エルの疑問符 ~「エルとバレンタインデー」編~

(関連作品)

1・エルの疑問符~「エルとカゾク」編~

2・エルの疑問符~「エルとバレンタインデー」編~


(登場人物)

・伊月(いつき):♂

バカと天才の紙一重の研究学者。

特に専門分野は無く、やりたい時にやりたい事をやっているだけ。

時々ネジが外れたような事を言うが、基本的には妹思いのいい兄。


・深月(みつき):♀

伊月の妹。苦労人。

毎度毎度の兄の謎かつ無駄かつ騒々しい研究に、よく睡眠妨害をされている。

気が強く、結構容赦ない言葉も多用する。低身長がコンプレックス。

なんだかんだで兄を慕っている。


・エル:♀

伊月に創られた女性型アンドロイド。命名は深月。

最低限の言語と一般常識しかプログラムされておらず、知らない単語がほとんど。

不気味なほど人間味溢れる見た目と、淡々とした口調が特徴。

深月よりも15cmほど背が高い。


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(役表)

伊月:

深月:

エル:

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エル:ただいま戻りました。


深月:あ、おかえりーエル。

   どうだった? 初めての商店街は。


エル:人がたくさんいて、危うく流されるところでした……

   それに、あちこちから声をかけられまして。

   あれ買ってくれ、これが安いよ、それなんかどうだいと。


伊月:あー、まぁあそこは、とにかく勢いで売りに来る店が多いからなあ。

   慣れてないと戸惑うよな。


深月:自分じゃ面倒臭がって行かないくせに。


伊月:ナンノコトカナー?


エル:それで、道端でこのような物を渡されまして。


深月:なにこれ。

   「もうすぐバレンタインデー!

    気になるあの人にチョコを渡して、恋のライバル達から一歩リードしよう!

    現在スーパーにて、チョコレート全品大幅値引きキャンペーン実施中!!」……


伊月:そういや、もうそんな時期だなあ。


深月:在庫処分したいだけのような気もするけど。


伊月:夢が無いな、お前はー。


エル:あの、「バレンタインデー」……とはなんですか?


深月:お菓子会社が、世間の色恋沙汰に付け込んで、露骨に売上を伸ばそうとしてくる時期のことよ。


エル:え?


伊月:女の子のお前が、そんな夢のない説明してどうすんだよ。

   まあバレンタインっていうのは、簡単に言えばそこに書いてある通り、

   女の子が男の子に、チョコレートを渡して、愛を告白するイベントだよ。

   もちろんそれは一例であって、単に「いつもありがとう」的な意味合いで、渡す場合もあるけど。


エル:愛の告白……ですか。

   それは、この間観賞した「レンアイドラマ」という物で使われていた、

   「プロポーズ」のようなもの、と考えて良いのですか?


伊月:うーん、そこまで進展を望めるイベントかどうかは分からんけどな。

   とにかく、甘酸っぱい浮かれたイベントってことだ。


エル:なるほど。


深月:でもさー、だからと言って、あんまり夢見られ過ぎても困るのよね。

   別にチョコ渡すのが義務なわけじゃないんだし、期待されてもね。


伊月:おーおー、世の男子諸君の夢をどんどん摘んでいくなお前は。

   そんなに期待されてるんなら、義理でもいいからあげればいいじゃねえの。


深月:嫌よ、めんどくさい。

   渡すところを誰かに見られて、変な噂立てられても嫌だし。


伊月:確かにそれは、なんとなくわかるけどな。

   俺も昔はいろんな子からチョコもらって、敵を多く作ったもんだ。


深月:お母さんにしかもらったことないじゃん。


伊月:そんなもんだよ現実なんてなあ!


深月:下手に見栄張らないの。

   ……ま、なんにせよ、私たちには縁の無い話ね。


エル:そうなのですか?


深月:なにが?


エル:いえ、つい最近深月様のお部屋を勝手ながら掃除していたら、

   「バレンタイン必勝! 簡単&おいしいチョコレートレシピ100選」なる本が……


深月:わー!!

   わぁー!!


エル:こうして、丁寧に付箋まで貼ってあるものですから、私はてっきり……


深月:わぁー!! なんで持ってきてんのよー!!

   だめ!! やめて!!


伊月:なに?

   なんのレシピ100選がなんだって?


深月:なんでもないわよバカ兄貴!!

   それよりほら、そろそろ晩ご飯の準備しなきゃいけないから!

   エル、手伝って!!


エル:え?

   でも深月様、まだ16時半……


深月:いーから!!


エル:え、あの、深月様?

   そんなに引っ張ると、シワが……


伊月:どうしたんだ、深月の奴?

   ま、いいか。

   じゃあ~俺はー、今のうちに研究進めなくっちゃなー。

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深月:はぁー……焦ったあ……


エル:あの、私何かまずいことを?


深月:あ、ううん、ごめんね。

   なんか、予想外のことにテンパっちゃって……


エル:深月様は、どなたかにチョコレートを差し上げるおつもりで?


深月:い、いや、その本はその、だいぶ前に買ったやつなのよ。

   無くしちゃったと思ってたんだけど、見つかってよかったなー、あーヨカッタナー。


エル:……深月様。


深月:……え、な、なに?


エル:深月様。


深月:は、ハイ? なによ?


エル:この本は、レシピということは、チョコレートの調理法が書いてあるのですか?


