タイトル:楽しいヴァルオーグ
作家 :濱田むぎ
展示会 :濱田むぎ個展 『みちみちの箱庭』
購入日 :2023年8月1日
サイズ :1000×455mm(変形キャンバス)
種別 :油絵
■終わることのない物語
濱田むぎさんの作品の大きな特徴は、変形キャンバスを採用していることです。しかも楕円や三角形といった規則性があるわけではなく、作品ごとに個性的な形をしています。変形キャンバスの意図を考えながら、《楽しいヴァルオーグ》を眺めていると、終わることのない物語という言葉が浮かんできました。RPGゲームの終盤に差し掛かると、気分がのらずクリアしないまま放置してしまう症候群があるのをご存知でしょうか。ゲームと現実の世界は明確な境界線によって別れているがための寂しさが理由と思われます。
今回の個展「みちみちの箱庭」のステートメントには、「石板を揃えはめ込まなくては開かない扉のように」との一文がありました。石板は物語の断片とも想像できますね。確かに濱田むぎさんの作品は、物語のある場面が現実世界に表出したような雰囲気を持っています。重要なことは、一つの石版では物語は完結しないことです。それどころか、隣の石板によってはストーリーが反転する可能性すらあります。作者によって生み出されたキャラクターは、鑑賞者の解釈によって物語を歩んでいきますが、これから描かれる作品の影響をも受けることでしょう。一つの作品は、複数存在するであろう「一つの場面」を一つの観点から描いたと解釈することもできます。新たに表出した石板がタイムリープを引き起こすように。《楽しいヴァルオーグ》は未完なのかもしれません。この作品を眺めていると、まだ決められていない将来をキャラクターとともに進んでいくような心地になります。それはすなわち、ずっと物語の世界に浸っていたいという願いを叶えてくれる作品と言えるでしょう。
■変形キャンバスの難しさ
一般的なキャンバスが四角形であるのは、飾りやすさもありますが、被写体をバランスよく描けるためです。余白を設けることで構図が安定し、余韻が生まれ、奥行きや空間を表現しやすくなります。一定数用いられる変形キャンバスは楕円くらい。
《楽しいヴァルオーグ》に限らず、濱田むぎさんの作品には、回想や異なる場所にいる人物を描くことが多いです。一つのキャンバスに異なる時間と場所が同居することになるのですが、これは変形キャンバスと相性が良いと考えられます。キャラクターを柔軟に配置することができ、回想を違和感なくキャンバスに取り込むことができるためです。例えば、今回の個展にある《2000年前の禍根》を見てみましょう。主人公の顔の右側に横たわる人物がさりげなく描かれていますが、キャンバスの流れに沿っているため、目立ちすぎず自然に画面におさまっています。キャンバスの変形を活かして、人物の大小を描き分け、メリハリのある構図に仕上がっていると感心しました。おそらく普通のキャンバスを用いると、構図がパターン化してしまい、一つのキャンバスで物語が完結してしまうはずです。また、歪んで見える街並みは奥行きがあるだけでなく、世界の広がりを感じさせてくれます。
しかし、変形キャンバスは難しいです。単純に人物の形で区切ってしまうと、トリミングしたに過ぎません。また、変形によって背景のスペースが減ってしまう弱点があります。そのため鑑賞者に背景を想像させる仕掛けが求められます。側面を厚くしているのは、石版のような物質感に加えて、画面に続きをもたらす目的もあるかもしれません。
《2000年前の禍根》と《不可抗力》
■《楽しいヴァルオーグ》の構図
変形キャンバスと言っても、濱田むぎさんの場合、鉱物が結晶化したように作品ごとに形は異なります。《楽しいヴァルオーグ》は縦長ですが、形のイメージとしては瓢箪に近いです。この二重の丸みによって、クロスボウ(最初は銃に見えましたが三日月型の格子からするとクロスボウの類のようです)を持った男性と肘をついて物思いにふける女性の二人にリズミカルに焦点が当てられています。
