「欧州を陸路で繋ぐ旅」。今回はドイツの北の街ハンブルグから、イタリアのローマまでひたすら南に向かう。これまでの旅でおそらく最も長い距離を進む旅である。
まず、木曜日の夜ストックホルム発ハンブルグ行きの飛行機に乗る。そこから夜中4時発の電車で大聖堂があるケルンに行く。本当はもうちょっと早く出発できる電車があったのだが、飛行機の遅延した場合、その電車に乗れないので安全策として遅めに出発する電車を予約した。
その代償として、それまでハンブルグの何処かでまた無くてはならない。春になってきたものの、今年のヨーロッパはいつまでたっても暖かくならずに夜には氷点下になるほどである。特にハンブルグの駅は開放的な作りになっていて、ほぼ外と同じ気温である。ここでひたすら待つのは厳しいので、24時間営業のマクドナルドでコーヒーをオーダーして待つことにする。ドイツも金曜日から三連休なため、休日前の深夜のマクドナルドは混んでいる。僕と同じように、ホテル代を節約するために滞在している人も多く、居眠りしている人も多々いるがその度に店員が起こしに来る。深夜のマクドナルドで働くのは大変だ。
深夜になっても客足がとどまることはなく、そのおかげで眠くはならなかった。ただ深夜のマクドナルドで一晩過ごすのはできればやめたほうがいいと忠告しておきます。電車が出発時間に近くなり、店を出てホームに向かう。
ほぼ定刻に、南に行く電車が到着した。ここから僕はケルンに向かう。電車の席につくと安心して、すぐ寝てしまった。安心して眠れるというのはとてもいいことだ。柔らかいベッドの上で横になって寝れるのはもっといいことだと思うけど、それは我慢しなくては。
ということで次回はケルンで。
電車の中の記憶はほとんどない。ハンブルグからケルンの電車の中ではほとんど寝ていた。起きたら外は明るくなっていて、程なくしてケルンに到着した。
ケルンに来た目的はただ一つ、大聖堂を見ることである。ケルンにはゴシック建築としては世界最大となるケルン大聖堂がある。完成までにかかった期間はなんと632年。あなたは、もし上司に「これから632年後に出来る教会の建築、してんない?」と言われたら本気でやるだろうか。僕は絶対にやらない。そもそも600年後に、今いる場所が本当に同じ国なのか、はたまた人間は未だいるのかどうかもわからないのに、本気になれるわけがない。ただ、世の中にはまじめな人もいて、600年以上かかるものを本気で作ってくれる人がいるらしい。その御蔭で僕たちはこの素晴らしい建築を見ることが出来るのだ。
ケルン大聖堂は、駅のすぐ隣りにある。駅の中からすぐにすでに大聖堂が見える。
こちらが全景。
有名な観光地の1つであるが、ひとがほとんどいない。朝7時から中に入れるらしいが、本当に入れるのかよくわからない。少し待って、中から出てくる人がいたので聞いてみたらもう中には入れるらしい。
中にはほぼ人がいない。この巨大な建築物にほぼ貸切状態で、しかも無料で入れるのはなんとも贅沢な時間である。
こちらは世界で最も有名な現代アーティストの一人、ゲルタルトリヒターのステンドグラス。
ケルン大聖堂の他にはケルンでやることがないので、中にしばらく座っていた。僕が入ったあとから徐々に人が増えてくる。早めに入っといてよかった。
ケルンのあとはミュンヘンにバスで向かう。バスの出発がケルン空港なので、空港まで行くのだが、どの電車に乗ればいいのかわからない。駅員に聞くと、無骨な表情で「11:11」と時刻だけ教えてくれた。ドイツ人は実直で真面目というイメージが合ったのだが、そのイメージにぴったりな人であった。
ケルン空港には10分ほどで着き、そこからバスに乗る。このバスは今までで一番疲れたバスだった。まず乗車時間が10時間もある。さらにほぼ満員で、後ろのグループがうるさくてほぼ眠れない。もしかしたらバスは前のほうが静かな人が多く、後ろに行くほどうるさい人が多くなるのかもしれない。大学の講義の時と同じ原理ですかね。
足が腐るのではないかとおもいながら、座り続けついに夜10時にミュンヘンに到着した。
続く・・・
ケルンから10時間のバスに乗り、ドイツの南の街ミュンヘンに到着した。今回のバスが一番きつかった。しかし、バスはまだ終点ではないらしく、まだ乗る乗客も多くいた。彼らは何も文句を言わずにどこに行くのだろう。
ミュンヘンの滞在はわずか2時間。本当はここで泊まろうと思ったが貧乏旅行の名目でやっているのでなるべくお金を使わないよう、ここでも泊まらない。
