チャンピオンになって初めて家に帰ったときのことを、よく覚えている。
あの一年、ダンデは目が回るほど忙しくて楽しい一年を過ごした。今まで生きていた10年を搔き集めてもまだ足りないくらいワクワクする冒険の連続。出会い。そしてなによりバトルをするのが楽しかった。ポケモンについて遠慮なく語り合える人々が周りにいるのが嬉しかった。実家にいるとき、その手の話の相手をしてくれるのはマグノリア博士とソニアくらいしかいなかった。けれど、チャンピオンになれば環境は激変した。多くのトレーナーと出会い、語らい、バトルをする日々。他にも色々と仕事はあったが、楽しいことの多さの前には気にならなかった。ハロンに籠っていては絶対に辿り着けなかった世界に飛び込んで、ダンデは浮かれていたと言っても良い。楽しく、愉快で、ポケモンとバトルに彩られためくるめく日々。ダンデは少年らしく、その楽しさを甘受していた。そういう素直な少年チャンピオンをガラルは少しずつ愛しはじめ、そして楽しむ彼に共感を示し始めていた。順風満帆。何も憂うことはないと思っていた。
ようやく実家に足が向いたのは、チャンピオンになって初めて防衛を果たした後だった。別に、家族をないがしろにしようだとか、そういうことを考えていた訳ではない。ただ、忙しく、楽しかっただけで。夢中になりすぎたのだ。シュートから家までは途方もなく遠かった。気紛れにぶらりと寄れる距離ではなかった。そんなありきたりな言い訳を重ねて、自分がどんなに薄情者かという事実を無視し続けていた。
ダンデは、トロフィーを二つ抱えて意気揚々と実家のある丘へ続く道を歩いていた。案内役のリザードンも、久々にのんびりできると上機嫌だ。天気は文句なしの晴天。晴れがましい報告をするのにはうってつけの日よりだった。きっと母はダンデの顔を見るだけで喜んでくれるだろう。祖父や祖母、ホップだって。それに加えてトロフィーを二つも持ち帰ることが出来れば、きっとあの家も久しぶりに明るくなるに違いない。
そんな都合の良いことを考えていると、丘の上で母がホップを抱いて待っているのが見えた。
「母さん、ホップ!」
ダンデはリザードンを追い抜いて駆け出していた。早く。速く。急くと自分の足がもつれそうになる。けれども、もっと速く走りたかった。丘を駆け上って、ダンデは母の顔を振り仰いだ。きっと明るく笑って、おかえりなさいと言ってくれるに違いない、と。それなのに。
母は、ダンデの姿に涙をこらえるのに必死になっていた。ホップを抱きしめて、唇が震えるのを抑えようとしているのか、きゅっと真一文字に引き結んでいる。その表情に、ダンデは唖然とした。晴れがましい気分が空気の抜けた風船のように萎んでいく。母の表情には見覚えがあった。父が帰ってきた時にしていた表情とそっくりだ。長期の仕事の後に帰ってきた父を迎えるときの顔だ。堪えてきた寂しさと、久しぶりの心からの安堵に滲んだ涙を忘れられるはずもなかった。
「……た、だいま」
「……おかえりなさい」
上から振る静かな言い方に、急に罪悪感がどっと胸を塞いだ。旅立ちの日に、こうならないようにしようと心に決めていたのに。やってしまった、と思うと同時に、抱かれているホップが心配そうに母の顔を覗き込んでいるのを見て、目の前が真っ暗になった。同じだ、と思う。ホップの役割はダンデのものだった。心配する母を慰め、励ますのは幼いダンデの役割だったのに、母がどういう人か知っていたのに、結局、ダンデはそういうことを全部無視した。心配しただろう。テレビにダンデが映るたびに気を揉んだだろう。そういう人だ。そういう人だと分かっていたのに―――――。
あんなに嫌っていた父と同じ過ちを、ダンデはしてしまったのだ。