#321 あめあめふれふれ
授業で皆と一緒に、瀬戸賢一氏の論考「雨の表現がたくさんある日本語は風流か?」(『新英語教育』)を読みました。私自身、『雨のことば辞典』の読者として、日本語には雨を表す言葉が非常に多いという事実は知っているつもりでした。しかし、この論考が提示する英語との対照的な視点が面白く、ちょうど台風が近づいている今日、そしてこの梅雨の季節に書き残しておくのも乙かなと思い、今回取り上げることにしました。
瀬戸氏はまず、言語が人間の思考や文化の認識を規定するという「サピア=ウォーフの仮説」をめぐる誤解に釘を刺します。よく言葉と文化の相対性の例として「エスキモーには雪を表す表現が多い(だから彼らは雪を細かく認識している)」という話が語られますが、実はこれは一種の噂のようなもので、ウォーフ自身が明確にそう述べたわけではなく、実際には雪を表すイヌイット語の形態素の数は、英語のそれと大して変わらないことが分かっています(Pullum 1989)。
「雨」はどうでしょうか。日本語には、群がって降る様子から「群雨」とも書く「村雨(むらさめ)」や、旧暦の5月に降る「五月雨(さみだれ)」など、自然や人々の暮らしに深く根ざした表現が数多く存在します。一方で、英語で「村雨」を「shower」と言い換えてしまうと、日本語が持つ叙情性は失われ、どこか自然と言葉が切り離されているように感じられると瀬戸氏は指摘します。
こうした違いの背景には、西洋における「自然の向こう側に人間(人工・文化)がある」という、いわば「自然対人間」という意識があるのかもしれません。自然と人間を切り離して捉える西洋の文化圏では、雨が降ってもあまり気に留めない傾向があります。
実は2年前、私の両親がポーランドのポズナンという小さな街で傘を差していたところ、現地の高校生から「日本人ですか?」と興奮気味に声をかけられたことがあります。「なぜ分かったの?」と尋ねると、「傘を差していたから絶対に日本人だと思った。日本が大好きだから、会えて嬉しい!」と言われていました。日本では雨と自然が密接に結びついており、雨を避けるためにごく自然に傘を差しますが、現地の人々にとってはいかに「雨の日に傘を差す」という行為が珍しいことであるかが伝わってくるエピソードです。
このように、日本は雨を受け入れ、自然と密接に関わりながら生きてきました。それは「春雨」「梅雨」「夕立」「秋雨」、さらに「恵みの雨」や「慈雨」といった表現の豊かさにも表れています。対照的に、英語圏の人々は雨をあまり気に留めないからか、雨の程度やバリエーションを表現する際も、基本的には「heavy」「driving」「pouring」「gentle」「light」「soft」といった「形容詞+rain」の組み合わせでシンプルに支えているそうです。
さらに面白いと感じたのは、「雨のメタファー」の違いです。英語において「a rain of ~(〜の雨)」という表現は、「arrows(矢)」「bombs(爆弾)」「stones(石)」「blood(血)」「ash(灰)」など、ネガティブな単語と結びつきやすい傾向があります。慣用句を見ても、英語の「It never rains but it pours.(降れば土砂降り/災難は重なるもの)」のようにネガティブなものが目立ちますが、日本語では「雨降って地固まる」や「雨だれ石を穿つ」のような肯定的な表現で雨が登場します。
童謡にもその心理は表れています。日本語では「あめあめ ふれふれ かあさんが〜」と雨を歓迎して歌うのに対し、英語では「Rain, rain, go to Spain, Never show your face again.(雨、雨、スペインへ行け、二度と顔を見せるな)」など、雨を追い払おうとするのです。
瀬戸氏は、論考を次のような言葉で締めくくっています。
「ことばと文化と自然の関係は、ある表現のecological niche(生態的地位)を解明しようとする研究に興味深い事例を提供してくれるでしょう。」
参考
倉嶋厚,原田稔(著・編)(2014)『雨のことば辞典』講談社学術文庫.
瀬戸賢一(2010)「雨の表現がたくさんある日本語は風流か」『新英語教育』9月号,pp.10–11.
Pullum, G. (1989) "The great Eskimo vocabulary hoax", Natural Language and Linguistic Theory, 7, pp.275–281.
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[サピア・ウォーフの仮説] [メタファー]