2022年5月29日。六本木の中心に建つ六本木ヒルズの中、森美術館で15名の若手アーティストによるゲリラ展示が行われた。それは、2022/2/18~5/29に開催されたChim↑Pom:ハッピースプリング展の「道」の作品の上である。この「道」という作品では鑑賞者がその「道」の運営として参加し、「道」の上でパフォーマンスをしたり、フリーマーケットを行なって物販をしたりすることができる。(※運営側に回るには専用のフォームからチンポム側に何をするのか、企画書を提出、申請し許可を頂くことが必要。)
そこで今回は「道」で道の歴史(美術)を扱いながら、ゲリラ展を企画した。名前はタイトルは「シン・Chimブラート」美術を少しかじっていればすぐにあーこれね、、とすぐにわかるようになっている。(と思う)
当日、13時頃私たち作家15名は六本木ヒルズの巨大グモ・ママンの下に集合その後、先発と後発に別れて会場に入っていった。会場に全員入れたのは14時半過ぎ頃だったと思う。チンポムの「道」には沢山の人がおり、その場には他のパフォーマー(申請をした人々)が道の端でパフォーマンスをしているのが2組ほどいた。(マッサージ師と占い師)そこで驚いたことに、チンポムのメンバーが数名いたのだ。展示最終日であるから、何かするんだろうとこちらも思っていたが、調べても情報がなかった。
その場にいたスタッフに話を聞いたところ、これから乙武洋匡さんの講演会が始まるらしい。内容は乙武さんがこれから選挙に出るので、その街頭演説をこの「道」でした。(正確には街頭演説での選挙活動は、期間外なのでできないため、講演会という形を取っていた。)
乙武さんが車椅子で登場し、公演が終わり、退場するまで私たちは待っていた。その間誰がどこでやるのか、「道」の状況と個人個人の作品の広がり具合を確認し決めていった。公演が終わったのが15時頃、乙武さんの退場を確認し、僕たちは一度、「道」の上で集まった。ある程度片付いたところで僕たち15人は一斉に展示を広げていった。
スタートし、全員が展示、パフォーマンスを開始するのは結構早かった。会場が一斉に混乱し始める。パフォーマンスをするのは7名、他は作品の展示をメインにしている。私が確認する限り、開始して、すぐに人が集まったのは広瀬里美のパフォーマンスと、手塚美楽のパフォーマンスだったと思う。すぐに人だかりができてどんどん会場に人が溢れていった。その人の波と、混沌は広がっていった。会場にいたある鑑賞者が、どれが作品なのかわからない、と友達と歩きながら僕の横を過ぎていった。
会場には乙武さんの講演会のあと、チンポムの方達は滞在しており、この会場の混乱を見守っていた。僕が歩いていると、チンポムメンバーである林さんが話しかけてきた。一体これはなんだと、聞いてきた。これはもちろん想定内で、この瞬間のために僕たちはやってきていたと言っても過言ではない。「これはゲリラ展示です。」と答えた。それに対し、林さんは軽く戸惑いつつも、「そうなんだ」と理解してくれた。その後、「このあと17時から予定があるので16時半には終わって欲しい。」と伝えられた。(どうやら強くやめさせないようだ)それに対し僕は、「ゲリラ展示ですので、このままやり続けます。」と答えた。林さんは「なるほど、そういう態度なのね。」とそのようなニュアンスのことを言っていた。そして16時半には終わって欲しいことは伝えたからね、という感じで、僕たちも認識し会話は終わった。僕たちは16時半から何が始まるのかその時はわからなかった(何があるのか聞いたが、濁されてしまった)が、とりあえず続行していくことを決めた。(続行できてしまった、、。)この会話をしたのはパフォーマンスを開始して、割とすぐで、20分〜30分経った頃だったと思う。
その後、会場では混沌としたまま、人がごった返しながら展示は続いていった。途中でチンポムメンバーのエリイさんがダンボールを敷き化粧品を並べ始めた。「コスメ売りまーす。」と叫んで少しの間コスメ販売が始まった。エリイさんの持ち物だったらしい。
