#375 論や観の模倣と伝染
ブックログに最近アップした福田恆存の『私の幸福論』。その中の「恋愛について」というセクションでは、恋愛の伝染性や模倣性について触れられています。
作中にはこのような一節があります。
「私たちは、相手が好きとかなんとかいうまえに、恋愛というもの一般についての『論』や『観』が形づくられているのであります。その『論』や『観』がさきで、それに都合のいい相手を見つけだすという段どりになります。… いずれにせよ、自分独特の恋愛などというものはできないばかりでなく、恋愛小説、恋愛論、あるいは他人の恋愛、そういうものを知らなければ、たいていの人は、恋愛をしてみようと思いつきさえしないかもしれない。...たまたま恋愛小説や恋愛論を読んでいたため、あるいは友人の恋愛を眼のあたりに見ているため、自分もそんな気もちになってみたいと思うのであり、さらに自分のうちにあるなにがしかの感情の切れはしにすがって、それを『模範的な恋愛』にまで育てあげようとするだけのことです。」
これを読んでいて、どこか言語と似た部分があるなと感じました。
ことばもまた、すでに存在する型をたよりにするからこそ意思疎通が成り立ち、同じようなコミュニケーションを真似し合うことで仲間であることを確認し合ったりしています。そうした模倣や伝染といった側面がベースにあるからこそ、社会が成り立っている側面もあるのかもしれません。ただ、その型も決してずっと同じ姿のまま留まるわけではなく、共有された型を土台としながら、新たな創造的表現が生まれて姿を変えていくこともあります。こうした模倣と創造のプロセスについて、これから少しずつ考えを深めてみたいです。
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