構図としては、クロスボウの向きと女性の顔の向きが対角線になっており、鑑賞の基本のラインとなります。ポイントは左に描かれているフラッシュバックしたようなターコイズ色をした少女の顔です。下書きの線なのでしょうか、この少女の顔は鉛筆のような黒線で描かれていることに気づきました。緑色はざっくりと置かれているにすぎません。そして、明度の高さから鑑賞者の視線を強く誘導する効果があります。もしこの顔を他と同じように描けば、鑑賞者の視線は三人で囲むテーブルに真っ直ぐに落ちてしまったでしょう。すると、鑑賞者は仕切り直してから、男性が描かれた上部を眺めることになり、上下で作品が分割されてしまった印象を受けざるを得ません。鑑賞者の視線は紫色の少女から、明度の高いターコイズ色に移り、玄関前に立つ少女を通って、三人が座るテーブルへと流れていきます。つまり、緩やかな円を描くように視線は誘導されます。しかも三人のうち多くの作品に登場する緑の瞳の少女が少し上に位置することで、鑑賞者の視線は画面の中心に戻っていく効果があるように思いました。
鑑賞者の視覚の回遊
男性は女性とは反対に右斜め上にクロスボウを向けています。画面の上下でS字のようなラインになるため、鑑賞の流れがスムーズになります。この男性は異なる場所にいる姿なのか、女性が想像する姿なのかは定かではありません。いずれにしても男性の背後にある街並みは女性がいる場所のように思いました。男性の後ろには階段のようなものが描かれていますが、クロスボウの方向を補完しているのが興味深いですね。対角線の強調は、二人のすれ違いを予感させます。濱田むぎさんの作品は、ほんわかした雰囲気が多いのですが、《楽しいヴァルオーグ》はタイトルに反して、やや哀しさを帯びているように感じられます。表情や色彩だけではなく、構図も影響を与えているのかもしれません。
鑑賞者の視点が多面的であるのもこの作品の魅力です。鑑賞者は紫色の少女に対して正面を向きますが、テーブルを囲む三人は見下ろす位置にあります。一方、街並みはやや見上げることになりますね。鑑賞者は一つの視点から眺めているのではなく、それぞれの場面において複数の視点を同時に眺めることになります。ただし、画面がバラバラになっているのではなく、複数の場面でありながら一つの作品としてまとまっており、構図の本質になっているように思いました。
画面構成のライン
鑑賞者の視点
■先端の先にあるもの
この作品の形で目立つのは先端です。この部分は変形キャンバスの難しさと活用が顕著に表れています。四角形のキャンバスに置き換えてみましょう。星空が広がるだけでなく、月を描くこともできます。空間に余裕が生まれ、作品に余韻をもたらしてくれます。変形バージョンとしては、上部を円形にすることも選択肢になりますが、それであれば普通のキャンバスで事足りるように思いました。この作品の先端にはどのような効果があるのでしょうか。どうやらこの街はドームのようなもので覆われているらしいのですが、その設定を知らなくとも、鑑賞者の視線はドームの先端に自然と集められます。この街はどのような構造をしているのか空想が膨らみますね。
もちろん四角形のキャンバスでもドーム型の街にするとはできます。しかし、その場合おそらく天井は画面に対して垂直に描かないと不自然になってしまう気がしました。変形キャンバスのメリットの一つは軸を動かすことができる点にあるのかもしれません。中心が曖昧になっているがために用いることができる構図なのです。ドーム型の街をそのまま大きく描けば、重苦しくなるおそれがあります。斜め上に抜けるような構図になっているからこそ、二人の登場人物を阻害することなく、舞台設定の面白味が生まれてくるように思いました。先端の先に星空は続いていくのです。
■ヴァルオーグの世界
