沖縄市の南端部に位置する南桃原は、2,150世帯、人口4,931人(2024年4月1日現在)を有する行政区で、南北に細長い集落形態をなし東は山里、山内、西は北谷町に隣接している。桃原という地名は、平坦な地勢に付されると一般的に解される。本部落もそうした特徴をもつ石灰岩台地に形成され、緑豊かな環境がのこる地域である。また、沖縄最古の遺跡といわれる桃原洞穴遺跡も同区内に位置する。 当部落の発祥は約150年前(尚育王時代)に首里から移住して屋取集落を形成したといわれ、北谷村の一部と越来桃原(字山内)の原野を開墾し住みついたのが始めとされる。いわゆる屋取に由来する集落で、当時は山内部落のムム山を背に、緑豊かな地域でガジュマル囲いの旧屋敷もみられ、閑静なたたずまいの集落であった。 第二次大戦時中に中北部に避難していた人々が戦後移住してきて徐々に現在の景観を呈するようになる。その間、軍用地モータープールの解放(1956年)と共に中央高校、国際大学の創立と文教地域として発展していった。(後に中央高校は廃校、国際大学は沖縄国際大学となり宜野湾市に移転)、1956年7月1日コザ村の市昇格と共に行政区「桃原」としてのスタートとなるが、これは旧北谷村の桃原二区が地籍上はコザ市に属していたため、同区をコザ市に移しコザ村桃原(字山内)と併せて「桃原」としたものである。 1974年4月の沖縄市誕生に際し、旧美里の桃原(現、東桃原)との兼ね合いのため1982年4月1日には「南桃原」に名称が改められる。南桃原公民館落成記念誌より