言葉だけ受け取っておくくらいで良いと思ってる。朝のニュースで流れる占いみたいなもんだよ。一位なら、お、今日ついてるな、だし、最下位でもへーあっそう、みたいな感じで流せる。どっちだってオレさまの場合は玄関の扉を開ける頃には忘れてるんだけどな。今、そういう冗談はやめろと声を上げたヤツは、きっと素直にそういうことを真正面から捉えてキリキリ信じちゃうタイプなんだろうなあ。ラッキーアイテムは青い下着、なんて言われたらきっと青いパンツを探しに寝室に戻っていくタイプ。戻らなくても、タンスのどこに青い下着がしまってあるか頭に過るんだろう。そういうのは結局タイプの違いでしかないから良いも悪いもない。まあ、もうちょっと肩の力抜いても良いんじゃない?くらいのことは気分によってはオレさまも言うかもしれない。お節介で。人間が多く集まってるんだから、衝突するのも揉めるのも仕方ない。なんとか皆で喧嘩しない距離感とか空気感みたいなものを模索してくれればなーと思う。それまでオレさまはあんまり口出ししないでおきたい。責任は配信してるオレさまにあるけど、やっぱりこういうのって折角皆で共有してるんだから皆で作っていきたいじゃん。
「で、何がマンネリ?」
「カレー。君はよく飽きないな」
ダンデは焦げないように、ぐるぐるぐるぐる鍋をかき混ぜている。二人分プラスポケモン分だから鍋も当然のようにでかい。これを一人でかき混ぜるのは結構な重労働なんだが、ダンデが鍋かき混ぜてて疲れたところなんか見たことがない。体力と筋力どうなってるんだって思う。
「いやオレさまはもうとっくに飽きてるけど」
だからこれだけ熱心に飯盒炊爨にかじりついてんだけど。作るのも食うのも、もう一生分やった気がするってくらいカレー漬けだ。なんせワイルドエリアで飯と言ったらほぼカレー一択だ。パートナー達がオレさまと同じもの食えるって楽しみにしてるから、カレーにせざるを得なかっただけで。でも正直なところもうカレーの匂いだけで結構げんなりしてる。ダンデがカレーの方を作ってくれるって言うから食べれるけど、そうじゃなかったら絶対食べない。
「これだけ材料があるんだから、何もカレーにしなくても良いんじゃないか?」
ダンデは机に並べられたトッピングを指す。まあ、確かに。これだけ色々とあるんだからやりようはいくらでもありそうな気がする。でもそれをお前が今言うのか料理長って気分だ。鍋で煮えてるのは一体何だと思ってるんだ?ルーも入れてるだろ。米が炊ける香ばしい匂いもしてきただろ。今更文句言うな。汗で気持ち悪くなってきたから軍手を外す。火の近くにいるから熱い。
「オレさま、お前が作れる唯一の料理だから必然的にカレーなんだと思ってたぜ」
「……キバナは料理が出来るだろ」
「ええー。オレさまキャンプでも料理すんの?」
オレさま、カレー以外の料理はしないダンデにはいろいろ作ってやってるんだけど。ケーキとか、ミネストローネとか、サンドイッチとか、クレープとか本当に色々と。忙しさにかまけてサプリメントとゼリー、プロテインなんかで飯を済ませることがあると知ってからかなり頻繁に差し入れてるんだぞ。繁忙期になると週三とかで弁当持って行ってやってんのに、その上でキャンプでもオレさまが料理するってどうなの。それもう付き合ってるとかじゃなくてワイフじゃん。オレさまダンデにそんな便利に使われるのは大変不本意なんですけど。
「じゃあ俺が料理するのか?」
目をぱちぱちさせて不思議そうにしてるけどな、当たり前だろ。成人してるんだから自分のことは自分でしろよ。
「お前がそうしたいなら。オレさまはしたくないから絶対やらないけど。お前が何も作りたくないならカレーだな」
「……分かった、やる」
ダンデは渋々と言った感じで宣言した。その言葉に、オレさまは皆の反応を見るためにロトムを呼ぶ。スマホの画面はずっとコメントを垂れ流していた。オレさまたちの一連のやりとりにも反応が返ってきている。
え、ダンデ料理できるの。 お料理コーナーくる? これが噂の『ひとりでできるかも』ですか。 ダンデのカレー以外の料理とな? キバナ様も米炊いてないで何か作ってよ。
ちょっと待ってろよ、オレさまは今米と真剣に向き合って……、
米?