16時半前からぞろぞろと黒いスーツを着た人たちが集まってきた。SMAPPA!グループのホストたちである。10人以上はいた。美術館にホスト集団は見ない光景である。これからホストによる道の集団掃除のパフォーマンスがあることをそのとき知った。(ミキサー計画のオマージュ??)「道」の展示期間中に溜まっていった路上の落書きや汚れ、壁の張り紙やゴミなどを清掃していくのだ。17時からなのでもう始まろうとしている。しかし、ホストもこの「道」の混沌とした状態を把握していないので、一度集まってから歩き回っていた。(集まったとき会話があったが、聞き取れなかった。)だんだんとホストの人数が減っていき、数人が「道」の上を話しながら歩いている。これは本当に歌舞伎町のような道になったと思った。
17時を過ぎても掃除は始まらなかった。僕たちはその間展示をし続けた。どうやら僕たちの展示のせいで時間が押していったらしい。結局掃除が始まったのは予定から1時間がたった18時頃、その際チンポムのメンバーである林さんが声を掛けてくれた。「これから掃除を始めていくけどいい?なるべく展示物には触らないようにするから続けてていいよ」と、、。本格的に掃除が始まった。僕たちのことに気を使ってくれていた。この寛大さにはチンポムに頭が上がらない、、、。本格的に掃除が始まりどんどん路上がキレイになっていった。壁の掲示物もみるみる剥がされていった。
18時過ぎ、掃除が進む中、僕はこの展示の終わり方を考えて、その場の判断でホストに掃除してもらうことにした。僕たちが壁に貼り付けた「シン・Chimブラート」の旗をホストの方に頼んで外してもらった。旗が取られたので(取ってもらった)もう僕たちは帰るしかない。それを合図に約3時間ほどのゲリラ展示は幕を閉じた。
文:茂木淳史
4/30 初ミーティング。茂木、渋井に広瀬、関野が声を掛けられ加わる。ここで企画員的なものが発足する(広瀬と関野はこの時まだchim↑pom展を見ていなかったが)。原案は「道で喧嘩する」というもの。
5/1 第2回ミーティング。ほんとに喧嘩案でいいのか、ほかの案も出しつつ喧嘩した場合暴行罪、決闘罪にならないか。そもそもそんなところまでいけるのか等も話し合った。
5/3 第3回ミーティング。この日広瀬はchim↑pom展を見に行った。ミーティングには茂木と広瀬だけ参加できた。というより広瀬が展示を見たばかりで記憶と熱が新鮮なうちに話し合いを望んで茂木が応じてくれた。『道』のステートメントを共有し、そこがイベントやハプニングのプロジェクトスペースとして機能していることの再認識と、5,6日前に茂木と渋井が訪れた『道』からの変化(成長)を共有した。公道や公園での過剰になりつつある規制、看板等への言及がでた。
5/4 第4回ミーティング。関野がchim↑pom展を見る。昨夜の会議で「道」に軍手を片方落としてくると宣言した彼だが、「道」に辿り着く前にほんとにどこかの道に落としてしまったらしい。路上の片方の軍手はこうして落とされていくのだろうかと思われたほどである。そしてこの日、内容が『展示』にシフトした。一番最初にみんな頭に浮かびしかしありふれていると別の案を考えしかし何周かしていややっぱり『展示』が良いのではないかという話にまとまってきた。というのも、日本での路上ゲリラ展示の前例や系譜があったからである。茂木と渋井は現代アートへの知見が深くそれについての情報も私たちに共有するとともに、さらにそれについてしっかり調べていくことが決まった。それがザ・ギンブラートと新宿少年アートである。
5/5~11 ネットや藝大の図書館を漁り、教授陣に話を聞いたりした。chim↑pomについても調べた。今回やろうとしていた「道」での展示とギンブラート及び新宿少年アートとの決定的な違いは「道」と謳われているが実際にはそこが美術館の中であるということだ。森美術館をアートフォーマットの象徴とし、作品展示をどの立場で行うのか、どういう大義の基ゲリラで決行するのか。この間7日と11日に第5,6回のミーティングを行った。
