タイトル:Last Sunset
作家 :濱田むぎ
画廊 :木之庄企畫
展示会 :濱田むぎ個展 夜ならあなの顔がよく見える
購入日 :2024年3月4日
サイズ :660×920mm(変形キャンバス)
種別 :油絵
タイトル:Last Sunset
作家 :濱田むぎ
画廊 :木之庄企畫
展示会 :濱田むぎ個展 夜ならあなの顔がよく見える
購入日 :2024年3月4日
サイズ :660×920mm(変形キャンバス)
種別 :油絵
■光あれ
旧約聖書『創世記』で神は天と地を創造し「光あれ」と世界に光をもたらしたとされています。今回紹介する作品《Last Sunset》には多くのモチーフが描かれていますが、最初に目に飛び込むのは光です。オレンジ色と黄色の先にある白き光、二人の人物に比べて遥かに面積は小さいのに作品を支配する存在と言って良いでしょう。それだけ我々は光を求めているのです。この作品の主眼は色彩にあるように思いました。太陽が放つ白い光がプリズムたる空によって分解され、世界に散っていく。キャンバスは多様な色彩に満ちていますが、その根源は太陽であり、調和した光に包まれています。七色の波は本物の海を眺めるように飽きることはありません。打ち寄せる波の音がいつまでに心に響きます。
朝焼けも夕焼けも絵になる風景です。クロード・ロランの風景画を思い浮かべる方も多いでしょう。モネの《印象・日の出》も有名ですね。しかし、ピクチャレスクの代表格であるにもかかわらず、海辺の朝焼けや夕焼けを主題とする作品は少ないように感じます。その理由はワンパターンになりすぎ、かえって鑑賞者の記憶に残り難いのかもしれません。最大の弱点は水平線の横ラインが強すぎるため、硬直的な構図になってしまうことです。一般的な四角形のキャンバスでは水平線は描きたくも扱いにくい存在なのです。一方、この作品は変形キャンバスのため、反対にどのように画面を安定させるかが課題となります。キャンバスを安定させる軸として水平線は機能しています。最初に夕日に目が行くのは、明るさだけでなく安定感をもたらす水平線も理由の一つかもしれません。
■キャンバスのゆりかご
この作品のキャンバスはとてもユニークです。ハート型や心臓を思い浮かべる人が多い気がします。もしかするとオーストラリア大陸をイメージされる人もいるかもしれません。ポイントは真ん中の窪みにあります。手を繋ぐ二人の女性の腕とリンクしています。キャンバスの形とモチーフを連携させることで、画面に動きが生まれます。打ち寄せる波の突端は二人の手の近くにあることにも気づきました。繋がれた二人の手をより意識させる効果があります。さらにキャンバスの窪みと結ばれた二人の手のラインに沿って、夕日は沈んでいます。波は様々な色に反射していますが、黄色い直線が中心に走っています。水平線に対する縦のラインが形成されていることが分かります。十字架のようにも見えてきました。十字架は形として根源的な美しさを秘めているように思います。
上の窪みに対して、下は一つの出っ張りがあります。もしこの作品をそのまま床に置けば、ころりと横になってしまうのが想像できるでしょう。それは壁にかけた状態でも何となくイメージしてしまうものです。下の出っ張りは夕日と二人の手からなるラインより右にずれています。しかも左側に描かれている男性によって画面の中心も右に寄っています。もし二人の女性を画面の中心に描き、その足元を出っ張らせた場合どうなるでしょうか。キャンバスは左右どちらかに倒れそのままになってしまうはず。あらためてキャンバスの形に注目すると、左側は少し長く細めているのに対し、右側はふっくらと丸みを帯びています。そのためどちらか一方に倒れるのではなく、ゆりかごのように揺らめくイメージを与えてくれます。寄せては返す波のような心地よさ。
登場人物の視線にも注目してみましょう。左側の男性は空を見上げ、右側の女の子は俯いています。補助線を引くと両者の視線は平行線ですが、真逆を向いていることが明確になります。これも画面に揺らめきを与えることになります。感情的にも陰と陽を感じますね。中央の手を繋ぐ女性に対して、この男性と少女の感情は乖離していくように。この点はあらためて物語とともに考えてみたいと思います。
水平線と夕日、二人の視線に補助線を引く
個展風景①
■踊るモチーフと分かつ世界
《Last Sunset》には人物だけでなく、多くのモチーフが描かれています。二人の女性の間には貝殻が舞っています。しかもホタテ貝のような定番のものから、尖ったものや丸みを帯びたものなど形は様々。我々がいる世界を描いているわけではないので、種類を特定する必要はないものの、尖った巻貝はバイガイの仲間なのかなど図鑑で調べてみるのも楽しいでしょう。星の形をしたものはヒトデと思いましたが、ウノアシという笠型の貝も存在するようです。この貝やヒトデは描いている途中に直感的に描き加えられたものかもしれません。