ところで、ヴァルオーグとはどのような意味なのでしょうか。辞書で引いてもそのような言葉は見当たりません。主要な外国語にそれらしい単語は見当たらず。登場人物の名前とも考えましたが、タイトルの「楽しい」には合致しません。最初は、少女が肘をつき物思いに耽る場面からすると、小休憩の意味に思いました。物語の世界の幕間みたいなイメージです。しかし、それならholidayでもVacancesでも良いわけで、ヴァルオーグという謎めいた言葉にする必要があるのだろうか、、、と悩んでいると、なんと別のギャラリーに出品している展示会にその答えがありました [1]。『物語には、「ヴァルオーグ」という夜が長い世界があるという設定があります』、なんとヴァルオーグとは世界そのものだったのです。しかも、『ヴァルオーグの住民は皆太陽かが苦手な夜行性なので、夕方ごろから外出します』とまさかの夜型タイプ。今回紹介する作品の時間帯も夜ですが、建物の窓からは煌々と明かりがもれ、星飾りのようなものが見え、お祭りの雰囲気が漂っています。これは夜になって元気が出てきたヴァルオーグの日常なのかもしれません。想像が膨らみますね。
個展風景
■紫色の少女の名は
《楽しいヴァルオーグ》のメインキャラクターは紫色の少女です。しかし、残念ながら「紫色」は物語の主人公になれないという法則があります。紫色をテーマカラーとするキャラクターは、勉強も運動もでき、女性であれば才色兼備の女性が憧れるお姉さん型が多いイメージがあります、、、、と書いているうちに本当にそうなだろうかと疑問に思えてきました。わかりやすさを重視する子ども向けの漫画やアニメは、カラーによってキャラクター付けをする傾向があります。そこで、プリキュアを調べてみると、やはり紫系のキャラクターはメインビジュアルでは二列目の端にいることが多い [2]。珍しく「魔法つかいプリキュア!」のキュアマジカルが紫色で目立っていましたが、それでもキュアミラクルというピンク系統が主人公のようです。魔法という紫色が唯一メインとなりえるテーマですら一歩譲ってしまう紫色の奥ゆかしさ。さらに紫色は、悲運が似合うという可哀そうな側面があります。紫色がもつ高貴で神秘的なイメージが何かを反転させる力を持っているのでしょうか。冠位十二階でも頂点は大徳の濃紫ですからね。紫色の宿命である二面性は、優れた能力や地位の代償かもしれません。
ヴァルオーグの世界に戻りましょう。この世界は魔法が使える設定になっています。おそらく紫色の少女は特に優れた魔法の使い手です。他のキャラクターに比べファッションも大人びています。両腕のブレスレットも目立ちますね。しかし、紫色には悲運を伴う法則があります。左に描かれている二人の少女は過去の姿かもしれません。ターコイズ色の顔は家族との別れでしょうか。何かを失ったような悲しさが見て取れます。その下のドアに立つ姿は新しい家族や仲間との出会いかもしれません。ただし、どこか表情が失われ、殻に閉じこもっているようにも感じます。髪型や服装は周囲に自然になじむよう意図的に選ぶ賢さがあります。今は仲間から尊敬される魔法使いですが、それは必ずしも才能ではなく、隠れた努力によるはず。紫色は、努力を感じさせない、人に見せないキャラクターがあるのです。と書きましたが、ぜんぶ推測です。パターンとしては、紫色の少女は魔法ではなく知恵で勝負するキャラクターかもしれませんし、俊敏な動きが特異なスパイのような役割を担うという設定も面白いでしょう。
三人の食事の場面はつい最近の出来事の回想と思われます。彼女の哀しい過去(私のイメージです)からすると、ささやかなティータイムが心の拠り所なのかもしれません。赤い服を着た少女は、《知らないあなたの引力》などに登場するヴァルオーグの主人公アリーシュカと思われます。アリーシュカは意外にも引きこもりがちな性格らしいです。てっきり天真爛漫なキャラクターだと思い込んでいました。ただ、人の性格は出会いや経験を通じて、常に変わっていきます。また、自分でも意識していない隠れた一面もあります。なので、紫色の少女もアリーシュカも作品が描かれるごとに、最初の設定とは違う道を歩んでいくような気がします。テーブルの下側に座っているのは紫色の少女ですが、その左側は誰でしょうか。名前が分かっているキャラクターにはシンディがいます。「死後も各地に骨が土に埋まり呪力を帯びることで世界を監視している」設定。他には小麦色の肌をしたキャラクターもいるようです。アリーシュカ、紫色の少女とも気が合いそうですね。テーブルにいるのは褐色の少女(少年?)かもしれません。
《知らないあなたの引力》
■悲運は招かれる?