夜10時に到着し、夜12時にはでてしまうので、博物館等は閉まっている。オクトーバフェストで有名なミュンヘンだが、当然この時期は開催されていない。そもそも僕は酒全般が飲めないので、ビールを注文できない。それでもどこかレストランに入ろうと思ったが、あまりに疲れたため食事もする気がない。
とりあえずミュンヘンには降りたので、駅から市庁舎まで向かった。
土曜の夜なのだが、人の姿は少ない。僕の勝手な印象だが、ドイツは北欧以上に陰鬱な雰囲気がする。建物の色が暗く、人が少ない。
駅から市庁舎まで少し距離があったので、往復でほとんどミュンヘン滞在時間を使ってしまった。ここからスイスに向かう。
続く・・・
ミュンヘンを出発し、スイスに向かう。今回の旅の一番のメインはスイスのユングフラウヨッホである。世界で最も標高の高いところにある駅で、テレビで見た時に是非一度行きたいと思っていた。
ミュンヘンの駅員は赤い帽子をかぶっている。
電車は新幹線のように快適ではあったが、ミュンヘンからユングフラウヨッホの麓にあるインターラーケンという駅に行くまでは三回乗り継ぎしないといけない。深夜で眠いのに中々眠れない。スイスはEUではないので、パスポートにスタンプを押さないといけないのではと思ったが、そんなことはなかった。
インターラーケンに到着し、そこから登山電車を乗り継いでユングフラウヨッホに向かう。景色がいきなり雪で白くなる。
標高が高くなるにしたがって雪の量は多くなり、ついにはその先は除雪中で電車が動かないというアナウンスがでた。運転手は「あと1時間ほどで除雪が終わるよ」と言っていたが、そんなの信じられない。せっかくここまで来て、高いチケット(約2万円)も買ったのに行けないのは残念で仕方がない。
上を行く人でごった返している待合室で、電車のキャンセルがいつ解除するのかをじっとみている。2日間横になって寝ていない体にはきつい。
1時間ほどして急に電車の運休がキャンセルになった。つまり、電車が動くようになった。しかし、電車の席の殆どはツアー客用のもので、僕のようにチケットだけ買った者の席はほとんどない。わずか10席空いたらしいが、待っている人はみんな乗りたいと思っているのは当然である。インドの電車のように、扉が空いた途端、みんなが乗ろうとする。駅員が制止する中、駅員をすり抜けてなんとか電車にのることが出来た。10人の制限の中、おそらく数人オーバーしてしまったらしく、何人か立っていた。
ここまで来ると、なぜかアジア人が多い。中国人韓国人、そして日本人。僕も日本人だけど。日本人の団体客と一緒に、最終目的地であるユングフラウヨッホに到着した。
駅を降りると、突然眠くなった。さらに、鉛の服を着ているかのように体が重い。富士山の頂上より若干低い駅まで一気に来たせいで高山病になってしまったのだろう。ただ、幸いにも頭痛や吐き気はなかったので、なんとか慣れようと歩いて行く。
まずは氷でできた通路。ここは通年ひんやりとしているらしく、夏でも氷の通路を通ることが出来るらしい。
そして肝心の展望台に向かう。ユングフラウヨッホの駅自体は山の中に作られていて外の景色は、展望台まで行かないと見れない。
わかってはいたが、このときは大雪のため、外の景色は全く見れなかった。残念ではあるが、ここに来たという満足感のほうが大きい。
1時間ほど滞在して、体も重いので急いで下に降りる。インターラーケンに戻り、スーパーに行ったら、おにぎりが売ってあった。半額になっていたので思わず買ってしまった。
続く・・・
インターラーケンに降りたあとは、ゲストハウスを予約したチューリッヒへ向かう。途中、ベルンを経由するので途中下車した。
ベルンはあまり知名度はないがスイスの首都で、旧市街が世界遺産になっている。
ここは時計台が有名だが、あいにくこの時は工事中だった。
日が暮れる前にゲストハウスに到着するために、急いでベルンをあとにし、チューリッヒへ向かう。チューリッヒへ到着し、予約した「チューリッヒゲストハウス」に向かおうとするが、どうやって行けばいいかわからない。ここからゲストハウスまでは1駅分の距離らしいが、色んな乗り物があり混乱し、1時間ほどさまよった。ゲストハウスやホテルを予約するときは値段の他に、場所、特に中央からどのくらい離れているかをよく見ておいたほうが良い。
チューリッヒゲストハウスは、中央駅から離れている他は、申し分ないところであった。
