講談ボランティアの思い

私が講談のボランティアを始めたきっかけや、その思いをお伝えします。

2020年春、

未曾有の危機が世界中を覆いました。

新型コロナウィルスによるパンデミック・・・


外出を制限され、どころか、人と会う、人と話すことさえも制限されるという、

これまで誰も経験したことのないような事態に陥りました。

得体の知れないモノへの恐怖と不安の中、

ご利用者も、私たち支援者サイドも何とか踏ん張って対応してきました。


そして2022年を迎えた時、

「もしかしたら、今年はコロナ禍が明けるのでは?」

という雰囲気が出てきました。

(結果的には明けませんでしたが)


そう、人と会うこと、イベントを企画したり呼んだり参加したりすること、

そういったことが解禁されるのではないか、という。


そんな時、

このコロナ禍で気持ちも何もかも塞いで落ち込んだ、自分が縁している地域の人々に、

何か恩返しができないものかと考えるようになりました。


しかし・・・

私には、何もありません。

リズム感も音感も無し。

当然楽器なんて触ったことがない。

お笑い? 手品? とんでもない。

不器用が服着て歩いているのにできるわけがない。

そもそもインドア派で、

趣味らしい趣味もなく、色々な経験値にも乏しい。


こんな面白みの無い自分でも、

何かできないだろうか?


正月、たまたま動画サイトを見ていた時、

「講談」を視聴しました。


もしかすると、これなら、

自分にもできるのではないか?

覚えるだけなら、

相手の反応に合わせてとか

手先の器用さとか、

必要ない。

高価な道具や衣装も

必要ない。


覚えるだけなら・・・

覚える、だけ、ならば・・・



何もできない自分を恥じて

あるいは

一芸を持つ人を羨んで

今まで生きてきましたが、

こんな面白みのない自分でも

できることがあるかもしれない。


そう思えたのです。


2022年1月、

動画を見ながら、

書き起こしをし、

練習しながら、原稿を書き直し、

とにかく、覚えました。


覚えれば覚えるほど、

「覚えるだけ」だと思っていた自分が恥ずかしくなりました。


「講談」は「伝統話芸」です。

覚えてしゃべるだけじゃ、「芸」にならない。

「話芸」とはそんな甘いものではないと実感します。


それでも、

どうせなら、

お金を払ってでもいいと思えるほどにしたい。


それから

毎日、毎晩、練習しています。

夜の誰もいない会議室や自宅の浴室で。


今もずっと。


最初は一つだけの演目を覚えればいいと思っていましたが、

一つだけでは、楽しみを与えられないと気づき、

覚える演目を増やしました。


覚えれば覚えるほど、

端から抜けていきます。


でも、

ボランティアで、

講談をさせて頂けるようになって、

こんなに皆さんが悦んでくれるのかと嬉しくなり、

それがまた

私の心の栄養になっているのを感じます。


仕事ではありませんが、

仕事につながりそうにもありませんが、

でも、

アフターコロナ、

お世話になっている地域に

自分自身が直接的に恩返しができる

その方法を見つけられたことに

とても感謝です。


これからも、

できる限り、

「サラリーマン講談 講釈師みなと」は

縁した地域の笑顔のため、

ボランティアの講談を続けてまいります。



2023年8月

訪問マッサージ東京在宅サービス

相談員 湊貞行





追記


実は!

講談をやっていながら、

私自身は、

本物を見たことがありません(笑)



サラリーマン講談 presented by 東京在宅サービス