画面左側にはヤシの木が描かれ、男性のいる世界との境界線になっています。難しいのは場面の違いを示す必要がある一方、境界を明確にしてしまうと情景は分断され作品としてまとまりを失ってしまう点です。ヤシの木にしては背丈が低く葉も少なめなのは、境界線として程よく機能させるためでしょう。ヤシの木ではないのかもしれません。むしろイメージを重視しているように感じられます。また、右下の俯く少女は草花が境界線になっています。赤紫の花はブーゲンビレアでしょうか。黄色い花の識別は難しいですが、黄色いユリかもしれません。こちらも花の種別というより、物語に似合う花の形と色彩のイメージで良いかと思います。なお、黄色いユリの花言葉は「陽気」ですが、「偽り」「不安」という側面もあるようで、アリーシュカの性格に合っている気がしました。
個展メインビジュアル《ドラゴンヘッド ドラゴンテイル》
個展風景②
さて、宙を舞う貝に戻りましょう。あらためて鑑賞すると多くの効果をもたらすことに気づきました。一つ目は左右の情景を結び付ける効果です。まさにヒトデの星は流れ星を見つめる男性とリンクします。また、アリーシュカには髪飾りのように星が輝いています。異なる情景を引力で結びつけるイメージです。二つ目の効果は遠近感のサポートです。貝はメリーゴーランドのように回転しています。沈む太陽に情景に深みがでてきますね。この作品では三つの情景が描かれていますが、平面的になりすぎると整合性が取れなくなるので、良い感じに遠近感を与えていると言って良いでしょう。三つ目は白い輝きの強調です。いずれも貝やヒトデは太陽を浴びて白く輝いた線で描かれています。黄色やオレンジを帯びているものもあります。夕焼けでありながら、この作品は赤よりも白い光の根源を意識しているように感じました。白い線は色彩のイメージを補完する存在なのかもしれません。
モチーフで面白いのが右上のアヒル?です。アヒルが木を登るのは聞いたことがありません。できないことの喩えとして「アヒルの木登り」ということわざもあるくらいです。こちらも左側と同じくヤシの木の仲間に見えますが、ココスヤシという低木の種類が日本でも流行しているようです。しかし、葉はなく、というよりも葉の代わりにアヒルが乗っている感じがしてきました。澄ました表情が良いですね。達観しているというか守護神のようにも見えてきます。白いアヒルは色彩の配置としても鑑賞者の視線を上手く誘導してくれます。さらに目を凝らすとその隣にカラスのような鳥が浮いている…?正面を向いた謎の鳥。木に止まっているわけではなく、宙に浮いているようです。嘴と目があることから見間違いではないと思うのですが。作品の解釈に複雑なスパイスを加えるような存在でしょう。
■これはプロローグがエピローグか
この作品は物語における何かしらの区切りを感じます。プロローグ、それともエピローグなのでしょうか。予断を抱かなければ多くの人はエピローグと思うかもしれません。夕日は一日の終わりを告げ、二人の女性の雰囲気からはハッピーエンドを迎えたと思うのが普通でしょう。右下の少女、アリーシュカは眼鏡をかけており、手を引く大人の女性も眼鏡をしていることから、母親になった場面という解釈も成り立ちそうです。しかし、塞ぎ込むアリーシュカとはどこか断絶しているように感じます。
個展タイトルは「夜ならあなの顔がよく見える」ですが、逆に言えば昼は顔がよく見えないのでしょうか。作者が描く世界について補足をしておきましょう。前回の個展「みちみちの箱庭」(Art Gallery Shirokane 6c)と同じくこの作品もヴァルオーグという世界が舞台になっています。以前のグループ展では「ヴァルオーグという夜が長い世界があるという設定があります。ヴァルオーグの住民は皆太陽かが苦手な夜行性なので、夕方ごろから外出します」と紹介されていました [1]。さらに、今回の個展のステートメントには「ひょんなことから昼と夜が半々の世界に飛ばされてしまい、陽の光が明るすぎて何も見えない、でも夜なら目がきく」という新たな設定が分かりました。アリーシュカはヴァルオーグという世界から別の創造世界に遷転しているのです。もちろんアリーシュカは私たちの世界に遷転したわけではありません。つまりアリーシュカはヴァルオーグという創造世界から別の創造世界に二重に遷転しているわけです。
《羨望》後ろ姿はアリーシュカに見えますが、親子との関係は?
