講師紹介

磯村拓哉先生(理化学研究所 脳神経科学研究センター)

演題「自由エネルギー原理は普遍的な脳理論なのか?」

要旨

自由エネルギー原理によると、生物は、変分自由エネルギーを最小化することで変分ベイズ推論を行い、知覚や学習、行動を最適化している。一方で、古典的な神経活動やシナプス可塑性のダイナミクスは、何らかの潜在的なコスト関数の勾配に従っていると考えられる。このコスト関数は、ある生成モデルと事前分布の下での変分自由エネルギーと等価であるため、標準的な神経回路のダイナミクスは潜在的に変分ベイズ推論を実行している。この観点に基づき、標準的な神経回路が、適応的行動を変分ベイズ推論として最適な方法で実行できることを紹介する。また、自由エネルギー原理を用いて神経回路の自己組織化を予測できることについても紹介したい。

上田昌宏先生(大阪大学 生命機能研究科)

演題「生物におけるゆらぎの階層性とダイナミクス」

要旨

細胞を構成する生体分子は熱ゆらぎによる無秩序な撹乱の中で動作するため,個々の分子の運動や反応,構造変化は確率的な性質を持つ.こうした生体分子を要素として情報処理機能や運動機能などを有するシステムが自律的に組織化される.ここには,分子レベルのミクロなゆらぎから細胞レベルのマクロなゆらぎを生成するゆらぎの階層性の問題がある.本発表では,真核細胞の走性行動を担うシグナル伝達系を対象とした1分子レベルからの多階層時空間ダイナミクス解析と理論・シミュレーション解析を紹介し,シグナル分子の分子数ゆらぎが利用されて細胞の柔軟な情報処理・運動機能が実現される,ゆらぎの階層性と情報統合の仕組みについて議論する.

大槻久先生(総合研究大学院大学 総合進化科学研究センター)

演題「生命現象をゲーム理論で理解する」

要旨

ゲーム理論は元々経済学で誕生し、利益の最大化を試みるエージェント間の対立構造を分析する手法を提供する。利益を子の数に置き換えればこの構図は進化現象にも当てはまることから、ゲーム理論は生物学にも幅広く応用されてきた。

本講演ではゲーム理論に初めて触れる聴衆を念頭に置き、まずゲーム理論の基本概念を解説する。次にできるだけ多くの生物学的例を紹介し、ゲーム理論が生命現象の理解にどのように役立つかを解説したい。具体的には、タカ・ハトゲーム、囚人のジレンマゲーム、性比ゲーム、配偶子サイズゲームの4つのトピックについて解説する。これらの例を通してゲーム理論的思考法に慣れてもらうことを目標とする。

中岡慎治先生(北海道大学 数理生物学研究室)

演題「擬似時間再構成法のマイクロビオームデータへの適用」

要旨

腸内細菌叢は疾患発症進行を追跡するマーカーとなり得るが、疾患発症過程の時系列データの解析は限定的であるという課題がある。発症過程のようなダイナミクスを解析するためには、原理的にデータが取得できないことも多い。そこで本発表では、一細胞トランスクリプトームの分野で用いられている擬似時間再構成法を腸内細菌叢データに適用することで、疾患の発症・進行に伴って変化し得る最近分類群を特定する手法を紹介する。開発手法の有効性を検討するため、大腸がんに関わるマイクロビオームデータセに適用するところ、いくつかの先行研究で報告のあった細菌2属が大腸がん進行に伴って変化する可能性を見出した。

国里愛彦先生(専修大学 人間科学部心理学科)

演題「計算論的精神医学:精神障害への計算論的アプローチ」

要旨

計算論的精神医学(Computational Psychiatry)は,精神障害の理解において数理モデルを用いる研究領域である。本発表では,計算論的精神医学が研究領域として成立した背景について解説するとともに,代表的な生成モデル(生物物理学的モデル,ニューラルネットワークモデル,強化学習モデル,ベイズ推論モデル)とその精神障害研究を紹介する。過去10年ほどで徐々に計算論的精神医学という研究分野の輪郭が定まってきた。その一方で,時間的変化の扱いなど足りてない点も多くある。数理生物学から計算論的精神医学へ導入できる観点・ツールについても議論したい。

小林鉄郎先生(京都大学 医学研究科 社会健康医学系専攻)

演題「感染症数理モデル入門 〜新型コロナウイルス(COVID-19)を例に〜」

要旨

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行により、数理モデルを用いた未来予測(シミュレーション)がマスコミ各社により頻回に報じられ、例えば「基本再生産数」という用語は、もはや一般人口にも広く知られるようになった。だが、実際に数理モデル研究でどのようなことをしているのかについて具体的に知る機会が少ないのも事実である。これまでのCOVID-19の研究の内容を交えながら、その基本的な考え方をお届けできたらと思う。そして、感染症数理モデルの敷居が低くなり、この世界に足を踏み入れてくれる人が1人でも増えてくだされば幸いである。