#361 通勤電車のコミュニケーション
小林祐児氏の『職場の対話はなぜすれ違うのか』を読んでいる中で、実際には何も言っていないのに、コミュニケーションがすでに始まっているということについて触れられている箇所がありました。そこでは、社会学者のアーヴィング・ゴフマンによる「儀礼的無関心」という概念が取り上げられて説明されています。
通勤電車や満員電車で黙ってスマホを眺めている状態も、ただ単に黙っているだけではありません。そこには、乗客同士の「互いに干渉しませんよ」「あなたに関心はありませんよ」という暗黙のメッセージのやりとりが存在しているのだといいます。
これを読みながら、昔付き合っていた人に「電車で電話するのがだめなのが意味わかんない」と言われたことを思い出しました。私としては「そんなの絶対にダメなことだよ」と思いながらも、当時は相手を納得させるような説明ができませんでした。
電話や大声で話すことがマナー違反とされるのも、この暗黙の中で慣習的に行われているコミュニケーションを一方的に無視し、妨害する行為であり、沈黙の中にもコミュニケーションが存在し、相互の思いやりや配慮があるのだと、今ならしっかりと言い返せそうです。
なお、安達(1997)による「ゴフマンのあいさつ行動論」についての記述が大変参考になりましたので、以下に引用して書き留めておきます。
「ゴフマンは、E・デュルケームの消極的儀礼と積極的儀礼という宗教儀礼の分類を日常生活の対面的状況の対人儀礼、すなわち相互作用儀礼に適用し、回避儀礼と呈示儀礼に分けている。回避儀礼とは、対面的状況に応じて相互の接近を回避するためのものである。お互いに知り合いではないことをあらわして接近を避けるための行動は、儀礼的無関心とよばれている。これはいわゆる見て見ぬふりをして他者の存在に対して無関心を装う自己演出(パフォーマンス)であり、わざと避けたのではないことをあらわす意味もある。いっぽう呈示儀礼は、個人間の社会関係に応じておこなうことを期待された敬意をともなう自己演出であり、支持的儀礼、ならびにそれに含まれる接近儀礼に象徴的にあらわれている。」
参考
小林 祐児(2026)『職場の対話はなぜすれ違うのか』光文社新書
安達 正嗣(1997)「あいさつ行動の社会学的考察 : 日常コミュニケーションの視点から」『名古屋市立大学人文社会学部研究紀要』第3巻, pp.259-268.
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[儀礼的無関心]