部屋へ向かうと、1人の若い男性が座っており、挨拶をしてくれた。彼はペルー人で、バルセロナで学生をしているらしい。ペルーもスペイン語(初めて知った)らしく、こうやって言語が同じところは留学も簡単にできるのだろうか。うらやましい。だが、彼は英語がほぼできなかった。WhenとWhereの区別や、数字すらもまともに喋ることができなかった。スペイン内であれば問題ないだろうが、スイスを旅するのには、英語をしゃべれないと不便に違いない。
街からすぐにゲストハウスに到着したので、レストランに因ることも出来ずに、ゲストハウスでカップラーメンを買った。700円とさすがに世界最高レベルの物価の高さを誇る国である。
ゲストハウスではあるが、これで3日ぶりの風呂、そして3日ぶりに横になって寝られる。しかし、次の日は朝三時にゲストハウスを出発しないといけない。風呂に入り、もう9時には眠った。
つづく・・・・
チューリッヒに一泊し、次の日はイタリアのミラノに向かう。ミラノ行きのバスは朝の五時出発だが、その時間はまだ公共の交通機関が動かないらしく、ゲストハウスから中央駅まで一時間歩かなくてはならない。
少々迷ってもいいように、朝3時半にゲストハウスを出発した。もともと朝食付きのゲストハウスだったが、もちろんこの時間から朝食はやっていない。そのかわり、サンドイッチとリンゴとバナナを持たせてくれた。暗く肌寒い外を一時間歩き、朝4時半にバスターミナルに到着した。
すると、すぐにミラノ行きのバスが来た。しかし、近づいてみるとこのバスはもともと3時半に出発するバスだった。つまり1時間の遅れである。もしかすると僕が乗るバスも遅れるかもしれないと不安がよぎった。
その不安が的中した。結果的に、バスは2時間遅れて7時半に出発した。一体なんのために朝3時半にゲストハウスをでたのかわからない。この膨大な待ち時間の間に、イケメンのイタリア人が1人の女性をナンパして、途中に二人で茂みの方へ向かっていった。
バスに乗り、イタリアへ向けて出発する。スイスは終始天気が悪かったが、イタリアに行くに連れて、晴天になってきた。途中、薄っすらとではあるが雪山を見ることが出来た。
約2時間ほどして、ミラノに到着。中央駅ではなくハズレの駅に到着したのでそこから電車で中央駅に向かう。
ミラノの中央駅に着き、あまりの大きさに驚いた。今までさんざんヨーロッパの駅に行ったが、おそらく最も天井の高い駅ではないだろうか。
まずはイタリアに到着した際の儀式として、エスプレッソを飲みに行く。香川県の人が忠実にうどんを食べているのと同様に、イタリア人も忠実にエスプレッソを飲んでいる。僕は基本的にはエスプレッソは飲まないのだが、イタリアに来たら必ずエスプレッソ「しか」飲まないようにしている。しかも一杯1ユーロ程度で、躊躇する必要もないぐらい安い。
ミラノ中央駅に、ちょうどいいFancyなカフェのようなものがあり、そこでエスプレッソを飲む。
エスプレッソを飲み終わり、少し早いがゲストハウスに向かう。次の日も朝早くにでなくてはならないので、今回は駅の近くのゲストハウスを予約した。その名もHotel Central Station。ただし駅の中ではなく、駅のすぐ横にあるゲストハウスである。
ここのゲストハウスはスイスで泊まったホステルとは対照的に、いかにもゲストハウスのような雰囲気であった。インド風の若者が、スマホをいじりながらレセプションカウンターにいる。その男性に予約してある旨を伝えると、ノートに自分の名前を書いて鍵をもらう。廊下には、中華風のおじさんがタンクトップ姿で小さい子供をかかえてウロウロしている。この雰囲気は懐かしい。
少し寝て、ミラノの観光に出かける。
続く・・・
さて、昼間で少し昼寝をして、ミラノの観光に出かける。ストックホルムは未だ雪が降っていたが、ミラノは晴天でTシャツでも充分な天気である。途中アイスを食べている人たちとでくわし、僕もアイスを食べる。前の人達がピスタチオ味を頼んでいたので僕もピスタチオ味を頼むことにした。
中心部に到着し、有名なアーケード街に到着した。
ここでは、ある場所でみんなが一回転していた。きっとなにかご利益があるに違いない。僕はしなかったけど。
そしてこのアーケードを抜けると大聖堂に到着
中に入るには長蛇の列で、そんな時間はなかったので入らなかった。
大聖堂を見たあとは少し遅い昼食を取る。何にするか迷ったが、流行っていそうなチェー店でピザを食べることにした。味は普通。
このあとは、ダ・ビンチの最後の晩餐を見るため教会に向かう。
