新編武蔵国風土記稿にも記述のある丸池は、仙川の源流のひとつです。
たくさんの釜から豊富に水が湧いていましたが、高度経済成長による都市化で湧水は枯渇。やがて埋め立てられました。
1998年からはじまった三鷹市と市民の協働による「丸池復活ワークショップ」での公園の基本設計、具体設計などを経て、2000年、地下水と自然濾過による循環水の利用で、丸池の水辺が復元されました。
丸池公園、原っぱ公園、みはらしやま公園、雑木林公園、梅林公園と、柴田勝家(柴田勝重の孫)ゆかりの勝淵神社、近隣の農地、これらをつなぐ仙川一帯が「丸池の里」です。*緑と水の公園都市を目指す三鷹市には他に、ほたるの里、牟礼の里、北野の里(仮称。計画中)があります。
仙川流域には、縄文時代の住居跡などの遺跡が多く発見されています。また、近くの島屋敷からは石器時代の石斧や鏃から中世の館跡も見つかっています。天神山には市内唯一の城の遺構ー空堀-が残されています。水がいかに人々の生活を支えていたかがよくわかります。
明治から昭和頃には、川に沿って田んぼが広がっていました。水が多くて、あまり肥沃な田んぼではなかったという当時を知る人の証言もありました。今でも市内に多くの畑はありますが、水田はほとんど残されていないため、ここに田んぼを整備して近隣4校児童の「稲作体験学習」の場として活用されています。
勝淵神社の裏手の雑木林には、この地域の風土にあったコナラ、クヌギ、カシなどがはえています。もともとは薪などの燃料として使われていた木々が今は見上げるばかりの高木となって葉を茂らせ、秋にはドングリの雨を降らせてています。
仙川は、今でもわずかながら河床から水がわき、地下水や下流からの水の還流によって流れが保たれています。通年でカワセミ、サギ類、カワウ、カルガモなどの鳥たちが観察できるほか、冬にはマガモやオナガガモなどもやってきます。
鳥類も、昆虫も、爬虫類も、両生類も、哺乳類も・・・多様な命がひしめいています。あなたは、何を見つけるでしょう?
勝淵神社には、その勇猛さから「鬼柴田」といわた戦国武将・戦国大名である柴田勝家の黄金の兜にまつわる伝承が、四百年間にわたって受け継がれています。
柴田勝家は、織田信長に仕えていましたが、本能寺の変で信長が亡くなったあと、賤ヶ岳の戦い(1583)で豊臣秀吉に敗れて自刃しました。自刃のまえに、当時3歳だった孫の権六郎(のちの柴田勝重・かつしげ)に、愛用の黄金の兜を預けて逃がしました。成長した勝重は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いや大阪夏の陣・冬の陣に加わって手柄を立て、元和元(1615)年頃に武蔵国多摩郡上仙川村・中仙川村一帯を拝領しました。
勝重は、今の島屋敷あたりに陣屋を建て、村の北の水神の森の樫の木の根元に黄金の兜を埋めて社を建て、勝淵大明神として祀ったと伝えられています。
勝重の墓は春清寺(新川4-4-22)に現存します。また島屋敷遺跡からは、当時の屋敷跡や庭園跡も発掘されています。