深月:え? う、うん。

   レシピって、そういうものだし……


エル:では、ここに書かれている行程に従って調理すれば、

   私でも、この表紙に描かれているような物が作ることが出来る、と判断して良いのでしょうか。


深月:まあ、よっぽどひどいミスでもしなければ、出来ると思うよ。


エル:理解しました。

   最大限の努力をします。


深月:……え?

   エル、作るの?


エル:はい。


深月:誰に……って、あ。


エル:女性が男性に渡すというしきたりがあるのならば、私も当然、それに従わねばなりません。

   それに、伊月様は私を作ってくださった方。

   ならば、渡さない道理は無いと判断します。


深月:あー……それもそうよね。

   でもエル、ホイッパーとか包丁とか、そういうのって使えるの?


エル:努力します。


深月:電子レンジとか、オーブンは?


エル:努力します。


深月:………………


エル:努力します。


深月:……分かったわよ。


エル:はい?


深月:手伝ってあげる。

   正直、材料買いすぎてどうしようかと思ってたから。


エル:あ、やはり深月様も伊月様に渡すご予定で……


深月:た、たまたまよ、たまたま!


エル:しかし、その袋は、件のスーパーの物……


深月:い、いいからいいから!

   こういうのは手際が大事なんだから、チャキチャキやるわよ!!


エル:了解しました。

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伊月:ごちそーさーん。


深月:ごちそうさま。


エル:お粗末さまでした。


伊月:いやー、エルも随分、料理の腕上がったなあ。

   今日のこれ、ほとんどエルが作ったんだろ?


深月:うん。

   私も多少、下ごしらえとかは手伝ったけど、ほとんどはエル。


エル:深月様のご鞭撻の賜物です。


伊月:うんうん、いいことだ。

   エルが料理が上手くなることによって、俺の手間も減って、どんどん楽になる。


深月:手伝いなさいよ。


伊月:俺は研究が忙しいもーん。


深月:ああそう……

   じゃあその研究とやらが、また役に立たないものだったら、

   しばらく兄貴は晩ご飯抜きにするから。


伊月:なっ……なん……だと……


深月:それが嫌なら、普段から家事の手伝いもすることね。


伊月:くそう……これが専業主婦の強さというやつか……


深月:誰が専業主婦よ。


エル:あの、伊月様。


伊月:ん?


エル:これを。


伊月:なんだ、これ?


エル:チョコレートです。


伊月:へ?


エル:今日は、バレンタインデーであると記憶していますが。


伊月:……ぁあー、そうだったな!


   完全に忘れてた!


   え、これエルが作ったのか?


エル:はい。試行錯誤、七転八倒を重ね、僭越ながら作らせていただきました。


伊月:へぇー。凄いな。


深月:……ん。


伊月:ん?


深月:……ん!


伊月:んってなんだよ深月。


深月:(小声)私からもあげるわよ……チョコ……


伊月:なぁーにぃー? 聞こえなーい!


深月:ふんッ!!


伊月:いってえ!!


   え!? チョコで殴ったか今!? 本当にチョコか中身!?


深月:このバカ兄貴!!


   言われなくても察して受け取るくらいの優しさ見せなさいよ!


   それだからいつになっても彼女の一人もできないのよ!!


伊月:俺は女体には興味が無いと言っているだろうが!!


深月:意味わかんないわよ!!


伊月:はぁ……冗談だよ、冗談。


   (渾身のイケボ)ありがとうな、深月。すごく嬉しいよ。


深月:~~~っ! 気色悪い!!


伊月:ごふぉ!!


   な、なんて理不尽な!!


深月:兄貴らしからぬ妙な声出すからでしょ!!


伊月:ちぃ……俺の本気のセクシーボイスも捨てたもんじゃないと思ってたが逆効果だったか……


深月:何考えてんのよ……


   とにかく、チョコあげたんだから来月のお返し期待させてもらうからね。


伊月:お前それが目当てだろ。


深月:当然でしょ? 見返りなしで物貰おうなんてねえ……


エル:あの、お取り込み中申し訳ないんですが……深月様。


深月:なに?


エル:貴女にも、これを。


深月:へ?


エル:ご迷惑でなければ、受け取ってはいただけませんか。


深月:め、迷惑だなんてそんな!


   え? い、いつの間に作ってたの……?


エル:伊月様に渡す分を作った日の深夜です。


   私なりに、「サプライズ」というものを目指してみたのですが……間違っていたでしょうか。


伊月:いや、大正解なんじゃないか?


深月:うん……


   あ、ありが……とう。


エル:よかった。


伊月:いやー、兄妹揃って一本取られたなあ。


   バレンタインデーも捨てたもんじゃないな。


深月:……そうだね。


エル:あ、ただ……


伊月:ただ?


エル:保管方法までは記載されていなかったので、作ってからずっと常温で置いておいたのですが……


深月:……作ったのっていつだっけ。


エル:先週です。


深月:………………


伊月:おお……すごくぐにぐにしている……


エル:……すみません。


深月:……今度作るときは、ちゃんと冷蔵庫に入れとこうね。


   私が確認しなかったのも悪かったけど……


エル:はい。


伊月:ま、このまま冷凍庫に入れてもう一回固め直せばいいだろ。


   ドンマイドンマーイ。


深月:お気楽なもんね。


伊月:……あれ?


エル:どうされました?


伊月:いや、冷蔵庫の中になんかファンシーな紙が……


エル:あ、それは確か深月様がお作りになっていたメッセージカード……


深月:うわぁー!! それは見ちゃダメー!!


伊月:ギャァーッ!!


エル:……飛び膝蹴り、決まりました。


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