5/12~14 展示を実施する方向で決まりその為に人数を増やすことにした。軸の二人(茂木と渋井)が同年代の気になる作家何人かに声をかけていった。
5/15 第7回ミーティング。参加者が増えてから全体のミーティングとしては初回だった。この時点で集まった参加者15人(展示当日の参加者とは一部異なる)を対象とし、今回の企画の概要と目的と意義を共有した。この時には「シン・chimブラート」の名前が決まっていた。この名前はなかなか良い。この時はまだ22日実施の予定だった。
5/16 ポスターとチラシの制作を行った。その夜に企画委員的な役割の茂木、渋井、広瀬、関野、そして小島の5名でchim↑pom展にもう一度下見に行くことになった。展示の入り口でどの程度の大きさの荷物までなら入場できるのか、監視員はどのポジションに何人ほどいるのか、また現在の「道」に状況把握などの意味合いがあった。その際、出来上がったばかりのポスターを無断で「道」に何枚か貼って置いてくるという行動をし、監視員の反応を見たりしていた。その翌日から簡易荷物チェックが増えてしまったのは偶然だろうか?
5/17 第8回ミーティング。茂木の友人がchim↑pom展に行った際に簡易荷物チェックがあったと教えてくれて、企画委員のみで緊急で会議を開いた。当日どうなるかわからないけれど、とりあえずなるべく目立たないように中身を見られてもぱっと見わからないようなカモフラージュをすればよいのではないか。いやそもそも美大生が作品を持ち歩いていることは何ら不自然でないので堂々としていればいいのではないかという話に落ち着いた。
5/18 この日の時点で、参加する意思がある人全員とマンツーマンで、注意事項とリスクを話し、現在考えている作品・パフォーマンスの内容を聞いた。また、参加した人達の実行日の延期希望、その場合の希望日も訪ねて回った。その結果決行日は22日から参加できる人数の多い29日(まさかの最終日)になった。
5/19 シン・chimブラートの旗の制作が完了。29日に延期という連絡を全体にする。その後も人づてにこの企画に興味を持つ若いアーティスト、美大学生が一番多い時は30人が集まった。
5/22 茂木がパフォーマンスアーカイブ集団の一人と知り合い、この日そのグループのリーダーと茂木、渋井、広瀬で会った。利害が一致すれば森美の「道」での展示パフォーマンスのアーカイブに協力してくれるということだった。その人はパフォーマンスというもの現代アートというものに深く精通しており、今回の我々の企画へその視点から多くの助言をしてくれたが残念ながら利害一致には至らなかった。その後、第2回全体でのミーテイングが夜9時からあった。ここでは改めて今回の企画の概要と意義と目的、また、先ほど助言をもらった通り最悪の場合の100%のリスクをしっかり全体に伝え、それを了承できる者のみ参加をお願いした。2日後の火曜日までに参加不参加を決めてくれるように言った。
5/24 その結果30人いたライングループの人数は15人に減った。
5/28 シン・chimブラリストの作成。
5/29 ゲリラ展示本番当日。13時に森ビルすぐ近くの「ママン(ルイーズ・ブルジョワ)」のの下に集合した。みんなそわそわした様子だった。2グループに分かれて少し時間をずらしてchim↑pom展に入場した。みんな無事に入場したが、一人だけ、リュックから大幅にはみ出していた本岡の作品の一つだけロッカー行きとなった。各々道に辿り着くとしばらくは展示を見るようにしていた。最終日なだけあって人は多かったが、身動きが取れないほどではなかった。そしてchim↑pomメンバーもその場にいた。入って少しすると乙武洋匡さんが「道」の上で演説を始め、我々はそれが終わり次第の開始となった。時間にすると15時頃から18時頃までの約3時間の展開だった。
文:広瀬 里美