タイトル:First Town
作家 :木原 幸志郎
ギャラリー:ARTDYNE(アートダイン)
展示会 :木原幸志郎個展 はじまりの寓話
購入日 :2025年5月24日
サイズ :24.2cm×66.6cm
技法画材:油絵
タイトル:First Town
作家 :木原 幸志郎
ギャラリー:ARTDYNE(アートダイン)
展示会 :木原幸志郎個展 はじまりの寓話
購入日 :2025年5月24日
サイズ :24.2cm×66.6cm
技法画材:油絵
■原初の風景の色
なぜ黄緑色を選んだのだろうか。一般的に色の代表として思い浮かぶのは赤、青、黄色であろう。この三色はスーパー戦隊シリーズで不動の地位にある。しかし、この作品では緑、しかも中間色である黄緑が主役になっている。科学的に色を捉えると、色の三原色はシアン(青緑)、マゼンタ(赤紫)、イエロー(黄色)であり、光の三原色は赤、青、緑となることから、必ずしも赤や青が特殊な色というわけでない。それでも《First Town》という原初の風景に黄緑を選んだのは意外に思えた。
木原幸志郎さんも赤、青、黄色の原色を用いた作品が印象に残っているが、作家のHPに掲載されている作品をあらためて見ると、主役となる色彩は多様であり、むしろ何色と表現するのが難しい微妙な色を積極的に用いていることに気づいた。作家は色を先入観なく、フラットに捉え、自由に色を組み合わせることで作品を作り上げていく。それがために鑑賞者は身の回りは色で溢れているにもかかわらず、作品の色彩によって感性が刺激される。
《First Town》の色彩をどのように感じるかは鑑賞者によって違う。太古の森や草原を連想する人もいるだろう。生物の細胞内に見える人もいるかもしれない。私は黄緑色は『可変的な風景』を象徴する色に思えた。個人的なイメージであるが、赤や青は永続性があるのに対し、緑は別の色へと移ろい行く感覚がある。もし赤や青、黄色であれば、その色の風景が永久に続いていくように感じただろう。しかし、緑、しかも黄色という明るさを持つことで、《First Town》の将来は未知のものとなる。Second、Third、Fourthとどのような世界が形成されるのかは鑑賞者の想像に委ねられる。すなわち《First Town》は鑑賞者の感性を引き出すための偉大な種である。私は粘土を与えられた子供のようにこの作品を前に思考的な造形を始めるのだ。
個展風景①
■細い横長のキャンバス
《First Town》は今回の個展「はじまりの寓話」のDMに掲載されていることから、大作と想像していたが、実際に作品を見ると思いのほか小さい作品であることに驚いた。大きさとは曖昧なものである。過去の作品、モチーフの数、キャンバスの形、そして作品から得られる情報と感覚から大きさを予想している。しかし、裏を返せばその予想は先入観でしかない。この作品には鑑賞者の経験を覆す清々しさがある。自由であることが「はじまり」であることを教えてくれる。
個展風景②③
もう一つ、この作品は24.2cm×66.6cmとかなり細長い特徴がある。細長いキャンバス自体は珍しいものではないが、モチーフの配置は興味深い。一般的に横長のキャンバスを用いる場合、鑑賞者の視線が右から左(又は左から右へ)と横に移動することを前提に描かれる。巻物はその典型である。ところが、この作品では鑑賞者の視線は下から上へ向かう。モチーフは全体的に「ハ」の形に配置されている。また、視線を誘引しやすい赤と青が上部に配色されていること。さらに画面下の黄緑色は均一に塗られているのに対し、画面上部は水面が揺らぐような筆致を残している。そのため鑑賞者の視線は上に向かっていく。しかし、下から上へと画面を構成するのであれば、むしろ縦長のキャンバスの方が適している。一つ間違えば窮屈な構図になってしまう。ならばこのキャンバスの形には作者の意図があるはず。私が思うのは《First Town》の先にどのような世界があるのか、鑑賞者の想像に委ねるためということである。先に続くものを描けば描くほど、鑑賞者はそのレールに従って世界を想像してしまう。《First Town》は小説の冒頭の一文のようなものである。その鮮やかな一文によって、鑑賞者は無限に広がる世界へと飛翔する。
■はじめに絵具ありき