《積年》
■アリーシュカが出会う人々
ヴァルオーグの住人が夜行性ならば、夕日は我々でいう朝日になります。希望に満ちた二人の表情にも合致します。この場面はアリーシュカが遷転する前のヴァルオーグでの思い出かもしれません。アリーシュカはブロンズというより黄色い髪をしており、手を引かれるのはアリーシュカの幼少期とも解釈できます。《Last Sunset》というタイトルからヴァルオーグで眺めた最後の夕日と考えるのも面白いでしょう。軽やかなステップで少し斜めになった姿勢からは天真爛漫な少女という印象を抱きます。一方、ヴァルオーグに遷転した今のアリーシュカはやや躁鬱な傾向があるようです。今回の個展のメインビジュアルである《ドラゴンヘッド ドラゴンテイル》では、アリーシュカのアンニュイさがMAXに達していますね。
ヴァルオーグの世界の登場人物で私が名前を把握しているのは、アリーシュカの他は、シンディという女性の強力な魔法使いだけです。彼女は「死後も各地に骨が土に埋まり呪力を帯びることで世界を監視している」という設定になっています。なので、殆どのキャラクターは名前も設定も分かりません。これはもどかしくもあり、作品を楽しむ糧にもなります。今回の個展では《羨望》という作品が展示されていました。雨が降っているのでフードを被っていますが、こちらも親子が描かれており、髪型は《Last Sunset》と似ています。そして雨に濡れまいと走っている少女は服装からするとアリーシュカに見えます。また、《積年》で描かれる女性はやや若いですが顔や髪型からすると同一人物と思われます。とすれば《Last Sunset》にはアリーシュカと騎士の男性、中央には《羨望》に登場する親子が描かれていることになります。真相は分かりません。しかし、アリーシュカと《羨望》の親子はお互いを知らなくとも不思議な引力が作用しているように感じます。もしかすると彼女らもアリーシュカと同様にヴァルオーグから遷転したのかもしれません。いずれにしても《Last Sunset》はプロローグのように感じました。
騎士の男性とアリーシュカの関係も気になりますね。《ドラゴンヘッド ドラゴンテイル》からすると、アリーシュカを兄のように保護する立ち回りなのでしょうか。気まぐれなアリーシュカに振り回されるイメージもあります。しかし、重要な使命を帯びている予感も漂っています。登場人物を推測するには《3人なら大丈夫》も重要なヒントになりそうです。彼らは大人になっても友情が続くのでしょうか。それとも記憶の断片になってしまうのでしょうか。現時点では《Last Sunset》はいろいろな解釈で楽しむのが良いと思います。もしかしたら事実は一つではないかもしれません。(2024年5月28日)
《3人なら大丈夫》
[1] HELLO GALLERY TOKYO グループ展「疎通」2023年10月6日~10月21日 https://www.hello-gallery.com/exhibitions/sotsu/
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