タイトル:せぜらぎ
作家 :熊谷 曜志
画廊 :靖山画廊
展示会 :熊谷曜志日本画展(三越仙台)
購入日 :2019年7月17日
サイズ :F6
技法画材:日本画
舞台は、愛知県新城市にある「阿寺の七滝」の付近である。作家の熊谷氏からは、ここの地層は火山系の地層で、川石がさざれ石の為に苔が美しく生えるということ、せぜらきとは、せせらぎの古い言い方であり、音の印象から清涼感とごつごつとした川石が連想されることからタイトルを付けたことを教えていただいた。確かに「せせらぎ」の方が清らかではあるが、「せぜらぎ」とすることで、川音とともにそこに生きる苔、水草、昆虫といった無数の生命の息吹を感じるように思う。
絵画に描かれた人物を鑑賞する際は、姿勢、表情、服装に目が行く。この絵画の見所は、小川につま先をつけようとする女性の姿勢と表情にある。季節は春先、まだ寒さが残っているのだろう、かかとに皺ができるほど足の甲を伸ばし、指先は力強く曲がっている。足先が水面につく間際の緊張感が、鑑賞者に伝わってくる。片足で体のバランスを取るために、健康的で若々しい脹ら脛に力が入っていること、また、水に濡れないようスカートを手繰り、左袖を肘の上まで捲ることによって、臨場感が増し、鑑賞者は涼しさを共感することができる。この涼しさの共感によって、鑑賞者は意図せずとも作品に入り込むことができる。左手、両足と3つの力点によって平衡感が保たれ、安定した構図と姿勢の美しさが表現されていることに着目したい。
次に、服装である。フードがついたやや厚手の上着、長めのスカートという服装からも季節を推測することができる。上着はウールのような質感を胡粉によって巧みに表現している。袖口のリブ生地は、腕が軽く締め付けられる感触を覚えよう。また、フードを通した紐、ドローストリングの揺れが、動きを与えているのが良い。腕を捲って、スカートを手繰り、左足を持ち上げ、つま先に力を入れるという女性の一連の動作と紐の揺れは連動している。つまり、描かれたのは一瞬の姿勢であるが、紐の動きによって時間を意識させてくれる。日本画で女性を美しく描くには着物が最適であろう。姿勢が伝わるだけでなく、柄も華を添えてくれる。それに対し、この作品の女性の服装は地味であるが、引っ張られたスカートの皺が体の輪郭線と相まって線を重要視する日本画の特性を活かしている。また、白と淡い黄色の組み合わせは、小川の風景を阻害することなく落ち着いた情景に溶け込んでいる。そして、髪を留める赤のヘアゴムが指し色として効いている。
女性の視線は水温を確かめるように足先に集中し、表情は穏やかで美しい。いわゆる美人画のような優美さとは異なるが、無心な表情に見とれてしまう。垂れる前髪はフードの紐と同様に重力と動きを感じさせる。前髪は、屈んでいるとはいえ、後ろ髪に対して長すぎるように思うかもしれない。しかし、前髪により鑑賞者の視線は下に誘導され、水面に近づく足先に注意が向けられるよう仕向けられている。また、短めの総髪、ポニーテールは、川遊びをする活発な女性に似合っている。一般的に女性を描く場合、より長髪にした方が、美しさを表現しやすいように思える。体の動きや仕草を誇張したり、艶やかな質感でアクセントをつけることもできる。ミュシャのように髪を装飾的に利用し、構図を整えることもできよう。そう考えると、この作品の女性は、姿勢はもちろんのこと、服装も髪型もあまり描かれないタイプのように思える。そのため、これまでに絵画で感じたことのない美しさがある。
最後に景色を観察してみよう。白色系の岩肌に生える苔は、微妙な色の変化が岩絵具によって生み出されている。僅かな日当たりや水気の違いが苔の生育には大きく影響するのだろう。柔らかな苔の感触が見ているだけで伝わり心地よい。苔はこの作品の見所の一つである。女性の近くに生える菖蒲のような草は、苔と同系色ながら、水流で削られた岩や石が全体的に丸みを帯びているのに対し、草は直線的でありアクセントになっている。
ところで、川、つまりは水を表現するのは難しいのではないかという気がしている。本来、水は透明なのであるから、描きにくいのは当然だろう。波海や滝は、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」、千住博の「ウォーターフォール」のように白い飛沫で描写されることもある。川の流れは桜や紅葉を水面に散らすことで補完する手もあろう。古くから鯉はよく描かれるが、川や池は線や僅かに墨を滲ませて表現することも多い。写真のような現実性を追求することを鑑賞者が求めているかというと、必ずしもそうではない。川端龍子の「鳴門」のような鮮烈な青は、実際の海とはかけ離れているが、絵画としての美は完成されている。奥村土牛の「鳴門」も現実とは違う。つまり、その絵画にとってどのように水を表現するのが最も鑑賞者の心に響くのか、作者は試されていると言える。
この作品では、苔と同じ緑系を主とし、波紋で川を表現している。足先が触れそうな部分をもっとも濃くすることで、その部分が最も冷たい印象を受ける。さらに主人公から遠ざかるに連れて川の水は薄くなり、空気と一体化し、背景が形成されることにより、鑑賞者は余韻を感じることができる。日本画の余白はただの空白ではなく、空気感が大切なのである。川の水が青系統であれば清涼感は強まったかもしれない。ただ、空想に過ぎるため、かえって水の冷たさが失われ、背景との断絶が意識されてしまう恐れがある。風景と女性の調和もこの作品の見所である。 (2021年2月22日)
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