個展のアーティスト・ステートメントには「モチーフになっているのは粘土や絵具そのものです」「いわば風景であり、そこには光や重力、空気が存在しています」と述べられている。つまり、この作品群は抽象画ではなく、具象画ということになるが、描きたいものは根源的な感覚であり、その観点からは抽象画を志向している。木原幸志郎さんの作品と言えばスライムのような物体が思う浮ぶ。膨らんだボディを針で刺せばどうなるのか、風船のように破裂するのか、ゼリーのように吸い込むのか鑑賞者は思考実験を繰り返す。個展「うごいて、つかめない」ではモチーフの形状や質感は多様化し、現実と虚構による感覚の揺らぎは増幅していった。一転して個展「Scene」ではセロハンをモチーフにすることで、質量を失い色彩のみが残ったもう一つの世界を描いてみせた。これはスライムやゼリー、絵具の塊といったこれまでのモチーフに対するアンチテーゼを自ら提示したとも考えられよう。本展「はじまりの寓話」は原点回帰に近い。むしろスライム状のモチーフが生まれる前の世界、すなわち「Episode.0」のように私は思えた。
アーティスト・ステートメントの最後は「名前がつく前の、色と形だったころの最初の風景を描きたい」と締めくくられている。これは事物の認識を反転させる思考であり、不意を突かれた。我々の日常生活は、感覚より先に事物を認識してしまう。金属の硬さ、絹の滑らかさ、氷の冷たさ、鳥の羽の軽やかさ。皮膚感覚だけではない。光の明暗、色調、音の高低、匂いなどの五感、さらには平衡感覚や加速度といった前庭感覚も事物が先んじてしまう。《First Town》は事物が進化する前の姿、感覚が全てであった時代の風景が描かれている。
過去の展覧会① 木原幸志郎・木原健志郎 二人展 〜Figure and Ground〜 2022年6月(Artglorieux)
■《First Town》を旅する
私は黄緑色の海に見えた。しかし、海といっても我々が見ている海ではなく、生命を育む原始の液体というイメージである。大きさの概念はまだない。濃い緑は島のようにも、誕生したばかりの小さな生物にも見えた。左の濃い緑の塊は水面から突き出ていると想像できる。水中に隠れている部分がうっすらと透けているからだ。ハイライトは「島」と「水面」の境界を強調している。すると一つの疑問が浮かぶ。黄緑色は液体の色なのか、それとも透明の液体の下に色があるのか。謎を深めるのは幾つかの白い面である。地面にも見えなくはない。つまり、プラスチックのような白い地面に粘性のある黄緑色の液体を流し込む。液体で覆われていない部分が白いという解釈である。しかし、左にある緑の塊からすると、黄緑色の海には深さがあるはずで矛盾してしまう。ならば白い面は黄緑色の海に浮かんでいる、又は照らされた光なのだろうか。身近に例えるとラーメンに浮かぶ香味油のようなものである。もっとも右上の赤い物体との関係が頭を悩ませる。赤い物体と白い面は同じような形をしているため、白い面は影のように見えてしまうのだ。白い影というのも不思議だが、そもそも光はどの方向から当たっているのかという問題が生じる。
「名前がつく前の、色と形だったころの最初の風景」なのだから、何が描かれているのかという思考そのものに限界があるのだが、その過程を楽しむのもこの作品の醍醐味であろう。赤と青の塊はピントがぼけたような感じになっている。蛍のようにぼんやりと光を発していると考えるのも面白い。ぼやけは遠近感や質感に影響を与える。硬いのか柔らかいのかも分からない。左の濃い緑の塊は眺めていると次第にクッションのような触覚をもたらす。この作品のモチーフに主役があるとすれば、中心にある緑の塊であろう。私にはゾウリムシのような生物が赤と青という色に反応し、前進していくように見えた。滑らかな質感は、適度な硬さと浸透性のある細胞壁をイメージさせる。他のモチーフは固定されているのに対し、このモチーフは動きを感じさせる。影も理由の一つかもしれない。より鮮やかな緑と灰色の液体がかけられ、細胞分裂や脱皮、進化を連想させる。
想像は尽きない。ハイライトに注目すると、光を強調するには随分と厚みがある。光と思っていたものは物質なのかもしれない。濃い緑や赤、青の塊が一つのモノなのではなく、海のように形のない黄緑色の方こそが主体的なモノなのかもしれない。すべては色と形に回帰し、まだ見ぬものに生まれ変わっていく。(2025年8月25日)
個展「うごいて、つかめない」2023年4月(ARTDYNE)
個展「うごいて、つかめない」2023年4月(ARTDYNE)
PRE EXHIBITION 木原幸志郎・木原健志郎 2024年4月(ARTDYNE)
PRE EXHIBITION 木原幸志郎・木原健志郎 2024年4月(ARTDYNE)
■木原兄弟の他の作品を見る
・木原健志郎 《Human Shadow》