私はイエッサン。キバナ様とその旦那様の『スチュワード』でございます。元々はナックルシティでイエッサンブリーダーをしていた男が主人でございました。イエッサンブリーダーの多くがそうであるように、前の主人もイエッサンに従者の心得を仕込むこととポケジョブにイエッサンを派遣することで生計を立てておりました。特に私と妻は特別に扱いやすく指示に柔軟に対応できると言う事で繁殖用の面もございましたが、そういうことはほんの一時期のこと。常は妻と楽しくポケジョブで人に奉仕する日々を送っておりました。ある日、ブリーダーが高齢を理由に引退いたしました。その際、お得意様であったキバナ様から妻共々引き取りたいとの申し出があり、ブリーダーも私どもも何の異論もなくお召しに応じたのでございます。引き取っていただいた理由は、なんでも「細かなところに気が利くのが良い。特にティーブレイクに誘ってくれるのが最高」だったそうでございます。イエッサンとして、人に尽くすは喜びでございます。そのように些細な働きを褒めて頂けるご主人様と巡り逢え、私も妻も果報者にございます。
さて、まずはご主人様との出会いを少しお話させていただきたく思います。ご主人様と出会ったのは、ポケジョブの派遣先でのことでした。ブリーダーが何気なく受けたポケジョブの依頼主が、なんとあのキバナ様だったのでございます。ご主人様はとても有名なお方。たとえポケモンである私どもであっても、お会いする以前からキバナ様のご活躍は存じ上げておりました。その名と姿を知らぬ者はナックルシティにはおりません。ですから初めてお会いした時は、これがかの有名なドラゴンストームその人かと私どもは圧倒されておりました。テレビなどで拝見したより、ずっと長身であられるように見えました。私と妻がまごまごしておりますと、ご主人様は柔らかに笑って私どもの頭を撫でて下さいました。
「最近忙しくってな。家事が滞っているから、ちょっと手伝ってもらえるか?」
ふと角に触れた拍子に、ご主人様から暖かな感情が伝わってきました。それはそれは心地よく、素晴らしいものでございました。私どもイエッサンは、人の暖かな感情がなによりの好物でございます。特にご主人様の感情は、私と妻の好きなものでございました。(イエッサンにも様々ございますので、個体によって好みがございます。感謝を好む者もいれば、喜びを好む者もおります。私と妻は、特に慈愛を好むのです)それから私どもは緊張も忘れ、もう一度あの暖かなものを我々に向けて欲しいと、ひたむきに働きました。とは申しましても、私どもに出来ることは精々がお手伝いに過ぎません。低所の掃除が億劫そうであれば代わりに床掃除をし、クッションを運び出して陰干しするために何往復かし、掃除機の行く道にある家具を少々ずらすくらいの事でございます。頃合いを見てティーブレイクを申し出ますと、ご主人様は何よりも嬉しそうにしてくださいました。
「気が利いてるな。さすがだ」
本当は紅茶も淹れて差し上げたかったのですが(本職のイエッサンブリーダーに仕込まれたイエッサンならば、当然そのくらいのことは出来るのです)、それは依頼外と言うことでご主人様は固辞されました。その時の依頼は「家事手伝い」でございましたので。ですが折角のティーブレイクだから、とおっしゃってご主人様は私どもにもポケモン用のおやつを分け与えて下さいました。そういう真面目なお人柄と優しさに、私と妻は大変感激しておりました。
「……あいつの傍にお前たちみたいのがいれば、あのワーカーホリックも少しは治るかな」
その感情は私どもに向けられたものではございませんでしたが、間違えようもなく極上の感情でございました。その時の柔らかな御顔と言ったら。思わず私は妻に角をくっつけてしまいました。
――――今のを見たかい。とても。とても暖かいね。
人に分からぬように、イエッサンは角で囁くものでございます。鳴くのは人や同族以外のポケモンに分かりやすくするため。囁きは人の邪魔にならないようにという配慮もございますが、イエッサン同士の内緒話にはそれが最適だからでございます。
――――見ましたよ。すてきなひとですね。ほんとうに、すてきな。
こんな方に生涯お仕えできるイエッサンがいたならどんなに幸せものだろうと、帰り道で妻と角を触れ合わせながら語り合いました。家に着くと、ブリーダーはとても嬉しそうに私どもを迎えました。
「キバナ様からお電話を頂いてね。とても喜ばれていたよ。随分良い働きをしてきたんだね」
それを聞いて、私と妻は何やら面映ゆくなってしまいました。何か特別なことが出来たわけではございません。なのに、そのように過分に褒めて頂いたのです。私と妻は、自らブリーダーにスキルアップをお願いいたしました。もっと人に喜んでいただけるように研鑽を積むべきだと思ったのです。
