令和8年10月18日(日)に斎行いたします。
皆様にはご協力よろしくお願い申し上げます。
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<松戸の大祭り>
かつて松戸宿の祭礼行事は「松戸の大まつり」と呼ばれ、近郷近在四里四方の人々を集めるほど盛大だったと伝えられています。街はどこも満員の大賑わいで、もちろん、もとより世話好きの松戸宿の人々が見物客を手厚くもてなしたのは言うまでもなかったそうです。
この大祭りのハイライトは何といっても神幸祭の大行列でした。
「大榊」「四神」「獅子屋台」「宮御輿」を中心に数々の幟旗や威儀物を連ね、後方には氏子八か町から繰り出した山車や町内神輿を従えたさまは実に壮大で、近郷の客人を驚かせるには十分であったと伝えられています。
<四神の伝承>
松戸宿は江戸時代には「天領」でした。城下町のように大名や武家による直接統治を受けることが無く、水戸街道や江戸川水運など交通の要衝としての繁栄を背景とした町民の力が非常に強い宿場町でした。
松戸宿の鎮守も明治維新までは「御嶽大権現」と称された郷社でしたが、祭礼行事だけは水運を通じて極めて交流が深かった江戸日本橋から盛大な様式がまさに「直伝」として伝承されたものと考えられます。(東京日本橋小舟町の八雲神社でも現存する四神剣が大祭のつど飾られています。)
ところが、戦時に至る昭和初期の大祭を最後に松戸神社の祭礼に宮御輿と四神像が登場する事は世相とともに途絶えてしまいました。その後、松戸の町は幸運にも戦火を免れ、かつての宮御輿渡御も昭和50年代に再興を遂げましたが、町の人々の伝説となっていた四神像は行方が知れないままになっていました。
<平成の復活>
奇しくも平成最初の年、御輿庫から古びた四神が発見されのは全く偶然のことでした。
氏子各町会の尽力により、平成2年10月の例大祭にあたり総勢約400名*の大行列として「松戸の大まつり」が再現されることとなりました。以後、平成7年、平成10年、平成21年、平成27年の大祭の折に神幸祭として大行列が氏子各町会を巡行しました。
かくして、四神のおかげで50年ぶりに再び近郷近在の人々の目を楽しませるお祭りが復興したのでした。
各地の祭礼では神幸祭行列に連なる威儀物として、四神はおもに錦旗に刺繍された姿として用いられます。木像が現存する場合も多くが神社境内や経由地の「御旅所」に飾られ祭礼行列を迎えます。
首都圏各地の神社が保有する四神像は江戸時代後期から明治時代の作品が多く、松戸神社の四神も同年代のものです。各地の四神像は、いずれも戦時中を経て永らく使う機会を逸したまま保管され、近年に文化財となったり、祭礼のつど陳列されるだけのものが多く見受けられます。松戸神社の神幸祭では四神像そのものが祭具の一つとして祭礼行列に繰り出す全国的にも希少な例となりました。
注)*行列の人数は先導の稚児や後続の町会神輿の人数で毎回異なります。行列本体に約400名、町会神輿を従えて約600名と称しています。
<参考:松戸神社保有の祭具の製作年代>
宮神輿 明治21年(1888)製作、昭和50年(1975)大修理、令和2年(2020)大修理 [行徳・中台製作所]
獅子屋台 「屋根新調昭和三年七月」の記載あり
獅子頭 明治40年(1907)10月奉納
祭具箱 明治43年(1910)製作
四神 明治26年(1893)頃と推定
獅子頭
四神に付属の旗
祭具箱の箱書き
獅子屋台の梁書き