朝、到着して着物の上に割烹着を着ると、まず先生から名残の茶事についてのお話がありました。
神無月(10月)に行う名残(なごり)の茶事は、口切の頃から使ってきた茶壺の茶が少なくなり、底をはたいて使う時期の茶事です。
多くの客を招くことはせず、内輪、あるいはごく親しい人を迎えて行われるものだそうです。
ですので、10月は「詫びの極致」ともいわれ、茶人好みの月なのだそうです。
懐石料理の説明があった後、いくつかのグループに分かれて調理に取りかかりました。
この日は、秋刀魚や栗など、名残の季節を感じる献立でした。
私は煮物椀を担当し、同じグループの方に教えていただきながら、大和芋をすりおろし、生地を整える作業をしました。
主菓子の栗の渋皮煮もお手伝いさせていただきました。
不器用ながらも、どの作業も楽しく、貴重な体験でした。
主菓子:栗の渋川煮
午後になり準備が整うと、客と半東、調理の裏方に分かれて席入りが始まります。
私はありがたいことに、客として席入りさせていただきました。
茶室の中は薄暗く、土壁の落ち着いた色合いと、障子越しに伝わるほのかな光に包まれていました。
席入りが済むと、亭主が静かに挨拶に来られます。
先生がおっしゃっていた「お茶事は移ろいと気配」という言葉を思い出しました。
挨拶がひと通り終わると懐石料理が運ばれ、和やかな茶事の時間が始まります。
懐石の作法には流派ごとの違いもありますが、どれも皆が心地よく過ごせるよう考えられたものだと感じました。
要所ごとに先生がさりげなくご指導くださり、亭主のおもてなしを心から味わうことができました。
懐石の最後に主菓子をいただき、中立ちとなります。
後座の準備が整うと、亭主が銅鑼を鳴らして知らせます。
微かに響く銅鑼の音を、しゃがんで静かに聴いている時間が、私はとても好きです。
再び茶室に入ると、床のお軸は外され、花が飾られていました。
茶事のクライマックスである濃茶をいただきます。
先生が「お茶は、火相(ひあい)と湯相(ゆあい)」とおっしゃっていた通り、心に残る一服でした。
主茶碗は、素朴な趣のある茶碗でした。
茶人たちが、枯れや寒々しさの中に美を見出してきた感性を、少し感じられた気がしました。
このあと薄茶をいただき、長い一日の茶事は静かに終わりました。
「ここで最高のものを学んで、あとは自分の身の丈に合った自分の茶事をすればいいんです。」
先生のこの言葉が、私の励みとなり、目標になりました。
形式にとらわれすぎず、自分らしく楽しめる茶事とは、どんなものだろうと、思いを巡らせました。
親切で丁寧で寛大な先生、そしてご一緒した皆さんに、心から感謝します。