タイトル:密やかな森
作家 :中島 綾美
画廊 :八犬堂
展示会 :中島綾美展 映し鏡の森
購入日 :2019年6月9日
サイズ :60×50cm
技法画材:日本画
「密やかな森」は作者の解説が添えられていました。「アオダイショウと咲かない蓮の絵です。自分とは全く異なる姿の者を慈しむ場面を、主人公が羨望の思いで見つめています。誰かとそうありたい、違う生き方でも許しあいたいと願いが見せた幻かもしれません。」自分と異なる姿の者とは、「蓮の精」と記されています。
アオダイショウは全長1~2m、沖縄を除くと日本では最大のヘビです。日本各地に生息し、森林や田畑だけでなく、木登りが得意なため家の軒先に忍び込むことも多く、樹上の鳥の巣を襲うこともあります。夏頃に十数個の卵を生み、寿命は10~20年ほど。くすんだ緑色やオリーブ色をしており、ぼんやりとした縦縞が見られます。必ずしも青というわけではないようです。もともと青と緑の区別は曖昧という事情もあるのかもしれません。この作品で描かれているアオダイショウは尖ったトサカやヒレのような部位があることから、ヘビというより水竜のようにも見えます。また、人間に近い顔をしており、高い知性を持った神秘的な種族とも捉えられます。水面からそっと現れ、長い胴体をゆったりとS字に曲げながら、天蓋に隠れる異なるものを覗く姿は、まさに森の沼の主に相応しい。
ところで、アオダイショウは縁起の良い生物ともされています。脱皮を繰り返すヘビは、再生を意味し、弁財天と結び付けられることから金運を招くとも。一方、ヘビは恐ろしい生き物というイメージもあります。国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」でアオダイショウと検索すると17件ヒットしましたが、アオダイショウを殺したり痛めつけたりして不幸に見舞われる伝承が大半を占めていました。密やかな森に住むアオダイショウはどちらの顔を持っているのでしょうか。作者の解説では、「蓮の精霊を慈しむ」とされています。しかし、アオダイショウは蓮の精の深層心理を覗いているようにも見えます。試していると言っても過言ではありません。そして、蓮の精の心の内によっては、丸飲みしてしまったでしょう。結果は、蓮の葉から溢れる光が示すとおりです。
森をさまよう旅人は、偶然にもアオダイショウと蓮の精の邂逅を目撃することができました。この作品は、その旅人が後日、観察日記として残した断片かもしれません。赤茶けたシミのある洋紙からは、密やかな森で遭遇した不思議な出来事を忘れないうちに誰かに伝えたい、長い時を経て旅人の気持ちが伝わってきます。主人公は、「羨望の思い」で邂逅を見つめていました。「羨望」とは羨ましいとおもうことですが、度が過ぎると妬みや嫉妬の側面が強くなります。この個展のタイトルは、「映し鏡の森」。作者の言葉では、「森に迷い込み、そこで出会った不思議な者たちは、自らの姿や感情を映し出した化身だったという物語を軸に描いています。 夢の中で、無意識が自我の階層に浮上するような感覚です。」と綴られています。この場面が自我の現れとすれば、アオダイショウに試されていたのも自分かもしれません。自らが異なる者を許す気持ちがあれば、それが慈愛であり、もし旅人の妬みや嫉妬が上回れば、森をさ迷い続けたでしょう。天蓋に隠れた弱々しい蓮の精も、強きものであるアオダイショウも自己の一部であると気づいたとき、長く伸びる蔓によって、進むべき道が示されたようにも思いました。
ツボスミレ
スイレン科の蓮は、沼や池の底に塊茎をつくり、そこから葉と花茎を水面に伸ばす多年生の水草で、夏に白やピンクの花を咲かせます。蓮華の五徳とも言われるように仏教との繋がりも深いですね。「密やかな森」では、咲かない蓮の絵と解説されています。これはどのような意図でしょうか。咲くことができなかったとも、これから咲くとも、そもそも開花しないとも解釈できます。ただ、蓮の代わりに他の植物が花を咲かせています。蓮の花が咲いていれば、それに目を奪われてしまったでしょう。周囲を見渡すことも大切なのかもしれません。ツボスミレ、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、カタバミ、カラスノエンドウが彩を与えています。どれも春に小さい花を咲かす野草です。一つ一つの花も可愛らしいですが、草原いっぱいに咲き誇ると違った美しさを見せてくれます。
ところで、最初はギザギザのある大きな盾のような葉が蓮と思っていました。しかし、画面下の切れ込みのある丸い葉は、睡蓮のように見えますので、これはツボスミレの葉でしょうか。図鑑を見ると、ツボスミレは地面に近い位置に葉を広げるようですが、生花のように野草を飾ることはできるはず。蓮の精はスイレンかもしれません。アオダイショウは水面ともスイレンの葉とも思えるところから体を覗かせており、「自らの姿や感情を映し出した化身」という観点からは、すべてのモチーフは一つのものとして融合しているようにも感じられます。
