写真館
明治末期から大正にかけて隆盛をきわめた頃の面影が見られる昭和初期~30年代の写真です。
(1)本町交差点から水戸街道南方向(1935年頃)
明治末期から大正にかけて隆盛をきわめた頃の面影が見られる昭和初期~30年代の写真です。
(1)本町交差点から水戸街道南方向(1935年頃)
古くから人馬の通行が盛んだった水戸街道の松戸宿付近では、増加するバスやトラックの往来を迎えて昭和10年(1935)頃には大規模な拡幅工事が行われました。
この頃は、右端に見える旧川崎銀行(現:松戸公産本社)の他にも当時独特のデザインの建築物が古い商家建築と混在し、名実ともに松戸の目抜き通りを成していました。
(2)本町交差点から水戸街道南方向(1955年頃) <上記写真と同じ位置で2階から>
上の写真から20年後、高度経済成長を迎え街道の交通量も飛躍的に増加します。その後、昭和40年代(1965~)には現在の国道6号バイパスが建設され、幹線道路としての機能はそちらに移ります。ほぼ同じ頃に松戸駅前の区画整理も着手され、宿場町の家並は姿を消しました。
(3)春雨橋南側から水戸街道北方向(1935年頃)
松戸宿二丁目と三丁目の境にある春雨橋は江戸後期の坂川開削までは「水戸石橋」と呼ばれる細い水路にかかる石橋でした。
時代を経て昭和4年(1929)コンクリート造に改修され、その後の改修工事を経て現在に至ります。
松戸宿の北側地区は街道と河岸の中継地でもあり、問屋や商店が数多く並んでいました。橋の下を流れる坂川も上流の各村から松戸の河岸までの重要な水路でした。
写真当時(1935頃)まではこの街道で、毎月4と9の日には市(六斎市)が立ちました。
写真手前右側の歩道付近には「市の神」の祠が祀られていましたが、現在は松戸神社境内に移されています。
(4)角町三叉路から水戸街道北側方向(1935年頃)
この付近から春雨橋付近までが宿場町の中心で、明治以降も役場や公的機関の集まる中心市街地でした。
写真当時(1935頃)には明村との合併(1933)や水戸街道の拡張工事も進みます。常磐線も電化され、町の中心は役場庁舎の竣工(1931:現伊勢丹付近へ)や郵便局の移転(1933:善照寺付近へ)とともにも松戸駅周辺に移っていきます。
(5)一平橋から北方向 (大正時代末頃)
遊郭のあった平潟は周囲が広い水田で囲まれ、新たに開けた駅前に出るには少々遠回りでした。そのため、大正時代に一丁目と平潟をつなぐ「一平橋」が架けられます。当時は歩行者用の簡単な橋が現在の北側にありました。
現在の橋は、駅前通りの延伸工事に伴い昭和32年(1957)に完成し、その後は付近の宅地化が急速に進みました。
この橋を経由して駅前通りを対岸の三郷側まで橋で結ぶ構想が度々ありましたが結局実現しませんでした。
(6)本町(旧一丁目)中通り(1965年頃)
江戸時代、水戸街道の周縁には広大な田畑が広がり、現在の松戸駅前もその一部でした。明治29年の鉄道開通に向け、駅予定地周辺は整備され、街道から松戸駅に至る「駅前通り」が出来ました。田畑には住宅や商店が建ち、大通り裏の畦道は中通りに姿を変えました。昭和30年代までは人通りの賑わいとともに、映画館を中心に飲食店などが集まる横丁でした。