だいぶ間が空いてしまった。前回の記事は「線をつなげる」で検索してみてください。
16:00になり、ミラノ中心部から外れた教会に向かう。ここは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がある教会なのである。
最後の晩餐を見るために、ミラノに寄ったと言っても過言ではない。しかし、この最後の晩餐は予約制で、しかも人気なため僕が気づいたときにはもう予約が終わっていた。どうにか見たいと思っていたら、ある旅行会社がツアーをやっているらしく、そのツアーに参加することによって絵を見ることが出来るらしい。値段はかなり張ってしまうがしょうがない。
16時になり、10人程度が集まりツアーが始まった。その中には、日本人の男性二人もいた。年齢的には父親と成人を迎えた息子だった。話しかけようと思ったけど結局話しかけなかった。
最後の晩餐を見るには時間が厳しく決められている。ディズニーランドのあトランザクションのように、最後の晩餐にたどり着くまでに幾つかのドアがあり、時間にならないと開かない仕組みになっている。最後になってようやく本物の最後の晩餐に到着した。
本物の絵を見るまでは、絵自体がドアの横幅と同じぐらいの大きさだと思っていたが、実際の絵はそれはより遥かに大きかった。一人ひとりが、等身大ぐらいの大きさである。これまで何度も見てきた絵だが、本物を見るとやっぱり感動する。なにより「ここでレオナルド・ダ・ヴィンチが実際に描いてたんだ」という感覚は、ネットで絵を見るだけでは味わえない。
ちなみに最後の晩餐の後ろにも絵が1つ描いてあります。
さて、最後の晩餐を見て宿に戻る。まだ街を回れるぐらい明るいが、疲れたのと明日の朝が早いため、宿に戻って寝ることにする。3つベッドがあり、今のところ僕以外の客はいないと思ったが、夜九時頃に、1人男性が泊まってきた。僕はもう寝ようとして記憶があまりはっきりしないのだが、アジア系もしくは中東系の顔であったような気がする。大きな荷物を持っており、僕に飴を一個くれた。これからミラノ観光に行ってくると言い部屋を出ていった。どうやら旅慣れている人らしい。こういう人と同じ部屋だと安心だ。
ミラノを出発して約二時間して、フィレンツェに到着した。未だ早朝なため、人がそんなに歩いていない。
フィレンツェは、昼までの滞在である。まずはウフィツィ美術館に向かった。人気な美術館のため、予約しないと入れないと言われていたので開館の30分前に並んでチケットを買うとあっさり入ることが出来た。
朝は人がいない。
ボッティチェリのビーナスの誕生。
ここはレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋。右側が『受胎告知』。
僕はこの受胎告知が日本の東京国立博物館に来た際、見に行った。その際は本当に大人気で長い列を待って遠くからこの絵を見た記憶がある。しかしこの博物館では、誰もいなかった。柵は一応あるが、触れるぐらい近くで見ることが出来る(実際はガラスがあるので絶対にさわれない)。
美術館を見て、出口を探すが中々外に出られない。係員に聞くと、何やらイタリア語で話しかけてくるので適当に相槌をうつ。すると、その係員は僕が美術館に入りたいと思っていたらしく、入り口まで連れてってくれた。親切さゆえに違うとも言うことが出来ず、結局もう一度美術館に入ることになった。そこからまた出口を探すが、出口に行くにはもう一度その人の前を通らないといけない。その人に見つからないように、ひっそりと出口を探し外に出た。
イタリア人は基本的にみんな親切だが、こちらが英語で話しかけても容赦なくイタリア語で話してくる。しかし大抵の場合はなんとなくあちらが言っていることがわかる。今回の場合は別だけど。
未だ時間があるのでフィレンツェの大聖堂に行く。中には入らない。
食事に、野菜スープを食べた。
そしてバスで、フィレンツェからローマに向かう。チューリッヒからミラノに行く際、バスが2時間以上遅れたので、遅延が心配だった。飛行機を予約しているため、遅れてしまっては困る。しかし、その心配は無用で時間ぴったりにバスは出発しローマに向かう。ローマに向かうとそのまま空港でストックホルムへ。今回の旅はこれにて終了。
僕はヨーロッパの国を陸路で周るという意味の分からないことを今している。去年の夏にローマからブカレストまで行ったが、今回の旅でストックホルムからブカレストまでの線がつながった。
ということで、今回の旅はこれにて終了。