クロスボウを持った男性は謎です。私が見ている最近の作品には登場していないようです[3]。服装から軍人であることは確かでしょう。ヴァルオーグは魔法が使える世界ですが、全員が使えるのか、才能のある人間のみ使えるのかは定かではありません。単純なクロスボウではなく、魔力を帯びた武器という設定も想像できます。魔法を武器に宿らせる能力を持った人たちがいるわけですね。どちらかというと魔法は男性より女性に近いイメージがあります。西洋の魔女の概念に由来するのかもしれません。
この男性は非常にクールです。戦場でも慌てることなく冷静沈着な判断ができるタイプ。年齢は20代後半、紫色の少女たちに比べると一回り年上になるでしょう。偵察や暗殺といった特殊任務が得意そうですが、元々は参謀本部付のエリートでも良さそうです。頼られる存在ですので、紫色の少女に相応しい相手です。しかし、弱点は不幸を招きそうなキャラクターであること、そして、あまり紫色の少女には興味ないかもしれません。このキャラクターが今後の物語にどのような展開をもたらすのか楽しみですね。
《A few encounter fragments》 (第46回 東京五美術大学連合卒業・修了制作展)と個展メインビジュアル。幼少のアリーシュカ?
■マチエールと石板、次の物語
デジタルアートが一つのジャンルとして確立している現在、アナログ絵画はマチエールを重要視する傾向があります。ただし、戦後の「もの派」のように石や木材、鉄など素材に注目するアートは以前にもあり、それこそ絵具の盛り上げ、さらには筆致を残す描き方は古典的な技法なので、特筆すべきことではありません。マチエールを考える上で重要なのは、その作品にとってそのマチエールにどのような意義があるのかということでしょう。
《楽しいヴァルオーグ》は画像で見ると厚ぼったく見えますが、実際は必ずしも厚塗りではないように感じます。少なくとも絵具が凸凹盛り上がるようなことはありません。では、筆致で勝負しているのか言えば、それも違う気がします。しかし、荒っぽさと細やかさが同居する、ざらざらのようですべすべのような不思議なマチエール。これは造形的な要素を含んでいるような気がしました。石板というコンセプトからすると、立体作品ではないものの、この作品は描いたというより、造られたような感覚があります。あらためて個展のステートメントを読むと「私はその一部を移し取り絵の具によって閉じ込めている。不定形で曖昧なまま固定化してくような感覚だ」と記載されていました。その一部とは物語を指していますが、物語は変わっていく余地があります。極端に考えると、今後の展開によって過去も変わってしまうような気がしました。ある日、この作品を見たら、この男性はクロスボウではない物を持っているかもしれません。男性が笑みを浮かべていることも、それどころか別の男性に入れ替わっている可能性すらあるでしょう。次に誕生するヴァルオーグの石版が待ち遠しいです。(2022年10月15日)
[1] HELLO GALLERY TOKYO グループ展「疎通」2023年10月6日~10月21日 https://www.hello-gallery.com/exhibitions/sotsu/
[2] プリキュアのキャラクターの色一覧 https://www.i-iro.com/precure-color
[3]《A few encounter fragments #2》の男性にも似ているかも。《楽しいヴァルオーグ》より若い頃かもしれません。
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