それから何度も私どもはキバナ様にご指名頂きました。その度に私どもの仕事の上達ぶりを褒め、ブリーダーに報告していたようです。なのでブリーダーが引退を考えているとキバナ様に打ち明けたのも、お得意様だと言う事だけではなかったはずです。私たちを気に入って下さっているという確信と、少しばかりのご同情を頂けるのではないかと、そういうちょっとだけズルい心があったのでしょう。人の心は常にプラスばかりではございません。私も人に連れ添ってきたイエッサンの端くれでございますから、そのくらいのことは心得ております。ですが、私どもはブリーダーの男のプラスでないあの感情に、感謝をしているのです。たまには、そういうものも悪くはございません。
引き渡しの日、ご主人様はパートナーである旦那様とブリーダーの家に来てくださいました。ポケジョブでお宅に招かれた時に何度か旦那様にはお目にかかりましたが、なにしろお忙しい方でございます。何か特別な交流を持つこともなく、私どもも勤務中と言うことで簡単にご挨拶申し上げただけでございました。それなのに、まさか私どもにお時間を頂けるとは思っておりませんでしたので、驚いてしまいました。ブリーダーからは簡単な注意点を申し上げて私どものボールをご主人様にお渡しして、ご主人様も幾ばくかの報酬をブリーダーに渡して、引き渡しの書類にサインをしました。それで私どもは晴れてご主人様のポケモンとなったのです。
帰りがてら、あっちの店へ立ち寄り、こっちの店を覗き込んで、というのをお二人は楽しんでいらっしゃいました。私も妻も、ご主人様にも旦那様にも、これからお世話になる御宅にも慣れておりますので急いで帰ることもないだろう、ということになったのです。久しぶりのデートだ、とお二人は笑って、ショッピングを楽しんでおられました。私どもは後ろからちょこちょこと着いていきながら、時折荷物をお任せくださるように申し上げたりいたします。街行く人は皆お二人を惚れ惚れと見たり、優しい眼差しで微笑んだりしております。こうしてお二人で並んでおられると美々しい一幅の絵のようにございますから、当然でございましょう。主人とその伴侶の見映えが良いと言うのは、仕えるイエッサンとしても嬉しいものでございます。
少し足が疲れたから、と赴いたのはバトルカフェでございました。若い女性がマスターに挑もうとしているのを見て、旦那様がパッと顔を輝かせて私どもを見ました。
「イエッサン!君たちもバトルするだろう?」
さも当然、と言われて私どもは困惑いたしました。それを素早くご主人様が察知して、私たちに問い直してくださいます。
「うーん。お前ら、バトルしたい?」
「イエ」
私と妻は素直に首を横に振りました。
「バトルはしないってさ」
「しない?本当に?」
旦那様が、信じられない、という顔で私どもを見つめます。そんなに意外なことを申し上げたでしょうか。確かに若いころにはバトルに立ったこともございますが、人の手の指で数えきれるほどの経験しかございません。その僅かな経験だけで、私も妻もバトルから遠ざかってしまいました。ブリーダー曰く、あまり向いていないのでございます。私も妻も、人の機微に聡すぎるのだそうです。トレーナーが次の手に迷ったのを察すると集中力が持たず、相手方の感情に委縮してしまうのです。
「イエエイ……」
「しつこいってさ」
そんなことを申し上げたつもりはございません。私は慌ててご主人様を見上げましたが、抗議することも叶いません。ご主人様は楽しげに笑っておられました。
「そうか……。悪かった。君たちのスタイルを否定したいわけじゃないんだ。まあ、バトルしたくなったら何時でも言ってくれ。その時は、俺と最高のバトルをしよう」
そう言って、旦那様はきらきらと目を輝かせました。この方は、本当にバトルがお好きなのでしょう。
「しかし、イエッサンだとどっちを呼んでいるか分からないな……」
旦那様が困ったように微笑しながら私どもの頭を撫でて下さいます。ご主人様が私たちを上から下まで見て、よし、と頷きました。
「じゃあオスがスチュワード、メスがメイド」
「そんな安直な……」
旦那様が呆れた顔でご主人様を見ますが、ご主人様はどこ吹く風といった風情でコーヒーを飲んでおられます。
「良いんだよ。こういうのは分かりやすさだろ」
ポケモンにとって主人に命名していただくことは光栄なことでございます。私たちは一声鳴いて、喜びをお伝えいたしました。
そんな訳で、私は『スチュワード』となったのでございます。