竈に視線を戻すと、飯盒炊爨がぶすぶすと明らかにヤバい音を立てて煙を吐いている。
「ア――――――ッ!」
さっき香ばしいって思ったじゃん、オレさまのバカ!慌てて手を伸ばして飯盒炊爨を引き上げようとする。取っ手に触れようとして、触れるか触れないかのところで、あ、と思った。素手だ。手を引っ込めようとするけど、でももう遅い。じゅ、と厭な音がした気がした。しまった。
「キバナ!手!」
「あッづ!」
もう無茶苦茶だ。
よりにもよって利き手で引っ掴もうとしたからカレーどころじゃなくなってその日の配信は終了。飯の後でバトル配信もするはずだったのに、それもお流れ。くそ。良いところなしじゃんか。
◆◇◆
ロトムの主人は今、ガラルポニータの群に押しつぶされていた。彼の人はひしめくファンシーでカラフルな鬣の中央で座り込み、身動きも取れない。トレードマークのオレンジのバンダナだけが群れの中でやけに浮いている。複数のポニータに角を巨躯に押し付けられながらも、ロトムの主人であるキバナは大人しくされるがままになっていた。ポニータたちの親であるダンデが、キバナが逃げ出さないように見張っているからと言うのもあるだろう。その形相はかなり迫力があった。鬼気迫る、と言い換えても良い。脇で見ているだけのロトムも震えるほどである。ロトムがあの直後にジャミングをかけて放送を荒らさなかったら、きっとこの表情も全世界に配信されていたことだろう。なんて恐ろしい。何が、と言われればその後のオリーヴ女史の激憤がであるとロトムは答える。チャンピオンのイメージ保守については人一倍、プロデューサーであるローズを差し置いて最も神経質な人間である。ロトムにとって、そんな女史の怒りほど恐ろしいものはない。
「もう勘弁してくれ……」
妙にぐったりしながらキバナが言う。それにダンデは眉を顰めるだけで答えた。キバナはその顔を見て、しょんぼりとしながらまた再びポニータの群に身を沈める。ロトムはそれを見ながら、自業自得だと内心で密かに笑った。キバナの不注意で怪我をしたのだから、治療は当然だ。ただ、治療法については少々大袈裟な気がするが。普通に人間用の治療キッドがあるのだから、それを使うのが本来であるはずだ。治療のことなど何も分からないロトムから見ても、キバナの負った火傷はポニータの角を使うまでもないような小さなものだった。ダンデもそれを分かっているはずなのだが。
「駄目だ。痕が残ったらどうするんだ?」
ダンデの言い分は先程から一貫している。火傷痕が残ったらどうする、である。確かに、ポケモンの治癒能力に頼った方が痕は残りにくいと一般的に言われている。しかし、これはあまりにも過剰ではないかとロトムは思う。たかだか火傷に六頭ものガラルポニータに治療させるなど聞いたこともない。
「もう良いだろ。痛みはもうないよ。ありがと。だからさ、ポニータたちどけてくれねえ?」
キバナが伺うようにダンデを見上げた。いつもは見下ろすのが主人の方であるだけに、普段と比べて弱弱しい印象にどうしてもなる。ダンデも思っていることはロトムと変わらないのか、ますます険しい表情でキバナを見下ろした。
「……それなら今度は『いやしのこころ』だ。これで完全に治るはずだぜ」
ダンデが新しいボールを構えたのでキバナが慌てて手を振った。
「あのさ、普通に人間の治療法を頼みたいんだけど」
「それじゃ不十分かも知れないだろ。君は自分の利き手を何だと思ってるんだ?」
ダンデは言いながら、淡々とポニータを一頭戻してミブリムを呼び出した。ミブリムは周囲を少し見渡して、小首を傾げる。自分がどうして呼び出されたのか分からないのだろう。さもありなん。
嫁入り前の娘の顔とポケモントレーナーの利き手には痕の残るような怪我をさせるなとは昔からよく言ったものだが、それにしてもと思われた。すべてが過剰である。まあロトムは賢いので話をややこしくしないように黙っているし、ダンデの事情のあれそれを察しもするが、それを加味してもまだお釣りが出る。やれやれと言って溜息を吐きたい気分だった。
「……あのさ、心配は本当にありがとう。でもさ、もう十分だよ。痛くないし、ほら、こんだけ痕も薄くなってるんだしさ。後は普通に治療すれば大丈夫だって。なあ?」
キバナが言いながら、高々と腕を上げて火傷痕をダンデに見せる。確かに、火傷痕は生々しい赤から薄いピンク色にまで落ち着いて、患部も小さくなっていた。この分なら後はキバナの自然治癒力でも十分に治るだろう。
けれど、それで納得できるならここまでやっていないと何故分からないのだろう。ロトムは自分の主人ながら、キバナのことが少々残念に思えてきた。何というか、察しが悪い。甘えるのは上手いくせに、どうもこの性格で人を怒らせがちだった。
「キバナ。君は、自分の価値を全然分かってないな」
ダンデは冷え冷えとした視線でもってそれに応えた。まあ、当然だろう。ロトムは賢いので、この男がどういう類の感情で以てそういう発言をしているのかきちんと分かる。しかし、キバナの方はそういうことにとことん疎い性質らしく、首を傾げた。
「なんだそれ」
「俺がどれだけキバナを大事に思ってるかってことだぜ。一回くらい、思い知らせてやろうか」
苛々と親指の爪を弾きながらダンデが笑う。その笑い方は絶対にチャンピオンがしていい類のものではなかった。キバナも流石に相手の怒気を感じ取って腰が引けたのか、少々困ったような、誤魔化すような笑い方を返した。
「おー……?お前に大事に思われてんのは光栄だけど、なに、何すんの」
「さっきも言ったが、今後は俺が料理をしよう。君にとってはただそれだけだ」
死刑宣告みたいに厳かで絶対的な響きだった。けれども、キバナには何も通じず、ほっと息を吐いて、
「え、ダンデが飯作ってくれんの?楽しみだな」
と呑気に言ってにこにこと笑うだけだった。あんまりな温度差に、ロトムは静かに空を仰ぐしかできなかった。
霧が濃い。どこもかしこも、真っ白だ。