#345 ブログ書かなきゃだ
前回のブログで取り上げた國澤(2022)では、これまで「Vなきゃ」が「Vなきゃならない」の省略形として扱われ、両者が同義とされてきたことに疑問を投げかけています。例えば、話し手が自分の決意を表明する場面において「全部食べなきゃ!」とは言えても、「全部食べなきゃならない!」とは言い切れません。このように「全部食べなきゃ」と「全部食べなきゃならない」が必ずしも同義とは言えない点に焦点をあて、さらに近年見られる「全部食べなきゃだ」のように、動詞述語文では通常使われないはずの「ダ」が付加される現象についても分析しています。
そもそも「Vなきゃ」は「〜しなければ」というレバ節であり、ケド節やカラ節などと同様に「従属節のみで終結し、統語的には不完全文であるにもかかわらず、内容的には言い切り文と同等の完結性を有する」という、いわゆる「言いさし文」であると言えます(白川 2019)。また、「〜しなければならない」は条件文で話し手の評価を示す「評価文」の位置づけになります。
評価文としては「Vなきゃ」「Vなきゃならない」のどちらも使用できますが、言いさし文として機能するのは「Vなきゃ」のみです。さらに機能面を見ると、「Vなきゃ」が発話時点での実行の意思や働きかけといった「遂行性」を持つのに対し、「Vなきゃならない」は遂行性を持ちません。
「Vなきゃだ」という表現は、「Vなきゃ」のような「言いさし文」の構文でありながら、「Vなきゃならない」に近い遂行性の弱さを併せ持っており、両者の中間に位置づけられると言えます。この言いさし文「Vなきゃ」に接続する「ダ」は、発話時現在の瞬間的な表明を避けて遂行性を弱める機能を担っており、その遂行性を下げることで聞き手への配慮を表していると主張されています。
この配慮の機能は、動作主が誰であるかによって現れ方が異なります。動作主が話し手自身の場合、電子掲示板での「ああ、私も頑張らなきゃだ」といった発言は、自分の決意を前面に出しすぎないための配慮となります。一方、動作主が聞き手の場合、飲食店の口コミサイトでの「まずは人数集めなきゃだね」(量が多いので大人数で行く方が良いという意味)という表現は、「集めなきゃ」に比べて遂行性が低くなり、読者に対する押しつけや強制のニュアンスを和らげる効果を持ちます。なお、動作主が第三者である場合の「絶対に事実をわかりやすく伝えなきゃだよね。」のような文は、動作主が話し手の直接働きかけられない対象であるため遂行性を伴わず、言いさし文というより「Vなきゃならない」と同等の評価文として解釈が可能です。
このように、最終的に「Vなきゃ」に「ダ」を付加する理由として、自分の意思表明や相手への働きかけなどを直接表すことを避けるための配慮のストラテジーであるということが指摘されています。
一見すると些細な表現の違いですが、相手への配慮を以前よりも気にするようになった昨今において、お互いの距離感を保ち、踏み込みすぎないための言語手段として非常に興味深いと感じます。私自身も今後、誰かにアドバイスをするような場面では、「まずは○○しなきゃね」よりも「まずは○○しなきゃだね」という表現を意識して使ってみようかしら…と思いました。
参考
國澤里美. (2022). 言いさし文 「V なきゃ」 に後接する 「ダ」 の機能. 群馬県立女子大学紀要, 43, 101-111.
白川博之(2009)『「言いさし文」の研究』くろしお出版
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