次に、この作品の構図について考えてみましょう。胴体をくねらせるアオダイショウの動きを補完するように、野草の茎や蔓の全体を眺めるとS字に近い形が形成されていることに気が付きました。二重の曲線によって構図に深みと安定が生まれ、鑑賞者の視線を上手く誘導する効果があります。特に左上から右上に伸びるツボスミレの茎は、画面に広がりを感じさせてくれます。作者解説にある5種類の植物からすると、画面上に伸びる野草はツボスミレと思われます。ただ、図鑑で見るよりも茎を長く伸ばしているように感じました。ツボスミレは地を覆うように茎や葉を張り巡らせますが、花を咲かす部分は、ぴょんと垂直に茎を伸ばすことが多いように見受けられます。また、花弁の色は、花托に近い部分は白、先端にいくほど紫、希に紫の筋が入っているように見えることもありますが、この作品では鮮やかな青と珍しい。ツボスミレがなければ、重たい感覚になってしまったかもしれません。跳ねるように伸びた茎と潤いをもたらす新鮮な青は、構図上も色彩上も目を引くポイントになっています。
カタバミ
ホトケノザ
オオイヌノフグリ
カラスノエンドウ
野草は、植物図鑑のように写実的に描いているところもあれば、装飾的に取り入れているところもあり、全体として上手く調和しています。オオイヌノフグリとカタバミは小さな花がすべて正面を向き、茎を省略して装飾的に用いられていますね。オオイヌノフグリは画面左下のサインの近くにも散りばめられ、残り香のような余韻をもたらしています。また、クローバーのような可愛らしいカタバミの葉はデザイン性に優れ、形の上で変化に富んだツボスミレの葉とコントラストになっていることに気づきました。ツボスミレやカラスノエンドウは、リアリティを持って描いていますが、ホトケノザの茎の曲がり方にはアールヌーヴォーを感じさせるものがあります。金色を使った縁どりは風格を与えるに効果的です。マメ科のカラスノエンドウは、茎の先端が蔓状になっており、画面に心地良いアクセントを与えていますね。
葉の隙間から差し込む光が、二つに分かれているのも見逃せません。主人公であるアオダイショウの顔と蓮の精を照らす光だけでなく、その上にもう一つの光の筋が通っています。密林のような空間がイメージされやすく、立体感と画面に動きが出てきます。また近づいてみると、光が通る箇所は細かい白い点々が打たれているのが見て取れました。実際に森の中に入って光を観察すれば、木漏れ日により塵や埃が輝いていることでしょう。色彩は緑系が主体となりますが、淡い色彩になっており、染みのある古ぼけた図鑑というイメージと符号しています。また、ピンク、黄色、青といった花の色と優しく混じり合う感覚がしました。「密やか森」の次はどのような場面が待っているのでしょうか。「映し鏡の森」の旅は続いていくことでしょう。(2021年11月23日)
■アオダイショウについて
・東京ズーネット https://www.tokyo-zoo.net/encyclopedia/species_detail?code=168
・目に見える生き物図鑑 https://orbis-pictus.jp/article/aodaishou.php
・マイナビ ニュース TECH+ https://news.mynavi.jp/article/20170427-green_light/
・au自分銀行 弁財天様ご利益を〜! https://www.jibunbank.co.jp/column/article/00042/
・怪異・妖怪伝承データベース https://sekiei.nichibun.ac.jp/YoukaiDB3/search.html
■蓮とスイレンについて
・みんなの趣味の園芸 https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-735
・HORTI(ホルティ) https://horti.jp/8735
・1から分かる親鸞聖人と浄土真宗 https://1kara.tulip-k.jp/buddhism/2017041868.html
■作品を彩る野草
・LOVE GREEN オオイヌノフグリ https://lovegreen.net/library/flower/p124418/
ホトケノザ https://lovegreen.net/library/flower/p127510/
カタバミ https://lovegreen.net/library/flower/p124413/
カラスノエンドウ https://lovegreen.net/library/flower/p204973/
・EVER GREEN ツボスミレ https://love-evergreen.com/zukan/plant/10293
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