昭和44年生まれ 奈義町出身
岡山県立新見高等学校校長
体育教師で顧問である父親の影響を受け、中学校よりバスケットを始める。津山高校ではバスケットボール部主将、県北男子では異例の県3位入賞。国体メンバーにも選ばれる。筑波大学→大和証券(日本リーグ)→岡山県立水島工業高校勤務→岡山県立玉野光南高校勤務→岡山県立水島工業高校勤務。県内強豪校の指導を行い全国大会出場を果たしながら、岡山県成年男子監督、少年女子監督、少年男子監督、岡山県バスケットボール協会技術委員長を務める。その10年間で手がけたバスケットボールクリニックは小学生から中学生まで100回以上。「岡山未来の日」と名付け、全国でも初めての試みである「一貫した方針のもとでのU12、U15、U18合同クリニック」を開催。自身が体験したアメリカ合宿での学びや海外からのコーチを取り入れるなど、岡山県のバスケットボールの技術発展に貢献してきた。総合的な経験による成長を促し「叱らない、教えない、生徒自らの伸びる力を信じる新しい部活動指導」という新境地を開拓している。
昭和43年生まれ 津山市出身
鶴山さくらバスケットボールクラブ代表
小学校6年生からバスケットボールを始める。全国大会に出場したことでバスケットボールの楽しさを知り、つやま西中、津山高校時代は主将として部活動に熱中する。短大卒業後は津山市公立幼稚園教諭となり、バスケットボールとは無縁の生活を過ごしていたが、長女がミニバスを始めたことがきっかけでバスケットを再開。ママさんバスケットボールチーム「鶴山CHO」や「鶴山さくらミニバスケットボールクラブ」を立ち上げる。チーム発足当初より岡山県1の実力のミニバスチームを目指すが、目標が達成された瞬間「子どもたちや親の本当の幸せに繋がっていたのだろうか」と勝敗にこだわってきた指導に疑問を感じるようになる。2020年県大会では準優勝に導くが、2021年度より岡山県バスケットボール協会を脱退。現在は自身の津山市立北小学校通級指導教室や子育て支援センター勤務の経験を生かし、どの子でも楽しめるバスケットボールクラブ、異年齢のふれあいや、指導者も親も育つスポーツクラブの在り方を模索し、独自の運営を行っている。
平成4年生まれ 岡山市出身
岡山県立岡山東商業高等学校 保健体育教諭
玉野光南高校→白鴎大学(関東1部リーグ)→株式会社APEX(実業団リーグ)→岡山県立岡山御津高等学校(講師)勤務→倉敷市立精思高等学校(教諭)勤務→岡山県立岡山東商業高等学校(教諭)勤務。
小学校1年生からバスケットボールを始める。高校時代は県2位、国体選手に選ばれる。大学時代はインカレ最高成績6位、天皇・皇后杯出場。実業団時代には、愛知県成年男子国体選手に選ばれ、2015年わかやま国体で優勝。素晴らしい指導者の方々との出会いにより、人生が一転し、新たな道を切り開くことができた。次は、私が子どもたちの夢を叶えるお手伝いがしたい、子どもたちの人生のレールの一部になりたいと思い指導者の道へ進んだ。
現在は、岡山東商業男子バスケットボール部顧問として、「誰でもできる!」をモットーに、岡山1番魅力のあるチームを選手と共に成長しながら目指しています。
平成4年生まれ 玉野市出身
CROSSLINK代表、二日比BLUE FOX U-12 クラブ コーチ
小学校からバスケットボールを始める。中学時代には岡山県選抜に選ばれた。高校時代では玉野光南高校キャプテンとしてチームを県2位に導き、県ベスト5を受賞した。その活躍により国体選手にも選ばれた。高校卒業後、現在指揮をとっている二日比BLUE FOXミニバスケットボールクラブの指導者になる。県大会でも何度もチームを優勝に導き全国大会出場を果たしている。2017年には全国大会3位という快挙を成し遂げた。
現在は、2022年にCROSSLINKを立ち上げ、スクール・クラブ活動を実施している。主に、選手育成へ力を入れており、リズムダンスの資格取得をしたり、育成年代にあったトレーニングを実施したりと、選手が伸び伸びと成長できる環境を模索しながら開拓している。「バスケットを楽しむことが1番大切」をモットーとしている。