KURASHI NOTE | “私の町をさがして” Illustration&text
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UNITED ARROWS “THINK LOCAL” 柏編 text
UNITED ARROWS “THINK LOCAL” 柏編 text
郵便物の束をより分けていると、水道料金票やチラシの間からすべり落ちる葉書がある。美術展のお知らせだ。ふらりと立ち寄ったギャラリーで、まれに鐘が鳴るような作品との出会いがあり、そうした場合、住所を書き残しおく。すると忘れた頃に新作展の知らせが届く寸法だ。私は「作家在廊日」を確認し、期待する展覧会ほど作家のいない日を選んで出かける。リスペクトする作家には会わずにおきたい、アンビバレントな気持ちが働いてしまうからだ。
カフェにおいても似た気持ちが生じることがある。ひとつが〈月光茶房〉だ。サイトから一文を引用させていただく。
ージャズ喫茶ではありません。ドイツのレーベル ECMの音源を全て有していますが、ECMの音楽をいつもかけているわけではありません。面白い、あるいは良い響きの音楽を店内に鳴らすことを心がけている喫茶店です。
私の聴き慣れた楽曲がここで流れることなどまず無い。ただ、流れる音によって壁の色が塗り替えられるように店の雰囲気が一変するのが面白くて、それがいつ訪れても新しいドアを押す気持ちになる理由だろう。実のところ、内装や店名すら店主の気分で変化する店なのだ。現在は、カフェばなれした無機質な構えで、かなり入りにくいのだが、ひとたび腰を落ち着けるや自宅の居間でくつろぐが如しだ。それにしても、自分の考える快適のセオリーがここにはぴったり当てはまらないのに、快適と感じるのが長らく謎であった。
ある時、プチ・グラッセを飲んでいると「コレクションを見せてください」と、青年が飛び込んできた。四国から直行してきたという彼は座っているのも惜しい様子で、レコードが詰まったライブラリーと店主の元とを行き来して、何やら興奮をしきりに訴えている。この光景をにんまり眺めていると、やにわに青年が天井を指差し、鋭い指摘をした。「なぜスピーカーをこの向きに?お客さんへ向いてない」。
「最良の音が、ドリップする僕の耳へ入るようにしているのです。店主にとっての快適な職場環境が、心地よいカフェ作りの秘訣」。目を丸くした青年はついに腰を降ろし、冷め切る前の珈琲カップに口をつけたのだった。
考えてみると、自分が「カフェ」と口にする時、アロマの深いコクとじっくり向き合う専門店や、マダムの人生談義が楽しい喫茶室とは区別している。店と客との涼やかな関係を指している。豆や茶葉にポリシーがあったとしても短く謳うに留まり、美味しい一杯はゲストの語らいの名脇役に収まる。それでいて、店主のイデアや旅の軌跡が、壁のポスター、書棚の背表紙、床のタイルの配色から、嬉しい時の口笛のようにこぼれてしまうところ。
長く通う〈月光茶房〉にして、いらっしゃい/ご馳走様 以上の会話を持たないでいるが、それでも、店内の音楽や静物、何より味を通して、雄弁に語らっているのと変わらないと感じている。抽象的な会話は秘密の暗号ゲームであり、季語に心を忍ばす文通。リスペクトする作家に会ってみたい気持ちを先延ばしにするのも、作品の謎を謎のまま、長く楽しみたいという訳なのだ。