#310 能動でも受動でもない「学び」
『学ぶ力』を読んでいて、そこに「中動態(middle voice)」の概念が引き合いに出されていたのでご紹介したいと思います。
「学ぶ」という動詞は、「勉強する」とは全く異なる動詞です。「勉強する」のは、目標があり、それに向かって能動的に何かをすることであり、その成果は評価され得るものです。一方で、この本で伝えたい学び、「学ぶ」という概念は、能動態でも受動態でもない「中動態」の動詞であることを示していると言われています。
中動態の例として挙げられているのが「眠る」です。努力をして能動的に眠るということはなく、よく眠ってはじめて自ずから眠りが沸き起こるものであり、「自らの意思で開始できる動きを表現する動詞ではない」と紹介されています。これは、事後的にしか言えないということです。「楽しむ」「遊ぶ」なども同様に、何気なくいろいろやっているときに、突然いいことを思いついたといって没頭するというのは、そのときに遊びが生まれているのだと言えます。
中動態については、國分功一郎氏の『中動態の世界―意志と責任の考古学』を参照するように書かれていますが、「学ぶ」ということが、実は能動態の動詞ではなく中動態の動詞であるということを、色々なエピソードでこの本では述べられています。
また、堀田隆一先生のブログにも國分先生のご本から、中動態についてのことがまとめられていました。#4205にて「現代人の多くには馴染みの薄い態であるが,古代ギリシア語では一般的によくみられ,現代の印欧諸語にも何らかの形で残滓が残っている.また,日本語の「自発」を表わす動詞の表現なども,中動態の一種といえる.」と紹介されています。
私も國分先生の本を次は入手せねば、と思います。
参考
河合隼雄・工藤直子・佐伯胖・森毅・工藤左千夫 著『学ぶ力』岩波書店(岩波現代文庫)、2026年
國分功一郎 著『中動態の世界――意志と責任の考古学』医学書院、2017年
堀田隆一「#4205. 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』」『hellog~英語史ブログ』2020年10月31日
(https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2020-10-31-1.html )
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[中動態]