#364 コミュニケーションにおける錨
本日Book Logにアップした小林祐児さんのご著書には、私にとって馴染み深い言語学の理論が登場していました。特に、以前私自身が「共通基盤(common ground)」に関する論文で引用したことのある Clark のアンカリングの概念が出てきて、懐かしさを感じると同時に、コミュニケーションにおいて自分自身が大切にし、関心を寄せてきた領域なのだと改めて感じました。
小林氏は著書の中で、アンカリングについて次のように紹介されています。
「しかし、コモン・センスを創るには、単なる情報伝達ではなく、『これは共通に知っていることである』という認識を与えなくてはいけません。そのためには、コミュニケーションの中で具体的な情報の範囲について直接言及し、誰が何をどこまで知っているかを明示的に『留め置く』ことが必要になります。そのように知識とその範囲を明示することを、ここでは『アンカリング』と呼びましょう。アンカリングとは、もともとは錨を使って船を係留することですが、流れていくコミュニケーションの中で、特定の事柄や情報をコモン・センスにするために留め置きすることです。」
実際の会議の場における実践例としては、次のような発言が挙げられています。
「この方針は、今日からチーム全員で共有されているものとして扱います」
「先日、皆さんに共有した〇〇の件ですが…」
「この件については、他の部署のメンバーにもすでに共有済みです」
ここで参照されている Clark(2021)の論文の冒頭要約(Abstract)には、次のような記述があります。
「人々が互いにコミュニケーションをとるためには、それぞれの発話を、その発話の話し手、聞き手、場所、時間、提示内容、そして目的に結びつける、つまり『アンカー(固定)』しなければならない。(原文:"For people to communicate with each other, they must tie, or anchor, each of their utterances to the speaker, addressee, place, time, display, and purpose of that utterance.")」
そして論文では、このアンカリングには「indexing(指し示すこと)」と「identifying(特定・同定すること)」という2つのアクションが相互に関わっていると述べられています。
たとえば、Aが木片(a piece of wood)を指さすジェスチャーとともに "Should we put this in?"(これを入れるべきでしょうか?)と尋ねたとします(これは木片を index しています)。このときBは、Aが木の種類を尋ねているのではなく「その木片そのもの」を指しているのだと解釈し、Aが何を指していたのかを特定・一致させます(これが identify です)。
論文全体としては、対面の場合はこうしたアンカリングのためのリソース(資源)があるものの、電話や紙媒体といった非対面の場合は空間や時間、世界(worlds)から切り離されているためにより資源が制限されていることなどに触れられており、コミュニケーション(産出・理解)の研究においてそうした点がまだ十分に考えられていないという点についても議論されているようです。
参考
小林 祐児(2026)『職場の対話はなぜすれ違うのか』光文社新書
Clark, H. H. (2021). Anchoring utterances. Topics in Cognitive Science, 13(2), 329-350.